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経清が十歩ばかり妻の下へ距離を縮めた時、また新たな訪問者が何とも荒々しい勢いで大門に馬を乗り入れたのである。
反射的に新参の一団を見遣った経清は、見た顔だと思い、だが誰かは思いつかぬうち、門衛が答えをくれた。
「錠屋さま!」
有夏との婚儀の席だ。闇衛の一支族・錠屋富忠。彼は貞任の舅にあたる。
五人の郎党を連れた壮年の男はむっつりと唇を結んで、いかにも不機嫌な様子だ。
安倍の直系男子を産んだ正室の父である。衣川館での権威はさぞと思えるが、子を為したとはいえ、婚礼の晩ただ一夜のことで後はまったくかえりみられていない、というのは多賀城にまで公然と知れ渡っていることだ。
しかも貞任に近かったものほど、貞任を篭もらせた原因は彼女にある、と思っている節がある。貞任の意を無視して婚姻を進めた彼らが、彼らの選んだ彼女が貞任の心を掴めなかったからだ、というのは責任転嫁もいいところだ、と部外者である経清は思う。だが、結果として貞任を喪っている彼らの傷みの矛先が彼女にいささかきつめに向いているのは事実だった。
そんな訳で安倍の舅となっても、特権を得られた訳もなく、むしろ肩身も狭いのか、婚姻前の精力的な来訪が幻のように足が遠のいている、というのが有夏の冷ややかな情報だ。
それがなにを血相を変えて駆け込んできたのか。
つい長々と視線を向けていたから、肩を怒らせて行き過ぎようとしていた富忠がさすがに気づいて足を止めた。
「――これは・・・亘理どの。」
経清の姓は藤原だが、国府に藤原は両手で余るほどいるから、所領の地名で呼ばれるのが慣例だ。
「またお迎えですかな。ご苦労様なことで・・・全く、しっかり嫁御の手綱を握っておいていただきたいものですな。」
殆ど面識が無いに等しい相手の険のある物言いだから、経清は非礼を怒るより呆気にとられた。
「有夏に御用事ですか?」
とはいえ、妻をあしざまに言われて黙って通すことはできない。
有夏の説明を聞く前に、吐いてもらうか、と決めて、安倍の兄妹を通しての縁者に相対すことにした。
「いつもより少しだけ長めの滞在でしたので、何かあったかと道中案じておりました。」
何事でしょうね、とのんびりと首を傾げてやれば、案の定、苛立った視線が突き立った。
「何を呑気な・・・あなたが、そうやって気ままを許されるから、また、やって下さったのだ。しかも今度は見事に誑かして下さった!」
経清は疑問符を面に貼り付けた。誑かす、とは穏やかでない。しかも、
「また、とは?」
「あぁ、亘理どのとの婚姻以前でしたな。ご兄妹方が謀って、恐れ多くも風織姫の名を騙らせた女に風斗を篭絡させ、お心を取り戻そうとされましな。これは一瞥も無く失敗したのですよ。」
やりかねないな、と思い、顛末はだろうな、と思う。顔には勿論出さない。
「そのようなことがございましたか。」
「ございましたか、ではござらぬ! ほとぼりがさめたと思ったのか、復た企み、しかも! 今の度は情けなくも風斗は誑かされ、騙り者に、ひたかみ中から衣や財をかき集めて与えているという・・・!」
耳を疑った。
「風織姫が、再び現れたと?」
「騙りですとも!」
錠屋富忠は声高らかに断言した。
「今更! しかも有夏どのが出会われてお連れしたとか。そんな出来すぎた話があると思われますかな?」
「・・・さ、いや、風織姫は――つまり、・・・、生身で現れたと?」
快活に笑う、だが人の風情とかけ離れた往時の少女の姿を思い出し、それが当たり前の質感を持った様を想像しようとしたが、ぴんとこなくて首を捻る。
「都合の良い話ではありませんか!」
あたりをはばからぬ、というか、あたりに聞かせたいのだろう大声だ。
「風織姫を想われて、風斗が多少鬱々とされるのはやもう得ないことかと思っておりました。しかし、風斗が風織姫を忘れられてというのならばともかく、どこの馬の骨ともわからぬ娘が風織姫などと騙って大きな顔をするなど、風織姫に対する冒涜ではありますまいか。恐れながら舅として一言意見を申し上げるべきと参上仕った。」
正義は我にありとばかりにまくし立てる富忠に、はあ、と曖昧に返した経清は胸内では「舅ねぇ」と面には出ない冷ややかさで呟いている。
いまさら舅顔するのなら、何故さっさとしなかった。己が決めて嫁がせた娘が、この御館でのどれほど微妙な立場なのか、多賀城の人間が知るくらいだというのに、今日まで文句の一つもつけなかったのは、男の保身だということは明らかだ。
娘はただ一人の世継の御子を既にもうけている。風斗はまったく関心を示さないが、積極的に彼女を排除したり、別の女を近づけることもない。ならば下手に対立して決定的な決裂を言い渡されるより、沈黙して現在の立場を守った方が良いと、人身御供よろしく、娘の心細さにもとりあわず。
それが出張ってきたのは、あらたな寵姫が現れたことで、唯一の世継の御子の祖父という自分の立場が侵される可能性を計算したからだ。
それが経清の穿った感想でないのは、観衆のどこかしらっとした顔つきからも確かだった。
「成程、それで長く厨川に籠っていた貞任どのが衣川に留まっておられると。それは、おめでたいお話ですな。」
薄い笑みを刷いて、言を継ぐ。
「次期当主どのの長き不在は、奥六郡の安定を欠くものではないかと多賀城でも案じられておりました。我があるじにも、貞任どのの御帰還をさっそく告げねばなりますまい。」
武勇高き貞任の不在は、大和にとって望むところであった。そのまま退場してくれるのが、更に望ましかったが、とうとう最前線に戻ってくると言うならば、早急に対応を協議する必要がある。
「いや、お待ちを、」
錠屋は、縁戚ではあるが、相手との利害関係が抜け落ちていたらしい。俄かに焦った顔だ。
「風斗が、ずっと留まられるとまだ決まったわけでは、」
「しかし、貞任どの----風斗の帰還は待ち望まれていたのでしょう? 我が妻が、身代わりを立てても連れ戻そうとするほどに? その風織姫を名乗る娘が、本当の風織姫かどうかは、わたしには判断できる由はありませんが、」
梢を風が揺らす。新緑の木漏れ日が、二人の周りに細かな影を散らして、複雑な模様を、万華鏡のように織りなしている。
「妻が申しておりました。風織姫は風斗とひたかみを繋ぐ者だと。だとするならば、いま、風斗を連れ戻したその娘は正しく風織姫なのではありませんか?」
少しずつ、改変しながら進めています。
重ねて申し上げますが。
この人だれ、と思われた方は「いざよひ断章」をどうぞ。経清と風斗、経清と有夏の馴れ初め編です。




