10 新感染 ファイナル・エクスプレス
撤収地点は瓦礫と蔓の残骸に覆われ、焦げた肉と血の匂いが重く立ち込めていた。
ヴィクトリア・ウィンチェスターはヘリの出入口に立ち、深い茶色の長髪を風に荒々しく揺らしながら、氷のように冷たい蒼眼で周囲を警戒していた。
その手にはM4タクティカルライフルが固く握られている。
「中尉。」
九条誠一郎が険しい表情で歩み寄ってきた。スーツは裂け、袖口には血飛沫が乾いてこびりついている。
背後では怯えた表情の職員たちが、次々とヘリへ乗り込んでいた。
ヴィクトリアは敬礼し、きびきびと告げる。
「大使閣下、撤収ルートは確保済みです。どうか速やかにご搭乗を。」
しかし九条誠一郎はその場で足を止め、胸元から古びたスマートフォンを取り出した。
端が擦り切れた機種の画面が、かすかに光を放っていた。
彼は深く息を吸い込み、低い声で告げる。
「ヴィクトリア中尉……この端末には追跡プログラムが入っており、息子――九条颯真の現在位置を辿ることができます」
ヴィクトリアはわずかに眉を寄せて端末を受け取り、その蒼い瞳に複雑な色を宿した。
「……閣下、息子さんが?」
「ええ。今は近くの大学で政治学と国際関係を学び、寮で暮らしています」
九条誠一郎は不安を隠しきれないまま、早口で続けた。
そして深く一礼し、誠意と切実な思いを示すように頭を垂れる。
「幼い頃から聡明で、少し頑固ではありましたが……ACGや二次元文化に没頭するようになってからは部屋に籠もりがちで、わがままなところも出てきまして」
顔を上げた彼は、真摯な眼差しでヴィクトリアを見つめた。
「この災厄はあまりにも突然でした。彼はまだ、外で何が起きているのか気付いていないかもしれません。
ヴィクトリア中尉……どうかあの子を見つけ、北区の安全集合地点まで連れてきていただけないでしょうか。
お願いします」
再び深く頭を下げたその背中には、すべての信頼と願いが込められていた。
ヴィクトリアは焦げつくような地平線を遠くに見やり、しばし黙り込む。
本来この救援要請は作戦任務の範囲外で、余計な介入にほかならない。現場の判断としては即座に断つべき――その思いが胸中で激しく渦を巻く。
大学方面はまだ完全に陥落してはいないものの、モンスターの侵入を受けるのは時間の問題だった。状況は極度に危険で、無闇に踏み込めば、自分も、小隊も全滅しかねない。
彼女は奥歯を噛みしめ、ライフルのハンドガードを強く握りしめると、一瞬だけためらいを見せてから無線機の送信ボタンを押した。
「ファルコン1より司令部。特別任務の許可を要請します。コードネーム──『ターゲット救出』」
無線の向こうで短い沈黙が流れ、やがて司令官のしゃがれたが落ち着いた声が返ってきた。
「ヴィクトリア中尉、許可する。」
彼女は静かに目を閉じ、再び開いたときにはその瞳から迷いが消えていた。
「了解。必ず見つけます。」
九条誠一郎の表情がわずかに緩み、軽くうなずいて小さく礼を述べた。
「……感謝する。」
ヴィクトリアは位置特定装置をタクティカルベストの内側ポケットに収め、氷のような青い眼差しを鋭く戻すと、銃口を下げて言った。
「閣下、至急ご搭乗を。」
九条誠一郎は最後に一度だけ彼女を振り返り、ヘリコプターへと乗り込んだ。
キャビンのドアがゆっくり閉まり、ローターが地面の塵を巻き上げる。強烈なライトに照らされながら、ヴィクトリアの高くしなやかな姿が風に揺れて立っていた。
通信ヘッドセットから副隊長の声が届く。
「中尉、ヘリは離陸準備完了です。」
「放行して。」
ヘリコプターはゆっくりと上昇し、夜の帳へと吸い込まれるように姿を消した。
残されたのは、荒涼とした静寂だけだった。
ヴィクトリアは細く息を吐き、指先でライフルの銃床をそっとなぞりながら、小さくつぶやいた。
「九条颯真……生きていろよ。これ以上、余計な手間を増やすな。」
位置特定装置を取り出すと、蛍光の針がかすかに震え、大学寮の方向を示すマーカーが鋭く光っていた。
遠い空で微かな稲光が走り、廃墟と化した街の奥底からは、再び蔓の蠢くざわめきが這い上がってくる。
ヴィクトリアの氷青の瞳に冷たく鋭い光が宿る。彼女は片手で素早く弾倉を交換し、ライフルを上膛すると、低く呟いた。
「──さて。ここからは私の番だ。」
即座に小隊へ指示を送り、夜の闇と瓦礫の狭間へ溶け込むように姿を消す。
ヴィクトリアは大学方面へ、獣のような静けさと速度で駆け出していった。
はい、というわけで今回の章はここまで!ぜひ次の章をお楽しみに!




