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第39話 泥を泳ぐような

 古岩綾乃は考えた。

 ファミレスで理央に散々言われた後、考えに考え抜いた。

 一体、自分は何をしたいのだろうか? と。


「んんんー?」


 日課の筋トレをしながら考えた。

 明里と共にバドミントンをしたかったのは事実。それは間違いない。一緒に部活動が出来れば、理想的。その理想はさながら、青春スポーツ漫画のように煌めいていただろう。

 けれども、それはきっと強制することではない。

 誰かを傷つけたり、明里が望まないことさせるようでは、綾乃が望んでいた理想的な生活は送れない。

 当たり前のことだ。

 ろくでもない手段で手に入れた理想なんて、その時点で理想とは程遠い、ろくでもないものに成り下がってしまうのだから。


「ぶくぶくぶくー」


 湯船に沈みながら、綾乃は考えた。

 では、自分が納得するためには何をすればいいのか? と。

 そう、結局は納得の問題だ。

 綾乃は明里の現状に納得できていない。何がどうして、あの強かった明里がバドミントンを辞めたのかも、明里が今、楽しそうにやっているのかも。何もかも、全然知らない。だから、納得できていないのだ。


「むむむむ…………ぐぅ」


 布団に入りながら、綾乃は考えた。

 考えている途中、うっかり熟睡した。それはもう、夢すら見ないほどぐっすりと眠っていた。気づけばいつの間にか、カーテンの隙間から朝日が差し込んでいる。寝不足からは対極にあるような、健康的な熟睡だった。


