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23 フラジャイル・ホープ

 夜はさらに深まり、欠けた月が惨淡たる銀の光を降り注ぎ、荒れ果てたキャンパスを覆っている。颯真とセレステは並んで、人影のない小径を駆けていた。

 両脇に立つ高いオークの木々や古びた彫像は、ぼんやりとした夜の闇の中でいっそう不気味さを増している。途切れ途切れに点滅する街灯がかすかな光を放ち、崩れかけた壁や荒れた石垣の影を浮かび上がらせていた。

 夜風には血の匂いと湿った腐臭が混じり、耳に届くのは風の音と二人の荒い息遣いだけだった。

 セレステはふいに足を止め、暗い小径の奥を振り返りながら、迷うような表情で呟いた。

「……あの人たち、本当に大丈夫かな?」

 颯真は静かな目で前を見据え、かすれた声で答える。

「君も見ただろう。あの道はどう考えても通れない。蔓は暗がりに潜んでいる。むしろ、開けた場所の方が安全だ。」

 彼は少し間を置き、口元にわずかな笑みを浮かべると、冗談めかしながらもどこか本気の響きを帯びた声で続けた。

「それよりさ、セレステ――今の俺の言葉、君は……信じてくれるか?」

 どこかアニメやゲームの主人公が口にしそうな、少し自嘲気味で、それでも命を賭けるような真剣さを帯びた台詞だった。颯真はまっすぐな視線で彼女を見つめている。

 セレステは一瞬きょとんとしたが、すぐに思わずくすっと笑った。張り詰めていた神経も、少しだけ和らぐ。

「あなたって……こんな時に何を言っているのよ。」

 彼女は軽く頷き、柔らかな声で言った。

「うん、信じるわ。」

 二人は再び、壊れかけた街灯の下を進んでいく。時折、草むらの中で蔓がひそかに蠢き、夜風が木々の梢を揺らした。そのたびに、闇の奥に無数の視線が潜んでいるような錯覚に襲われる。

 やがて二人は無事に寮区を抜け、臨時避難地点――スタジアムの入口へとたどり着いた。広いグラウンドの中央には軍用ヘリコプターが一機停まっており、黒い機体の尾翼には軍の紋章が描かれている。数名の兵士が周囲を警戒し、制式の突撃銃を手に鋭い視線を巡らせていた。

 その先頭に立っていたのは、一人の背の高い女性士官だった。

 濃い茶色のストレートヘアが肩まで流れ、氷のように冷たい青い瞳が夜の闇の中で刃のように鋭く光っている。彼女は戦闘用防護服を身にまとい、腰には軍用拳銃と短刀を帯びていた。その佇まいは冷静沈着で、立ち居振る舞いの一つ一つから揺るぎない威厳が滲み出ている。

「生存者を確認。」

 彼女が低く命じると、一人の兵士が検知装置を持ち上げ、颯真とセレステを順にスキャンした。

「感染反応なし。」

「よろしい。」

 女性士官はゆっくりと武器を下ろし、鋭い視線で二人の顔を見渡す。その目は、まるで心の奥まで見透かすかのようだった。彼女はやや古めかしい型のスマートフォンを取り出し、位置確認プログラムに表示された座標を確かめる。

 問題ないことを確認すると、氷のような青い瞳をわずかに細め、落ち着いたはっきりとした声で言った。

「九条颯真……で間違いないな?」

 颯真は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに頷いた。

「はい。俺が九条颯真です。」

 女性士官は頷き、古いスマートフォンを颯真に手渡した。口調は少し改まったものになる。

「私はヴィクトリア・ウィンチェスター中尉。君の父上、九条誠一郎大使閣下の依頼を受けて、あなたの救出に来ました。これから北地区の安全な集合地点まで護送し、部隊と合流します。ここはひとまず安全です。あなたたちは先に休んでください。」

 彼女は後ろの隊員たちに警戒を解くよう合図し、命じた。

「二人を機体に乗せて、副キャビンで休ませろ。」

「了解!」

 二人の隊員が素早く前に出て、颯真とセレステをヘリコプターへ案内した。

 機内に入ると、セレステはようやく安堵の息をつき、蒼白だった顔にかすかな笑みを浮かべた。彼女はそっと颯真に身を寄せ、低い声でささやく。

「私たち……生き延びたのね……」

 次の瞬間、セレステは両腕を颯真の首に回し、強く彼の唇にキスをした。汗と埃の匂い、そして死の淵から生還したばかりの震える体温が入り混じった口づけだった。

「颯真……この悪夢が終わったら、私とデートしてくれる?」

 彼女は耳元でそっとささやいた。

 颯真は一瞬言葉を失った。目の奥に複雑な色がよぎり、頭の中には思わず、数多くのACG作品で見てきた“別れ際に立つ死亡フラグ”の場面が浮かぶ。胸の奥には、言いようのない不安がかすかに広がった。まるで、この約束の重さを運命が予感させているかのようだった。

 それでも彼は最後に小さくうなずき、無理に口元へ笑みを作った。

「……うん。」

 ハッチが閉まり、エンジンが低く唸りを上げる。ローターが激しい風を巻き起こし、周囲の落ち葉や埃を舞い上げた。

 ヘリコプターは旋回しながら上昇し、グラウンドと蔦に覆われた建物群はあっという間に遠ざかっていく。

 颯真は舷窓越しにキャンパスを見下ろした。直感が告げていた――すべては、まだ終わっていない。

 肩に頭を預け、幸せそうな表情を浮かべている少女を見下ろす。しかしその瞬間、胸の奥に理由の分からない不安が広がった。

 まるで少女の背後に死に神の影が立ち、鎌をその細い首元に掲げ、静かに運命の訪れを待っている――そんな幻が見えた気がした。

 やがてヘリコプターは雲に覆われた夜空の中へ消えていく。

 だが地上では、血の匂いと絡み合う蔦が、なおも静かに蠢いていた。

 闇の奥で――新たな悪夢が、ゆっくりと目を覚まそうとしていた。

はい、というわけで今回の章はここまで!ぜひ次の章をお楽しみに!

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