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12 世界が終わるその日まで、君を愛していた

 颯真が大学の寮を出ると、扉の蝶番が「ギィ」とかすかに鳴った。静まり返ったキャンパスでは、その音がやけに耳につく。空気は張り詰めた糸のように重く、彼の足音さえ異様なほどはっきりと響いた。

 思わず、顔を上げる。

 本来なら澄み渡る青空であるはずの空は、色褪せた古い写真のように黄ばんでいた。湿気を含んだ蒸し暑い空気が肌にまとわりつき、理由のわからない焦燥感を運んでくる。首にかけた高級ヘッドフォンから流れる音楽も、いつもの透明感を失い、どこかくぐもって聞こえた。

「……え? 今日の天気、なんか終末モノみたいじゃないか」

 颯真は鼻梁を押さえ、苦笑混じりに呟く。

 周囲の異様さにもさほど気を留めず、学校の悪ふざけか、突発的な気象異変だろうと勝手に片付けてしまった。今の彼にとって最優先なのは、あと数ページ分の資料が足りない論文のことだけだ。

 白いシャツにジーンズといういつもの格好で歩くたび、ポケットの中の懐中時計がかすかに触れ合い、音を立てる。かつて学生で賑わっていたキャンパスの小道には、今や人影ひとつなかった。

 図書館へ向かう途中、大学の食堂の前を通り過ぎる。普段なら昼時には喧騒に包まれるその場所も、ガラス越しに見えるのは空っぽの席と薄暗い照明だけだ。オレンジ色の吊り灯が滑らかな床を照らし、散乱した食器や倒れた椅子の影を浮かび上がらせている。

 風に煽られて扉が揺れ、「きぃ……」と軋む音がした。その光景は、まるでホラーゲームのワンシーンのようで、暗がりから何かが現れそうな気配すら漂っていた。

 颯真は軽く口を尖らせながら歩き続け、気楽な調子で言う。

「まったく……何やっていんだか。NPCが全員ストでも起こしたのか?」

 相変わらず深く考えることはなく、頭の中ではこれから図書館で調べる資料のリストを淡々と組み立てていた。

 図書館へ続く小径を進むと、両脇に整然と並ぶゴシック様式の石造建築が、薄暗い空の下で中世の廃墟を思わせる厳かな雰囲気を放っていた。ステンドグラスがはめ込まれた高窓からは鈍い光が滲み、修理中のガラス片が風に揺れて「チリン、チリン」と乾いた音を立てている。

 石柱に絡みつく蔓植物は、いつにも増して繁茂し、太く伸びた枝が壁の角や窓枠に食い込むように絡みついていた。それはまるで、音もなく、しかし確実に広がっていく侵食――緩慢でありながら、抗いようのない気配を漂わせている。

 路肩に停められていた自転車が何台も倒れ、いくつかは花壇の脇に投げ捨てられたままになっていた。さらに不可解なことに、淡い水色のキャンパスシャトルバスが、小道の中央を塞ぐように停まっている。ドアは半開きで、運転手の姿はどこにもない。車窓には手形のような汚れが無数に残されており、まるで誰かが必死に叩いて逃げ出そうとし、しかし最後には力尽きたかのようだった。

 颯真はバスのそばまで歩み寄り、何気なくドアを叩いた。車内は無人で、運転席の足元には置き去りにされた水筒と鍵が、そのまま静かに残されている。遠方からは、ときおり低く鈍い轟音が響いてきた。雷鳴のようだが、空には雲ひとつ見当たらない。颯真は眉をひそめ、音のする方角を見やったが、ほど近くに立つ大木に視界を遮られていた。蒸し暑い空気の中、葉はわずかに縮れ、枝の間からは暗紫色の蔓が数本垂れ下がり、血管のようにゆっくりと脈打っている。

 彼は小さく首を振った。ヘッドフォンの中では、現実と幻を切り離すかのように、軽快なアニメのキャラクターソングが相変わらずループ再生されている。

「ちっ……どうでもいい。論文を片づけるのが先だ」

 独り言を漏らしながら、颯真は変わらぬ歩調で歩き続けた。

 得体の知れない違和感が、後頭部を細い針でちくりと刺すようにまとわりつく。それでも、どこがおかしいのかははっきりしない。颯真にとっては、これもせいぜい演出の一部にすぎなかった。現実では、論文の締め切りより重要なものなど存在しないのだ。

 そのとき、彼の視界の端に、道脇の花壇の土がわずかに不自然に盛り上がっているのが映った。暗紫色の細長い蔓が、草むらの中から音もなく、ゆっくりと這い出してくる。瀕死でありながらも執念深く蠢く蛇を思わせる動きだった。蔓の表面は細かな逆棘に覆われ、かすかに脈打つように揺れながら、宿舎の方角へと伸びていく。

 颯真は一瞬立ち止まり、数歩近づいてしゃがみ込み、注意深くそれを観察した。蔓は彼の気配を察したのか、突如として動きを止め、まるで無生物であるかのように静まり返る。しかし、彼が手を伸ばそうとした刹那、蔓は勢いよく土中へと引っ込み、掘り返された湿った土だけがそこに残された。

 片眉をつり上げ、颯真は口元に皮肉めいた笑みを浮かべる。

「ちっ、なかなかやるじゃん。3D没入型の演出ってわけか」

 そう呟きながらも、彼は足を止めることなく、その奇妙な光景を深く気に留めることもなく、図書館へと続く小径を進んでいった。

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