「んんんー、よしっ!」


 起き上がった綾乃は、ゆっくりと背伸びを一つ。

 肩を回して、首も回して、背中も回して、すっきりとした頭で思考を回す。

 そして、昨晩あれほど悩んだ問題に対して、あっさりと一つの結論を出した。


「とりあえず、思いっきりぶつかってみよう」


 自分の想いを全力で伝える。

 まず、それから始めるべきだったのだと、明里と直接向き合うことを決めたのだった。




「龍宮寺さん。私と、本気で戦ってください」

「いいわ。ちょうど誰かをぶちのめしたい気分だったの」


 そして、その結果がこれである。

 綾乃は頑張った。性根が根暗だった所為で、今まで明里とろくに話す機会も無かった綾乃が、よりにもよって即断即決をしてしまった。

 話し合う場を用意すると告げていた理央の言葉も忘れて。

 明らかに早すぎる時間に、学校へ登校して待ち伏せして。

 いざ、明里が校門前までやって来た時、前置きも何も無しに言葉を告げた結果が、先ほどのやり取りである。


「あ、ありがとう!」


 ぱぁ、と笑顔で礼を言う綾乃。

 この時、綾乃は勘違いしていた。とても重大な勘違いをしていた。明里に対して、きちんと自分の意志が伝わっているのだと。

 ――――明里が自分のことを覚えていると、勘違いをしていたのだ。


「礼なんて要らないわ。それよりも早く行きましょう……ここだと人目があるわ」

「人目……えっと、うん? そう、だね? じゃあ、放課後に体育館で――」

「今から校舎裏で決着を付けましょう」

「今から校舎裏で!?」

「安心しなさい。三分もかからないわ」

「早すぎない!? えっと、流石にそれはラブゲームでも難しくないかな!?」

「ふっ、ラブゲーム……つまり愛を競い合う戦いというわけね? 色恋沙汰ではないと思っていたけれども、どうやら私の勘違いだったみたい」

「ねぇ、違う意味で勘違いしてない!?」

「さぁ、行きましょう。古岩綾乃さん……その長身から繰り出される打撃。かつて妖怪とさえ呼ばれた問題児――――相手に取って不足は無いわ!」

「ファイティングポーズを取った!? 違うよね!? やっぱり勘違いしているよね!?」

「理央は渡さないから!」

「ほら、やっぱりぃ!」


 その後、衆目が集まり始めた正面玄関から明里と共に離脱して、綾乃は最初から事情を詳しく説明した。

 理央を経由すれば起こらなかった勘違いを正すため、一から十まで全部。

 中学生時代、バドミントンをしていた明里に憧れていたことも。

 高校に入ってから、ずっと一緒に明里とバドミントンをしたかったことも。

 その想いが暴走して、理央に迷惑をかけてしまったことも。

 理央に説教を受けて、ようやく自分の想いに向き合えたことも。

 恥ずかしげもなく全部晒した上で、綾乃は改めて自分の想いを口にする。


「――というわけで、その、ね? もう、龍宮寺さんをバドミントン部に所属させよう、とかそういう気持ちは無いんだけど。せめて、自分の想いと決着を付けるために、バドミントンで勝負がしたかったんだけど……えっと、何か釈然としない顔しているけど、大丈夫?」

「…………バドミントンで、勝負? 喧嘩じゃなくて?」

「待って、龍宮寺さん。なんで私と勝負という話になって、一番に思いつくのが喧嘩なの? バドミントン部だよ、私」


 しかし、肝心の明里からの反応は微妙なものだった。

 さながらカレーと思って出されたものが、ハヤシライスだったような。オムライスだと思っていたものが、オムレツだったような。掠ってはいるものの、それじゃなかったような釈然としない表情である。


「ごめんなさい、古岩さん。正直、あまり話したことのない貴方の情報は『地元の男子が恐れる巨大妖怪』くらいしかなかったの。だから、普通は喧嘩になるのかなぁ、と」

「えっ、嘘だよね!? なんで小学生時代の暴れん坊エピソードが先に!? ほ、ほら! 地区大会で戦ったことあるよね!? バドミントンで! 私たち!」

「…………ああ!」

「そのレベル!? たっぷり数秒間、記憶を漁らないと出てこないレベルなの!?」


 もはや泣きそうになっている綾乃へ、明里は微妙な笑みを浮かべたまま答えた。


「古岩さん、大変申し訳ないのだけれど、その……正直、古岩さんよりも印象深い対戦相手がたくさん居るというか。県大会の上位とか東北大会で戦った相手なら、まだもうちょっと覚えているのよ? でも、地区大会で一度だけ戦った相手は薄ぼんやりというか」

