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02 その少年、天才

 空を裂くように、一つの影が舞い降りた。

 銀の閃光が走り、彼の身の丈ほどもある大剣が轟音と共に振り下ろされる。

 鋭い刃は、蔓も傀儡もまとめて切り裂いた。

 一人の少年が、音もなく地面に降り立つ。

 彼はヴィクトリアの前に立ち、静かに風を背に受けた。

 乱れた黒髪が夜風に揺れ、白いシャツの襟がふわりと翻る。

 ジーンズの腰に光るチェーンが、動くたびに微かに鳴った。

 手にした大剣の刃は夜を映し、冷たく光を返している。

 その瞳は揺るぎなく、表情には年齢を超えた落ち着きと覚悟が宿っていた。

 腐敗の匂いを帯びた風が四方から吹き荒れ、吐き気を催すような呻き声が混じり合う。

 操られた植物の傀儡たちは、わずかに残った意識の中で苦痛に呻き続けていた。

 顔は歪み、四肢は見えない糸に操られるようにぎこちなく動く。

 それでも――少年は一歩も退かない。

 静かに、確固たる意志を湛えたまま、両手で剣の柄を強く握りしめた。

 足元の大地がかすかに震え、血風が吹き荒れる予兆のような気配が満ちていく。

 その時、彼はゆっくりと振り返り、ヴィクトリアに手を差し伸べた。

 唇に穏やかな微笑を浮かべ、低く囁く。

「――この瞬間を、思いきり楽しもう。」

 ヴィクトリアは信じられない思いで彼を見つめた。

 差し出された手と、その微笑のあいだで視線が揺れる。

 背後では嵐と混沌が荒れ狂っているというのに、彼の笑みだけはそれらを凌駕していた。

 そこには、余裕とも挑発ともつかない気配、そして――わずかな誘いの香りがあった。

「あなた……いったい何者なの?」

 彼女の声はわずかに震えていた。

 普通の人間のそれではない――少年の中に潜む、危うくも神秘的な力を、ヴィクトリアは本能で感じ取っていた。

 その瞬間、世界が凍りついた。

 炎は動きを止め、傀儡の嘆きも、蔓の蠢きも消える。

 残ったのは、少年とヴィクトリアの視線だけ。

 空気が抜け落ち、時間が二人のためだけに流れているかのようだった。

 少年は唇の端をわずかに上げ、視線を逸らさない。

 まるで、この終末の世界でさえ、彼を揺るがすことなどできないと告げるように。

 ヴィクトリアの氷のように澄んだ青い瞳に、彼の姿が映りこむ。

 胸の奥で、小さな震えが芽生えた。

 ――そして、その凍りついた瞬間が、歪む。

 まるでカメラが強引に引き剥がされたように、視界がねじれ、夜が黒い渦となってすべてを飲み込んでいった。

 六週間前。

 十六歳になったばかりの九条颯真くじょう・そうまは、本来ならこの終末の混乱とは最も縁遠いはずの少年だった。

 名門に生まれ、東方の大国の駐外大使――九条誠一郎くじょう・せいいちろうの一人息子。

 幼い頃から家の未来を担う存在として育てられてきた。

 柔らかな黒髪に、澄み渡るような鋭い瞳。

 颯真は、生まれながらにして人の目を惹きつける光を宿していた。

 高校の教室で勉学に励む同年代の生徒たちとは違い、颯真はその卓越した知性と驚異的な記憶力によって飛び級し、地元でも国際関係学で名高い大学に進学していた。

 専攻は政治学と国際関係学。若くして学問の世界で頭角を現した彼は、英語・フランス語・ドイツ語・ロシア語・中国語を自在に操る語学の天才でもあり、将来の外交界を担う有望な新星として注目を集めていた。

 国際的な学術界や外交界において、「九条颯真」の名を知らぬ者はいない。国際模擬国連大会では幾度も「最優秀代表」賞を受賞し、父に同行して二国間の非公開ハイレベル会談に臨んだ経験さえある。その冷静さと緻密な判断力に、老練な政治家たちでさえ舌を巻いた。欧米のメディアは彼を「東洋の若き外交騎士」と称え、一族の中では、未来の栄光のすべてを彼一人に託していると言われていた。

 だが、外から見れば天才少年であり、国際舞台に昇る新星であり、一族の誇り高き後継者に見えたとしても、彼にとってその重すぎる期待は滑稽な幻想にすぎなかった。

 他人の願望や理想を押しつけられることに、颯真はいつも冷ややかな視線を向け、自分を誰かの期待どおりに生きるつもりなど毛頭なかった。

 ――しかし、そんな将来有望な颯真には、父が呆れ果てるほどの趣味があった。

 ACGや二次元文化、いわゆる「オタク」の世界である。

 大学寮の西棟、その最奥には、一目で異彩を放つ部屋がある。

 扉には、銀髪に紅い瞳を持つ鎧姿の少女が巨大な剣を構え、背後で炎が渦巻く姿を描いた美麗な手描きポスターが貼られ、ドアノブには「勇者専用 一般人立入禁止」と刻まれた木製の札がぶら下がっていた。

 ドアを開ければ、濃密な二次元の空気が押し寄せてくる。

 部屋の中はアニメやゲームのフィギュアで埋め尽くされ、壁にはメカシリーズから召喚ファンタジーまで多彩なポスターが並ぶ。本棚には原作ライトノベルや設定資料集が整然と並び、隅には等身大フィギュアを収めたガラスケース。

 パソコンの画面には未完成のオリジナルキャラクターデザインが映し出され、颯真は顎に手を添え、巨大な鎌を持つ黒衣の少女を無言で見つめていた。

 こここそが、九条颯真の本当の世界――現実の肩書きとは交わらない、彼だけの小宇宙だった。

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