第9話
高畑はメガネをクイッと上げ、ノートパソコンに示されたモニターの波形を指差す。
「佐藤、テレポーテーションはテレキネシスの応用で、空間を一時的に歪めて物体を移動させる。これには膨大なエネルギーが必要だ。何かにぶつかるとか、そういう危機的状態のときにそのエネルギーが発生したんだろう。君の脳はθ波を急激に増幅させ、エネルギー供給のために自律神経を過剰刺激する。結果、腸管の蠕動運動が異常加速し、急性腸蠕動亢進症候群―――つまり、強烈な便意が引き起こされるんだ!」
石川との対峙後、まさるは肛門に力を込めたままどうにか高畑のラボにたどり着き事なきを得た。今までで一番の危機であった。
初めて発動したテレポーテーションの強烈な副作用に、まさるはお腹をさすっているが痛みはまだかすかに残る。
こんな状況でも真顔のままの高畑に、羞恥で赤くなった顔のまま叫ぶ。
「つまり、テレポートするとトイレ行きたくなるってこと!?」
「おそらくだが、テレポーテーションは石川の装置とは無関係だ。落ちてくる提灯から逃れようとする思いが、君の脳はθ波を急激に増幅させ、君の腸蠕動まで過敏状態にさせた。科学的には、消化管の過剰収縮による排便反射の亢進だ。制御しないと、商店街のトイレを独占する羽目になるぞ。」
「そんな解説いらない!」
「次はトイレの場所を事前に把握しろ」
高畑はその場でさらさらと近隣のトイレをメモして、渡してきた。受け取るまさるは誓う。
「もう、この能力は絶対に、発動させない……!!」
翌日、商店街は秋のマルシェ準備で活気づいていた。色とりどりのテントや手作りの看板が並び、店先にはカボチャやコスモスの飾り付けが秋らしさを演出している。だが残暑はまだ容赦なく、まさるは汗ばんだ額をハンカチで拭きながら、組合長にイベントの設営スケジュールを手渡した。
「佐藤さん、夏祭りに続いてマルシェも期待してるよ! #エスパー佐藤で、またバズらせてくれよな!」
「ハハ……バズりは、たまたまですって。俺、関係ないですから……」
「どんなトリックつかってるの?―――あ、いや、ネタバラシはいらないですからね! いやぁ、#エスパー佐藤のおかげで、聖地巡礼のお客さんがドカドカ来てて助かりますわ」
「エスパーの聖地ね……ハハ……僕はエスパーじゃないですけど」
「話題になれば、嘘も方便だよ、佐藤さん! あ、エスパー佐藤さん、か!!」
「嘘も、方便……ハ、ハハ……」
組合長の陽気な声に、まさるは力なく笑う。昨日の副作用で夜も何度かトイレに駆け込む状況。目の下にはクマができ、眠気でショボショボする目がハンカチで拭っても冴えない。おなかは落ち着いたが、睡眠不足には違いない。
組合長はまさるの顔色に気づかず、笑顔で続ける。
「まあまあ、ブルーバード企画さんのPR戦略のおかげで、商店街は大盛況だ! 佐藤さんの力、頼りにしてるよ!」
「力って……まあ、腕力で頑張りますけど……」
まさるはヨレヨレのスーツの袖をまくり、組合長の笑顔に気圧されながら頷く。夏祭りの神輿動画がバズり、商店街に観光客が押し寄せたおかげで、ブルーバード企画は秋のイベントであるマルシェの企画も任された。山田課長の機嫌も良く、怒られる頻度も減ったのはいいが、#エスパー佐藤のハッシュタグがSNSで溢れかえり、まさるの胸はザワザワしていた。
(この能力、絶対使いたくない……。石川に操られるのも嫌だし、あの副作用はもう、嫌だ……!!)
高畑は何かにぶつかるとか、そういう危機的状態のときにテレポーテーションが発動するんじゃないかと話していた。だから、安全に気を使えばおそらく発動しない。そう考えて用心しながら仕事を続けた。
組合長に頼まれたまさるは、商店街の広場でマルシェの看板設営を手伝っていた。安全猫よろしく指さし確認しながら、危険なものを避け物が倒れないよう細心の注意を払う。まさるはガリ痩せの細腕だからと言い訳して、小さめな当たって痛くなさそうな看板を運んで、力が強そうな商店街の若者に、大きなマルシェの看板を運んてもらうことにした。
看板を運んでいると田中のニヤニヤした視線を感じる。彼女はスマホを手に、組合長と仲良さそうに話しながらこちらを見ている。
「佐藤さーん! マルシェでも何か起こしてよ! #エスパー佐藤、期待してるから!」
「田中さん、よくわからないSNSの投稿やめてくださいよ……。 」
「私は単に、今回のマルシェのPRのネタを投稿するだけだよー」
「俺だって、普通に看板運ぶだけなんで……」
クスクス笑いながらスマホをいじる田中に、まさるはため息をつく。田中のすべての行動が怪しく見える。逐一、石川に報告されているんじゃないか不安になる。
昨日の石川の冷たい表情を思い出して、寒気がする。
まさるはぶるりと震えて、看板を揺らした。
(能力が発動しないように、気をつけないと……)
看板を地面に置こうとしたとき、看板がぐらりと揺れてまさるのほうに倒れてきた。
「あ、やば……!」
避けきれずに目を閉じたが、衝撃はこなかった。まさるが目を開くと、ただ倒れた看板の前に立っているだけだった。
辺りを見回しても、特に誰も観ていないようだが、ほんの1メートルほどテレポーテーションの能力を使っていたようだった。
倒れた看板を治そうとすると………
「ギュルギュルギュルギュル……」
まさるの腹が鳴り、顔が青ざめる。冷や汗がだらりと垂れ、お腹を押さえる。
商店街の人々が倒れた看板に意識を向ける中、まさるは近くの簡易トイレに猛ダッシュして駆け込んだ。ちなみに、高畑のメモのおかげで、最短でトイレにたどり着くことが出来た。
「#エスパー佐藤、またまたマルシェで大活躍! これで商店街のPRバッチリ!………っと、あれ? 佐藤さんは?」
田中はスマホで今の動画を投稿すると、辺りを見回した。すでにまさるは簡易トイレの中で唸っていたのだが、彼女には知る由もなかった。
仕事を終えたまさるは高畑のラボで温かいお茶を飲んでいた。おなかの調子を考え、今日は水出しアイスコーヒーを控えることにしたのだ。
本当はすぐにでも帰宅したかったのだが、お腹がそれを許してくれずに途中で高畑のところに寄るハメになってしまった。おなかをさすりながらまさるは嘆く。
「なんで毎回トイレなんだよ!」
「θ波が副交感神経を過剰刺激し、セロトニン受容体が腸を暴走させる。石川の装置が関与してる可能性が高い。深呼吸で落ち着け」
「深呼吸でトイレ我慢しろって!?」
「科学的には有効だ。トイレマップ更新しとけ」
高畑は真面目な顔で、近隣の地図をまさるに示す。
それをみて、まさるはがっくりと項垂れるのだった。