「ごふっ」

「あ、でも、違うの! 今は違うわ! バドミントン部で古岩さんが期待の一年生扱いされているのはわかっているから! 決して、貴方を侮っているわけじゃないから!」


 当初、敵意満点だった明里からの、微妙な申し訳なさが含まれた気遣いの言葉。

 それは綾乃の精神を打ち砕くのには十分過ぎる威力だった。

 冷静になって、『客観的』になって考えれば、当然も当然の結論。

 仮に、青春スポーツ漫画の世界ならば、主人公が地区大会で戦った相手――しかも、試合内容が省略されるような端役は覚えていない。

 もしも、綾乃が逆の立場だったのならば、明里とは異なり、思い出すこともできなかっただろう。

 だからこそ、綾乃は自分がどれだけ思い上がっていたのかを理解した。

 理解して、恥ずかしさの余り、顔がかつてないほど赤く染まっていた。


「それにね? 正直、私もブランクが結構あるから。自分のラケットも親戚の中学生がバドミントンを始めるからって譲っちゃったし」

「えっ」

「だから、本当に本当の話――――今の私、そこまで強くないと思うけど、それでもバドミントンで勝負する?」

「…………」


 綾乃はぷるぷると肩を振るわせた後、なけなしの精神力を絞って頭を下げた。


「勝負、して欲しい。ラケットは、私の予備を貸し出すから」

「あ、うん。わかったわ」


 かくして、いまいち因縁の関係とも呼びきれない二人の戦いは、微妙な雰囲気を漂わせながら予約されたのだった。



●●●



 靴底がコートの上で、きゅきゅっと鳴る音。

 シャトルがラケットに当たり、すぱんと飛んでいく快音。

 周囲の部員のざわめく声。

 綾乃はそれらが嫌いではなかった。

 積み上げた努力の証拠として、賞賛してくれているように聞こえるから。


「…………はぁ、はぁっ」


 しかし今、それらの音が綾乃を癒すことは無い。

 どれだけ鋭く靴底を鳴らしても、まだ遅い。

 どれだけ快音を響かせようとも、まだ温い。

 周囲のざわめく声は、綾乃への賞賛ではなく、対戦相手への畏怖だ。


「古岩さん。そういえば訊くのを忘れていたけれど……これは1ゲーム勝負?」


 ネットの向こう側。

 学校指定のジャージに、借り物のバドミントンシューズ。ラケット。数か月のブランク。

 そんなハンデを積み重ねてもなお、凛々しく勝利を勝ち取る『怪物』の姿が、そこにはあった。


「…………は、はははっ。まさか」


 綾乃は『怪物』――明里の問いかけに、額の汗を拭いながら答えた。


「最後までやろう。公式戦と同じ、3ゲームマッチ、2ゲーム先取で戦おう」

「そう、わかったわ。それじゃあ、頑張らせてもらうから」

「……ふ、ふふふっ」


 タオルで汗を拭いながら、コートを移動する明里。

 その所作の美しさに目を奪われながらも、綾乃の心胆は冷え切っていた。

 七点差である。それだけの差を付けられての敗北である。

 しかも、明里はつい最近までバドミントンを離れていた相手だ。そんな相手から、曲がりなりにも毎日練習を重ねていた自分が、この点差を付けられて敗北している。

 この事実に、綾乃は憤死しそうなほどの自己嫌悪を抱いていた。

 ――――何が、ライバル?

 ――――何が、勝負?

 ――――何が、全力でぶつかる?

 勘違いだ。何もかも勘違いだ。勘違い甚だしい。

 強くなっていたつもりだった。多少なりとも周囲から認められたが故に、明里とも今度は対等に戦えるのだと思っていた。それどころか、ブランクのある明里を気遣うぐらいの気持ちでいた。途中で怪我をしないかと心配すらしていた。

 それが、この醜態である。

 まったくもって、なってない。無様にも程がある。


「ふ、ふくくくっ」


 笑えてくるほどに現状は最悪で、絶望的だった。


「じゃあ、2ゲーム目を始めましょう」

「…………うん、やろう」


 そして、試合は再開される。

 シャトルは打ち出される。コートの中で、二人の選手は甲高い足音を響かせながら、動き回る。互いの集中力が増していき、時間の流れが遅くなるような感覚に身を委ねる。

 試合の中では、弱音に浸る暇すら得られない。

 高速で打ち出されるシャトル。

 交わされた視線の中で混ぜ込まれるフェイント。

 こちらの渾身のスマッシュを、平然と打ち返すディフェンス。

 龍宮寺明里という怪物は、鈍ってもなお、強者として君臨していた。

 もっとも、これはあくまでも綾乃視点。

 明里からすれば、『いやいや、私程度が怪物なんて呼ばれていいわけないじゃない。そういうのは全国区の上位組に向けられるものだから』と肩を竦めるだろうが。


「はぁ、はぁ、はぁっ」


 しかし、主観として綾乃にとって明里が怪物であることは変わりない。

 戦えないわけではない。まったく敵わないほどの力量差があるわけでもない。こちらがラリーで勝利することもある。それでも、技術面で何枚も上回られ、苦労して取った点を綾乃の気力を刈り取るように取り返される時もあるのだ。

 さながら、今の綾乃にとって、コートの中は底なし沼に等しい。

 足掻けば足掻くほど、泥の中に沈んで行き、気づけば敗北の中で動けなくなる。

 そう、つまりは。


「――――なんだ、あの時と同じか」


 最初に明里と戦った時と、何も変わっていない。

 ならば、やることは一緒だ。けれども、モチベーションは真逆だ。


「やろう、最後まで」


 小さく、自分にも聞こえるかどうかわからないような声で呟いて、綾乃はラケットを構える。息を整える。泥の中で足掻き、苦しみながら進む覚悟を決める。

 かつて、明里に強いと賞賛された時のように。

 格上の強者と戦う時と同じように。

 粘って、粘って、粘って、相手を泥の中に引きずり込む。


「私が勝つために」


 今の綾乃は、勝利のためならば泥仕合も厭わない。

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