第1話
東京の雑然としたオフィス街にひっそりと佇む「ブルーバード企画」。その一角で、佐藤まさるは今日もまた、コピー機のトナーの匂いにまみれていた。
先日30歳になったばかりで、身長163cmの低身長。体重も54kgしかなくガリガリに痩せている。髪は猫っ毛で寝癖がびょこんとついているし、スーツは亡き父のお下がりで、微妙に形が古い。
まさるはモブで底辺な、目立たない男だった。
「佐藤! 今日のプレゼン資料、上がってるんだろうな?」
課長の山田の声が、フロアに響く。まさるは慌ててノートパソコンを叩き、画面を覗き込む。
「も、もちろん! ほぼ……ほぼ、完成です!」
ほぼ?そんなわけないと内心で呟く。が、全然まだなんて言えるわけなく、アワアワと誤魔化す。昨日課長に言いつけられた追加の仕事のせいで、今日の資料の事をすっかり忘れていた。内心、冷や汗が止まらない。締め切りは午後3時。あと90分しかない。急いでキーボードを叩き始めた。
まさるの人生は、こんな調子だった。
仕事の出来はいつも平均以下。ずっと彼女はいない。趣味はコンビニの新作カップ麺を試すくらい。高校時代は「何か面白いこと」が起こる気がしていたのに、30歳の今、夢は色褪せていた。
そんなある日の昼休み、いつもの公園のベンチで、まさるは近場の激安スーパー500円の唐揚げ弁当を頬張っていた。店でランチする仲間もお金もない。オフィスになんかいたくない。そんなわけでいつも近くの公園がまさるの休憩スペースだった。
目の前の商店街は、昼時でも活気があって、たこ焼き屋の看板に『田中商店』なんて名前が見えた。あれ、同僚の田中さんと同じ名前だな、なんてぼんやり思う。こんな暑い中たこ焼き買うなんて、よほどの有名店なのかもしれない。自分は食べる気にはなれないけどなーとひとり言を言う。
スマホでSNSをスクロールしながら、ため息をつく。毎日カップ麺レビューを載せたインスタは、ほとんどいいねはつかない。ただの壁打ちみたいな気分になってくる。いつかバズってみたいものだ。
いつもの色褪せた日々は、季節だけが移り変わる。もうすぐ夏になれば、外で昼休憩も出来なくなる。お金がかからずにクーラーがあって、激安スーパーの弁当が食べられる場所を探さなきゃならない。
と、その時、向かいの通りから騒がしい声が聞こえてきた。
「おい、返せよ! 俺の研究成果が!」
見ると、背の高い痩せ型の男が、バイクに乗ったひったくりに追いすがっていた。白いシャツが汗で貼り付き、ずり落ちそうな眼鏡を片手で押さえながら引ったくりに手を伸ばしながら走っていた。
「えっ、………高畑?」
目の前を通り過ぎる男と、まさるの記憶にある高校時代の同級生・高畑悠斗の顔が一致する。理科室でいつも変な実験に没頭していた、あの長身のオタク。全く変わってない顔。間違いない。
高畑は必死に走っていたが、バイクは嘲笑うように加速する。あの運動音痴よりは自分のほうが足が速い。
まさるは咄嗟に弁当をベンチに放り投げ、立ち上がった。
それは、いつもの自分ならしないような行動だった。
「何やってんだ、俺!?」
頭ではそう叫びつつ、足は勝手に動き出す。
心臓がバクバクと暴れる。 バイクが路地に滑り込んだ瞬間、ひったくりがバッグを投げ捨てる。
バッグは放り投げられ、近くのトラックの荷台に落ちた。トラックは動き出し、バッグは今にも転がり落ちそうだった。
「高畑のやつ、絶対変な研究データ詰まってんだろ!」
まさるは叫び、腕を伸ばした。届かない。トラックの荷台なんて、163cmのチビがジャンプしたって絶対届かない距離だ。なのに、なぜか――
「動け、動け、動けっ!」
指先にビリビリッと電流が走り、親指、人差し指、小指が勝手にハンドサインを結ぶ。まるでB級SF映画の主人公になった気分だ。すると、バッグがふわりと浮かび、まるで酔っ払ったドローンみたいにフラフラしながら高畑の腕にポトンと落ちた。
「……え、なんだこれ?」
まさるは自分の手を呆然と見つめた。高畑はバッグを抱え、息を切らしながらこちらを見ていた。
「おお………たか、はた…?」
「ああ……久しぶりだな、佐藤。えっと―――これ、助かったよ」
「バッグ、よかった……」
「ありがとう。なあ、お礼もあるし、そこにうちのラボがあるんだ」
高畑は散らばった唐揚げ弁当を観ながら言う。
「まあ、たべるものは……ないんだけど、アイスコーヒーでも飲んでけよ」
高畑はラボと言ったが、そこはただのアパートの一室だった。クーラーがガンガン効いていて、走って汗だくの身体に気持ちがいい。乱雑な室内には、本や雑誌のタワーがそびえ、埃っぽい科学機器が所狭しと並んでいた。中央のテーブルには、ノートパソコンとエナジードリンクの空き缶が散乱し、なぜか高級そうなコーヒーメーカーだけがピカピカだった。
テーブルの散らかっているモノを高畑ががさりとビニール袋に入れて端へ避ける。学生時代の俺たちが写った懐かしい写真も置いてある。
「ラボ―――っていうか、アパート?」
「まあ、住民票もここだし、そっちの奥にベッドはあるな。」
「つまり、ここに住んでる?」
「ん、大学での研究とやってること違う研究は、こっちでやってるから、一応ラボだね」
