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「私に聞くな。」
この近しさは、いい加減不審、そして危険だ。経清は殆ど威嚇のように、目に力を込めて素っ気無く言い返す。
「先にも申し上げたが、貞任どのが奥六郡に戻り穏やかに過ごされるなら、風織姫の仕業で宜しいのでは?亅
「その娘に溺れておいでなのだぞ!? 戻られたところで、傍から離さぬとあっては、世はますます乱れようものだ!」
「これはしたり。風織姫が降臨されて後、風斗は精力的に執務に臨まれております。」
鷹里の目の下の隈が少し薄れて、肌艶も良くなって…いる気がする。
「良かったなあ、」
と、思わずという調子で守衡がこぼした。
「身から出た錆ではあったけれど、過労で若死にしかねなかったよな?」
「手厳しいですな。」
次子としての元々の政務に、風斗が放擲した仕事(総てではない)が加算されていた訳だから、それは顔色が悪くなるだろう。
「でも、おかげさまで。朝餉の後、じゃあ、風斗はお仕事だね、と彼女が送り出して下さいます。」
「執務室には連れ込まない?」
「そこに行くのは違うんじゃないかな、とにっこりされてました。」
「さすが神姫、弁えておられる! 風斗を導けるのは、やはり姫だけか。」
妙な持ち上げ方だが、遠巻きに様子を窺う通りがかりの民には入りやすい言葉らしく、好意的に頷く様子が見て取れた。
「我等にすればなんで今頃、でも、天の国と地上では時の流れは違うようだから、姫にしてみれば可及的速やかに、かも知れぬ。」
「都合よく考えられるものだ。」
と、錠屋は忌々し気に掃き捨てたが、そこでむっつりと口を結んだ。
「――有夏はそうびの館かな?」
いつまでも付き合っていられるか、と確認というよりその場を立ち去る口実に、鷹里へ問う。軽く鷹里が頷いて肯定するのに、守衡が言葉を重ねた。
「では、オレも同行う。」
「ひとりで来い。っていうか、あんたははるばる誰に会いにきたんだ?」
経清は早くそっちに行け、と厭味の棘を立てたが、
「ああ、もう会って来ている。」
「はあ!?」
北門から入って、南門に居るということは、御館を突っ切ってきたことにはなるが、詐欺だ、と思わず睨みつけた。
「すっかり信じ切っているのは確かめたから、次は己の目で確かめるべく姫の御座所に向かうところで、有難い通行手形と出くわしたわけだ。」
彼らの滞在用として建てられた館に経清の出入りが制限される謂れはないが、
「なにが通行手形だ。預名方なら簡単に取り次いでもらえるだろ。」
ああ、と得心したような声を上げた鷹里に、わが意を得たりと守衡は軽く肩を竦め返す。
「執務を片さないと動けないというから、じゃあ一足お先に姫のご機嫌伺いを、と言ったら、何てお答え下さったと思う? 言葉を交わせる訳でもない、ましてや絶対に触れられないオレと姫が、やむにやまれず牛車に同乗しただけでへそを曲げていたっけな?」
確かにそんなことも、と危く頷きかけた。いやいや、な、ではない。
「・・・仕事を片付けたら一緒に行くから、そこで待っていろ?」
「俺が早桜と引き離されているのに、どうしてお前が会うんだ云々、」
ただの仕事中である。
「なら、仕事後まで待ってご一緒しても?と一応、預名方らしく主を立ててみたのだけれど『「お前が顔を出したら、早桜はお前と話して、俺と話す時間が減るだろう?』と、おっしゃるので。」
鷹里は天を仰ぎ、経清は苦笑いだ。
「『了解しました。では有夏どのにご挨拶して来ます』。風斗たる尊き方の口が発したにしては、いささか品位に欠ける言葉を背で聞いた気もするが、空耳だろう。」
面従腹背、いや、いっそ敵対関係かとばかりの物言いである。
一方的に身を捧げるような、そんな簡単なヤツに興味を示す彼でもない。「寵愛」を(それを受けるに相応しく、守衡の優先順位の頂点は彼のものだが)自らの足元を固める礎に変換するしたたかさを、むしろ好んでいるだろうが、
「――手厳しいな。」
彼らはこういう間柄だ、と理解を示す関係者だけならともかく、慄きまくる周囲には、讒言か寵を笠に着ていると反感の種にならぬかと、場をいなす様に返した。
「そも浪費できる時間も体力もオレは持ち合わせていない。」
ひたかみ第二の大族の後継の立場で、貿易船団の頭領を『趣味』(実益もあるが)にしている、決して閑のある男ではない。それでも、彼のために無理を押して駆けつけたのだ。
「遠慮していては身がもたん。」
きっぱり言い切る守衡の言にこそ身に覚えがある経清である。
「確かに。」
つい真剣に頷いた経清は、観念したとばかりに行く手の側の肩を軽く揺すった。そちらに守衡が肩を並べる。
「本当のところ、あんたは信じているのか?」
歩き出すと人垣は自然と割れ、彼らの行く手を開けた。横目に、軽い会釈を寄越した後、鷹里がさすがの義務感で錠屋富忠に話しかけるべく動き出すのを映す。
「さてな。こんな夢のような話があっていいのかと思うが・・・存在自体が夢のような方だ。何があって、何がないとは言い切れん。だから、自身の目で確かめる。」
「確かめて、もし早桜どのでなければどうするんだ?」
その女を叩き出すのか、彼の目を覚まさせるべく尽力するのか。
「あんたも言ったろう? 風斗にとって、正しく風織姫であるのなら、オレはその中身にはこだわらんよ。有夏姫がお連れになった『風織姫』は、とにかく見事に取り戻してくれた。風織姫の資質は十分だ。現在のところは。」
あっさりとした物言いだ。
「勿論、早桜姫はお懐かしいし、お会いできるのならそれに越したことはない。」
「同意する。」
経清は、に、と笑って言葉を続けた。
「今から会うのが、早桜どのであるといいな。」
守衡は虚をつかれた顔で隣を歩く経清を見やった。
「そう、聞こえた。」
「…そうか、」
釈然としないようだが、どこか嬉しそうでもある。
「敵多そうな立場のくせに、なんでこう反感を買いそうな物言いをするかね、あんた。」
勿論、簡単に足元を掬わせてず、却って掬おうとした輩を、這い登れない位の深い穴へ蹴り落として高笑いしそうではあるが。
柔らかく何かを滲ませた顔を、一呼吸で守衡は彼らしい人の悪い笑みで塗り替えた。
「何せ、ただ一人で預名方をやってるものでな。そろそろ、観念したらどうだ?」
む、と露骨に嫌がる様子に構わず、ぐいと肩を引き寄せた。
「さだめってのはあるんだと、オレはあんたを見ていると感じるがね。」




