09 ディストピア パンドラの少女
軍服姿の女性が一歩前へ出た。軍帽の下から、まっすぐ伸びたダークブラウンの長い髪が肩へ滑り落ち、薄暗い灯りの中で氷のような青い瞳が冷たく光を放っている。すらりとした高身長の体躯で、肩章には銀色の中尉章が輝いていた。
ヴィクトリア・ウィンチェスター。現役軍人である彼女は、大使と他の職員を避難地点まで護送する任務を負っている。
「中尉、この件はすべてあなたに任せます。」
館長が震える声で告げる。
「了解。」
ヴィクトリアはきびきびと敬礼し、振り返って命じた。
「全員、軽装備を整えて三分以内に出発する!」
館内では職員たちが素早く物資をまとめ、数名の特戦隊員が護衛のために列を組んでいた。大使は重い面持ちで歩み出る。ヴィクトリアはM4タクティカルライフルを構え、鷹のように鋭い眼光と鉄のような落ち着きで隊列の先頭に立った。
《ルートA、クリア確認。避難地点まで約十分》
副隊長の報告がイヤホン越しに届く。
「出発する」
ヴィクトリアが低く応じた。
一行は中庭を足早に横切り、両側では警備兵が警戒態勢を取っていた。頭上からは蔓がうねる不気味な音が響き、暗い裂け目には乾ききらない血痕がまだこびり付いている。
街角へ差しかかった瞬間、血にまみれた蔓の傀儡が廃墟の陰から飛び出してきた。顔はぐにゃりと歪み、半ば腐敗した体には破れた軍服の残骸がぶら下がっている。瞳にはかすかな意識と激しい苦痛が宿り、低い声で呪詛のように吐いた。
「……逃げ……られない……」
ヴィクトリアは即座に銃を構え、鋭く命じた。
「頭部を最優先で制圧!」
数発の銃声が一斉に轟き、傀儡の頭部は瞬時に破裂して緑色の体液が飛び散った。
「止まるな!前へ!」
ヴィクトリアが手信号を送り、一行は再び駆け出した。
その先の廃れた街路には、数体の変異した傀儡が行く手を塞いでいた。中にはかつて能力者だった兵士も混じっており、苦痛に満ちた目をしながら痙攣する手足で、それぞれ異なる能力を用いて道を封じている。
「ヴィ中尉、気を付けろ!硬化個体だ!」
副隊長が叫んだ。
見る間に、ひとりの傀儡の肌が灰黒色に光を帯び、岩のようにひび割れて硬化し、浮き上がった血管が脈打った。咆哮とともに突進してきたその瞬間、空気を裂く轟音が周囲に落ち響く。
ヴィクトリアは鋭い眼差しで一息に照準を合わせ、M4から三発の精密射撃を叩き込んだ。弾丸は硬化した表皮にめり込み、金属を削るような不快な摩擦音を響かせつつ、わずかに表層を砕いただけだった。
「撃ち続けろ!額を集中狙撃!」
冷徹な指示が飛ぶ。
特戦隊員たちが一斉に火力を集中し、弾雨が額へと降り注ぐ。硬化した表層にじわじわと亀裂が走ると、ヴィクトリアはすかさず拳銃を抜き、割れ目めがけて追撃を撃ち込んだ。緑色の液体が噴き上がり、傀儡は崩れ落ちるように地へ沈んだ。
彼女はわずかに息を整えながらも鋭い視線を緩めず、素早く弾倉を交換して叫ぶ。
「止まるな!前進!」
特戦隊員たちは交互に射撃しつつ前へ進み、銃火と機動の連携が絡み合う中、血飛沫が四方へ散った。大使と職員たちは身を低くして避難し、ヴィクトリアは隊列の最前で、迫り来る電撃を操る傀儡を盾のように受け止める。
突然、傀儡の両手に蒼い電弧が奔り、バチバチと激しい放電音を立てながら、その醜悪な顔を稲光が照らした。
その瞳には、苦痛の影とともに、かすかな意識の光が揺れていた。
ヴィクトリアは身を翻し、電撃を紙一重でかわす。その刹那、二発を正確に撃ち込んだ。
傀儡の頭部は一瞬で炸裂し、電光は霧散する。空気には、焦げ付いた蔓と血の焼けるような臭気が漂っていた。
「残存の人形、二時方向に四体!」
副隊長が鋭く叫んだ。
「頭部を狙え!無理な接近戦は避けろ!」
ヴィクトリアは冷然と指揮を執り、M4を連射した。隊員たちの火力と連携し、人形を一体ずつ確実に仕留めていく。
「クリア!急げ!」
一行は封鎖を突破し、ついに撤収ポイントへ到達した。
軍用ヘリが轟音とともに降下し、巨大なローターが砂塵を巻き上げ、サーチライトが地上の瓦礫を白々と照らし出す。
かつて避難場所として利用できた唯一の高塔は、すでに蔓に侵食され、無惨な廃墟と化していた。
ヘリのハッチが開く。ヴィクトリアは最後に人数を確認すると、腕を高く振り上げた。
「全員、搭乗!」
夜空の下、ヘリのローター音が唸りを上げ、サーチライトが無残に破壊された街路をなぞる。