「またいろいろ実験とかしてるのか? 高校生の頃の実験、なんかヤバかったよな。ヒーローになりたいとか言い出して。中村とお前ヒーローの特殊な能力とは何かって変な研究始めたじゃん。それが始まりだったよな『不思議現象研究会』」
「中村……、不思議現象研究会……―――懐かしい名前だな」
「あいつも何やってるんだろうな」
「俺たち、高校卒業してから連絡すら取らなかったからな……」
学生時代の話をしながら高畑はコーヒーを淹れてくれた。高畑は高校時代、いつも変な実験に没頭していた。『不思議現象研究会』というサークルをつくって、他にもいた研究馬鹿な友人と一緒に『超能力で世界を変える!』なんてバカなことを言ってたな、とまさるは苦笑した。
氷がたくさん入ったアイスコーヒーをもって来た高畑は、まさるの前にグラスを置く。研究馬鹿といえば試験管やビーカーにコーヒーを入れたりするが、おしゃれなグラスだ。
「ちゃんとキッチンは使ってるんだね」
「コーヒー淹れるだけだがな。これはちょっとこだわった水出しコーヒー」
「へぇ。確かにめっちゃ旨いな!」
まさると高畑は、くすんだ照明の下で向かい合っていた。高畑はバッグから取り出したタブレットをいじりながら、目を輝かせる。
「ところで佐藤、お前、見たぞ。あのバッグ、浮いてたよな。………もしかして、お前、エスパーだろ!」
「エスパー……?は? エスパーって、漫画かよ。たまたまだろ、風とか……」
「風だと!? あの軌道は異常だ! 俺の計算では、物体を意図的に動かしたとしか考えられん!ちょうど今まとめている研究成果の補強になる能力だ!」
「お前、変わんねえな。まだ不思議現象を研究してるんか……普通、エスパーのほうが考えられないだろ?」
まさるはアイスコーヒーをストローでかき回し、笑い飛ばす。
高畑は研究職の科学者らしく、興奮気味にまくし立てる姿に懐かしさを覚えた。高畑は高校時代から変わらないオタクだった。超常現象に異様な興味を持ち、いつも「科学で解明できる」と豪語していた。
「佐藤、いいか。あれはテレキネシスだ。念動力。あの時なりたかったヒーローになれるぞ!!俺がお前のコーチになって、その力を引き出してやる!」
「コーチって何!? そういうのいいからさ……」
「お前、昼休憩をいつもあの公園でしてるだろ?そろそろ暑くなってきたし、このクーラーのよく効いたラボで過ごさないか?その休憩時間だけでもテレキネシスの訓練をしよう。それで俺にそのデータを取らせてくれ」
「いつも、って……前から俺がこの辺で働いてるの知ってたのか??」
「去年の秋くらいから見かけていた。転職したんだろ? いつもあのスーパーの弁当食べてるよな」
「確かにその頃から転職して今の職場だけど!! なんで声かけなかったんだよ!」
「あー……そうだな。声かけそびれてた」
「お前はそういうやつだよ……」
「ま、いいからさ! ここの合鍵渡すから、いつでも来いよ!このまま夏の公園で昼休みを過ごしたら、確実に熱中症になるからな?」
高畑に無理矢理鍵を渡され、まさるはオフィスにトボトボと戻る。確かにあのアパートは近くて、昼休憩にもってこいの位置には、ある。これからの時期ビルの谷間の公園で、夏の日差しのしたで過ごすのは無理がある。悪くはないお誘いだ。
「テレキネシスだとかなんとかは口実で、久々に旧友に会って一緒に飯が食いたいだけなのかもしれないしな。明日、さっそくお邪魔しようかな」
その夜、オフィスに残ってプレゼン資料を仕上げたまさるは、疲れ果ててデスクに突っ伏していた。課長が「佐藤、電気消しとけよ!」と帰った後、ふと机の上の「何か」に目が留まる。
同僚がふざけて置いたコンドームのパッケージ。
「テレキネシス、ね……ほんとにできるのか?」
半信半疑で、昼間の感覚を思い出す。親指、人差し
指、小指を立て、そっと呟く。
「動け……」
ピリッ。指先に電流が走る。コンドームがふわりと浮かんだ。1センチ、5センチ……20センチ!
「うおっ、マジかよ!?」
まさるが目を丸くした瞬間、ガチャリとドアが開く。
「えっ、課長!」
「佐藤、まだいたのか?俺は忘れ物取り、に……」
課長は視線を横に動かし、言葉を止める。
まさるの斜め上あたりで、コンドームはふよふよと浮いていた。
「 ……って、なんでコンドームが浮いてんだ!?」
「え、あ、ち、違います課長! これは……風! 風です!」
慌てて、コンドームをつかんで、後ろ手にする。しかし、するりと手を抜けて肩のあたりにフヨフヨ浮かび上がる。もう一度捕まえて、握りこぶしのなかにしまう
「え……? 疲れてるのかな……コンドーム、浮いてたよ、な?」
「浮いてないです! 気の所為ですよ!課長疲れてるんですよ、早く帰宅したほうがいいですよー」
課長は首を傾げながら帰宅する。
まさるが手を広げると、もう浮かなくなったコンドームがしわくちゃになっていた。
「エスパーだかなんだか知らねえけど…めっちゃ面倒なことになっちまったな。」
だが、胸の奥で、ほんの少しのドキドキが芽生えていた。
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