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13 世界が終わる前に、君と図書館で

 両脇の古びた石壁からは枯れた蔓が垂れ下がり、ところどころの窓枠の隙間からも、腐りかけた蜘蛛の巣のように蔓が顔を覗かせている。薄暗い光の中、石造りの小さな天使像は輪郭を歪ませ、不気味な影を落とし、その唇にはどこか嘲るような冷たい笑みが浮かんでいるように見えた。

 彼はふとヘッドフォンを外した。耳を包んでいた音楽が途切れ、周囲は一気に死んだような静けさに沈む。遠くで断続的に響く低い唸り声と、かすかな金属音だけが残った。それでも颯真は軽く眉を寄せただけで、音量を下げ、頭の中ではどの蔵書を優先して探すべきかを考え始めていた。帰りに炸鶏でも頼もうか、などという考えまで浮かんでくる。

 進むにつれ、図書館へ続く小径では、風もないのに木々の葉がひとりでに揺れ、空気はいっそう蒸し重くなっていった。それでも彼の表情は変わらない。世界の異変など意に介さず、今この瞬間に最も重要なのは、未完成の論文だけだった。

 颯真は図書館の重厚なガラス扉を押し開けた。古びた紙と消毒液の匂いが混じり合った湿った空気が、顔にまとわりつく。彼はヘッドフォンを外して首に掛けると、ロビーに反響するアナウンスが耳に流れ込んできた。

「……関係者の皆様は中央広場へ……いえ、指示を変更します。図書館へ避難してください……繰り返します。教職員および学生の皆様は、直ちに――」

 颯真はわずかに眉をひそめた。スピーカーから流れる女性の声は切迫しており、ところどころ音が割れ、言葉の合間には微かなノイズが混じっている。しかも、前後の避難指示は完全に食い違っていた。

 彼は周囲を見渡す。広大な図書館ホールには人影ひとつなく、いつもカウンターに立っている司書も、行き交う学生も、清掃員の姿さえ見当たらなかった。

 天井に吊るされたシャンデリアがかすかに揺れ、冷たい白色灯が明滅している。まるでホラー映画で、これから何かが起こる直前のワンシーンのようだ。数基の古びたダウンライトが低く唸るような電流音を立て、黄ばんだ光と青白い光が交錯し、だだっ広い空間に砕けたまだら模様の影を落としている。

 颯真は小さく舌打ちし、無意識のうちにズボンのポケットの中で懐中時計を弄った。ウロボロスの紋章が刻まれた冷たい金属の感触が、指先に伝わる。

「この雰囲気……まるで終末モノのゲームの冒頭だな」

 独り言とともに、口元に皮肉げな笑みが浮かんだ。

 彼は足早にセルフ検索端末へ向かい、タッチパネルを点灯させた。画面はゆっくりと立ち上がったものの、ログイン画面のまま固まって動かない。認証情報を入力しても状況は変わらず、画面の縁で青緑色の光輪だけが、心拍のように明滅していた。

「は? フリーズ?」

 低くぼやきながら筐体を軽く叩いてみたが、反応はない。ほかの端末も試してみたが、結果はすべて同じだった。

 その間も館内放送は鳴り続け、今度は――

「……ただちに図書館から退避し、学生活動センターに避難してください……繰り返します、すべての利用者は……」

 という内容が流れてきた。

 颯真は鼻で笑った。聞く気にもならない。彼がここに来たのは論文資料を補完するためであって、避難だの安全確保だのは管轄外だ。彼の信条は昔から一つ――任務優先。

「ほんと、バッドエンド確定ルートみたいで嫌になるな」

 天井を見上げると、老朽化した換気口から微かな気流が漏れ、舞い上がった埃が光の中でふわりと踊っていた。

 彼は受付カウンターを回り込んだが、本来いるはずの管理スタッフの姿はなかった。カウンターの上には、飲みかけのコーヒーが入った紙カップが一つだけ残されている。蓋は脇に投げ出され、縁についたコーヒー染みはすっかり乾いていた。

 管理用端末の画面は警備システムの表示で停止しており、「システム異常」「入退室制御エラー」「内部監視カメラオフライン」といった赤い警告ウィンドウが、次々と点滅している。

「……この警備、ガバガバにもほどがあるだろ」

 肩をすくめると、颯真はそのまま資料エリアへと足を向けた。

 図書館内部の通路は細長く曲がりくねり、両脇には壁のように高い書架が並んでいる。古書特有の黴臭さに、金属とインクの匂いが混じり合い、鼻腔を刺激した。照明は相変わらず不安定で、遠くの一角から、荷重に耐えかねた木製書架が軋むような音が、かすかに響いてくる。

 颯真は両手をポケットに突っ込み、分類ラベルを目で追いながら、聞き慣れたACGのテーマソングを気の抜けた調子で口ずさんでいた。本来なら検索端末で所在を調べるつもりだったが、この状況では記憶を頼るしかない。

「まあ、結局いつも通りか。自力で探すしかないな」

 そう呟き、人気のない書架通路へと折れる。背後で流れ続けていた館内放送は、分厚い本棚に遮られ、意味をなさない断片だけが耳に残った。聞こえないようでいて、完全には振り切れない、不快な残響だった。

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