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御館に不審な出入りはなかったが、関を大和へ抜けていった数騎の騎馬があったという。それは特に珍しいことではない。
鬼切部で、先の国司藤原登任は大敗した。大和の朝廷は現国司源頼義に、陸奥守と鎮守府将軍を兼ねさせて、奥六郡の征伐に遣わした。
が、源頼義が陸奥に入境するのと前後して、朝廷は大赦を発した。
高貴なる方の病気平癒祈願であったらしいが、これによって、現在、大和と闇衛は友好的関係となっており、衣川と多賀城の往来制限はかなり緩められている。
戦をするつもりで陸奥守になった源頼義は、戦がないままの任期を終えてもうすぐ京に帰る。その見送りの為、闇衛の御館は先日頼義のもとを訪れて、陸奥守本人のみならず、彼の配下にも、多くの馬や黄金、北方の珍しい毛皮などを贈った。
数日にわたって送別の宴も盛大に行われたが、恙なく終わったからこそ、経清も衣川に赴くことができたのだ。
関を越えた一団には見知った顔があった、という。
藤原景季。
「彼か。」
国司の嫡男の傍仕えであるが、よく連絡役として衣川館にやってきていた。どこから仕入れてくるのか、ひたかみの風俗に造詣が深く、大和の風を強く吹かせてもこない穏健派・・・と受け止められていた。
衣川御館に、訪問の記録はない。なじみの商家や妓館もあるだろう。私用ならば、顔を出さないのは別に非礼でも不義理でもない。
「----他に、いつもと違う出入りはなかったか?」
じりじりと(通常の政務はしているが)待つこと、さらに半刻。
「だれという特定はできておりませんが、」
下働きたちからの話が上がってきた。
「千夜丸さまの館への渡り廊下で、見慣れぬ男がいた、と。」
「ひとりか?」
「いえ、女官の一人と、端の方で話し込んでいたようです。昼日中から逢引かと思っていたようですが。」
ここを焦点にして、情報が入り始めた。
まず、その女官が特定されて、召喚された。
「御方さまからの文を、若君様に持ってきてくださったのです。」
彼女は言った。
「御方様は、若君様をとてもご心配されていると。ですから、若君様のご様子をお伝えください、と話しました。」
かの館の人員はかなり入れ替わったが、全員を替えるのは幼子の情緒によくないだろうと、阿衣に重用されていないから、と残された者の一人だ。
だが、母の不在に泣く子に接しているためか、恨みがましい口調であった。
「それで、その者は帰ったのか?」
「--はい、」
目が僅かに揺らいだのに、鷹里はまさかという思いに貫かれた。
「だれか、千夜丸を見て参れ!」
「若君様はとうにお休みでございます!」
やにわに、女官が金切り声を立てた。
鷹里の言葉を、ただの女官が遮るなど、あり得ない。居合わせた一同から、信じられないものを見る目が女官に突き立つ。
慌ただしく走り去る足音。鷹里は立ち上がり、唇を引き結ぶ女官を見下ろした。
「風織姫を連れ出したか?」
「藤原説貞さまのご息女ならば、お迎えが来られました。」
ぎょっとするほどにふてぶてしく、女は鷹里を見上げた。
「行方知れずの娘が、まさか衣川にいたと表ざたになれば、戦の種にもなりかねぬと御方様は案じられたのです。若君様のためにも、娘を衣川から内密に連れだすよう心を砕かれたのです!」
「----連れ出した・・・?」
漸く風斗が反応した。何かを確かめるように呟く。
「早桜を、連れ去った?」
慌ただしく、走り戻ってくる足音。
「千夜丸さま、館におられません!! 」
「女!?」
鷹里の怒号。
「存じません。」
女官は顎を上げた。
連行しろ、と鷹里が命じるのに、大和に嫁ぐことになっているのだから!と免罪符にしようとしていることが理解できないことを喚き散らしながら、連れていかれた。
「----結婚をちらつかされて、手を貸したというところか?」
「藤原説貞とは多賀城の者ですか?」
鷹里は経清に説明を求めた。
「東国で、源家の代官を長くしていたそうだ。その功で、こちらに領地を与えられて、先ごろ一家で移ってきた。当主は、国司様と同年代で、わたしたちと同じくらいの息子二人と、少し離れて、娘がいるそうだ。説貞どのには多賀城で挨拶を受けたことがあるが、その子息に面識はない。娘御は、・・ああ、こちらに来てから体調を崩して館で療養しているとか。」
思い出したことがあった。
「国司様が、嫁ぎ先を探してやろう、と言っていて。景季どのも候補に挙がっていたな・・、」
尖った空気が、不意に立ち上った。
「馬と侍を、至急調えさせよ。」
「兄者?」
「----追う。」
誰の。とは問えなかった。足早に出ていく兄の背を追いながら、もう一つの失踪に対応すべく指示をだす。
「柳里に、錠屋に向かうよう伝えるように。幼子連れだ。そうは急げぬ。うまくすれば、道中で抑えられる。」
今日、在館している弟の名をあげて、対応を一任した。
成り行き上同席していた経清は、連れて立ち上がったものの、ここで見送るだろうと思われた。
しかし、一つ目の角を曲がる前に追ってく足音が聞こえて、正直鷹里は驚いた。
「これから追えば、どうしたって追いつくのは大和に入ってからになる。いま、安倍貞任が、多賀城の部将と事を構えることになるのはマズいだろう? 」
闇衛の婿とはいえ、経清の身内はあくまで多賀城だ。その忠告が、あたりを憚るような小声になるのは当たり前だ。
「国司さまの任期は、あと僅か。舅どのがいかに堪えて、送別の宴に侍ったか分からぬわけではあるまい。その、舅どのの苦労を無にすることになる。」
功名を上げるつもりで陸奥にやってきた源頼義だが、その目論見は、味方が発した「恩赦」によって阻まれた。
ただの偶然か、頼義の勢力を伸ばしたくないいずれかの公家の差し金か、はたまた闇衛の調略か、ただの部将に過ぎない経清の知るところではない。
分かっているのは、頼義がずっと開戦の機会を探していたことだ。そして、その糸口を見つけられないまま、陸奥を手放さねばならぬことに苛立っていることだ。
送別の宴に来た闇衛の御館に、様々な難癖、屈辱を与えて、きっかけを作ろうとしたが、安倍頼時はよく耐えた。
もはや、これまで、という時に----。
「説貞どのの息女だというのなら、手荒には扱わぬはずだ。真偽も所在も、わたしが調べてくるから、闇衛は動かぬ方がいい。」
風斗の足は止まらない。鷹里を追い越して、経清は風斗の腕を捕らえた。「空里」と声にはせず、その名を呼んだ。
「偶然とは、とても思えぬ。」
「…そうか、」
心在らずに返す瞳を、強く覗き込んだ。
「自ら戦を呼び込むのか!?」
「歴史」ターンですので、歴史情報多めです。




