第30話 私のヒロイン
異性の先輩の家に泊まり込むのは、やはり問題ではないか? と理央は悩んだ。
けれども、何も二人きりで泊まり込むわけではない。他にも家族が住んでいる家に、少しの間、お邪魔する形で泊まり込むのだ。
ならば大丈夫ではないか? と理央は自分を納得させようとした。
押し切られた形にはなったものの、約束は約束。緊急の用事があるのならばともかく、いきなり『やっぱりなし!』と撤回することはしたくない。
色々と問題が多いような気もするが、それでも約束は約束だ。可能な限りは守りたいというのが理央の心情だった。
しかし、そこまで考えたところで理央は思いつく。
そもそもの話、この泊まり込みは実現不可能ではないか、と。
何せ、理央も瑞葉も未成年の高校生だ。互いの意志だけで外泊が決まる立場ではない。ましてや、片方の家に泊まり込むことになるのだ。本人同士ではなく、ある程度、本人の家族間でも連絡を取り合わなければ難しいだろう。
故に、理央は瑞葉へと如何にも真摯な態度で、その問題点を告げて。
「よしっ! うちの両親も霧崎君の両親もオッケーだって!」
「えっ?」
結果、瑞葉の交渉により、互いの家族公認で泊まり込みが行われることになった。
「今回の短編作品のテーマはね、才能と恋愛なんだ。全体的な雰囲気として、ビターエンドをプレイヤーの頭に意識させるようにしておくの。そして、一旦、エンディングっぽいフェイントを入れつつ、本当のエンディングには伏線を全部回収して大団円。文句なしのハッピーエンドに叩き込む。短編だから伏線の入れ方には工夫が必要だけど、むしろ、短編だからこそ許される『作品の雰囲気をあえて自らぶち壊す』という手法を用いてみたくてね! 無論、これにはプレイヤーが納得して『これ以外はあり得ない』と思わせる物語の説得力が肝心なんだ! だから、信頼できる読み手による徹底的な推敲を頼みたいの!」
異性の先輩の家に泊まり込み。
異性の先輩の部屋で二人きり。
如何にも青春が始まりそうなシチュエーションではあるが、そんなシチュエーションを持ってしても、なおも希釈しきれないのが瑞葉の熱意である。
「この手の仕掛けはね、絶対に独りよがりになってはいけないんだよ。だから、私以外の視点が絶対に必要。でも、『信頼できる読み手』じゃないと、返って物語の完成度が落ちてしまう。他者の視点と考えを取り入れるっていうのは、さながら輸血にも似ていてね? 人によってそれぞれ、合う合わないもあるし、無理に合わない意見を取り入れると物語が破綻することも良くあることなんだ。だから、肝心なのは相性。私と霧崎君、この相性の良さがどれだけなのかを確かめる意味も込めて、私はこの短編のシナリオを書いたと言っても過言ではないね!」
理央が瑞葉の部屋に入ってから、十分も経たずにこの有様だった。
泊まり込む上での簡単な注意点。食事の時間や、理央の一時的な寝室となる場所などを伝えた後から、ノンストップでこの状態だった。
自らのノートパソコンの画面を見せながら、ああだこうだと早口で押しつけがましいほどの言葉の奔流を浴びせかけている。
ただ、理央はそれ自体に関して文句は無かった。
あまりにも早すぎる作業開始?
それだけ真剣なのだろう。
早口な説明?
大丈夫、聞き取れている。
押しつけがましい言葉。
むしろ、望ましい。どんどんと押し付けてくれて構わない。
泊まり込むと決めた時点から、理央は覚悟を決めていたし、そもそも既に瑞葉の本気を受け入れている。
この程度のことで圧倒されるわけがない。
「というわけで、霧崎君! 早速、私のシナリオを読んで欲しい! あ、でもそうだよね。読み込むのにもこのままだといけないから、今からプリンターで印刷を――」
「悠木先輩」
「うん! 何かな!?」
「近いです」
「えっ?」
従って現在、理央が大変困っているのは別のことだ。
精神的な意味での距離感でも、滝のような情報量の言葉でもない。
物理的な意味での距離感で、わき腹に押し付けられる豊満な胸部の感触こそが、理央にとっての一大事だった。
「もう少し、物理的に距離を取りませんか?」
「えっ? あの、えっと、私のこと、嫌い? やっぱり、うざい?」
「違います、そういうことではありません。むしろ、その熱意は僕としては好ましいので全然そのままでも構いません」
「えへへへ、そっかぁ! じゃあ――」
「ですが! でぇ、すぅ、がぁっ! 健全な創作活動をしている男女として! 体が密着する距離感は適切ではないと思います!」
「そうかな?」
「そうです! 具体的に言えば、胸が当たっています!」
恥ずかしさを押しての、理央からの必死の訴えだった。
理央としても、できれば瑞葉が自分から気づいてほしい問題だった。
流石に、異性の先輩と二人きりで部屋に居るという状況で、『胸が当たっていますよ』などという指摘はしたくない。だが、指摘をしなければ今度は違う問題が起きてしまう可能性があるので、苦渋の決断だった。
「あっ、ご、ごめんね!」
そして、苦渋の決断をした甲斐があってか、ようやく瑞葉は理央から離れる。
先ほどまでとは別の意味で頬を赤くしながら、やや過剰なほどに。
「悠木先輩。僕は悠木先輩と話し合うのは好きですけど、その、こういうことをされると、僕も健全な男子ですから。色々と困ってしまいますよ?」
「う、ううっ、本当にごめんね? 駄肉を押し付けてしまって!」
「いや、別に駄肉というわけでは。むしろ、押し付けられてラッキーと思うぐらいには素晴らしいものなので、そこら辺は卑下しなくても」
だからこそ、理央もつい口が滑ってしまったのだろう。
明らかに、言わなくていいことを言ってしまった。瑞葉があんまりにも恐縮しているものだから、ついついフォローのつもりで余計なことを言ってしまったのである。
ただ、理央自身はそのことを正しく理解していない。
口が滑ったという自覚はあるが、それはあくまでもマナーやエチケット的な意味でのこと。フォローするにしても、女性のセンシティブな部位に言及するのは駄目だったかもしれない、という反省だけがあった。
「ああいや、すみません、悠木先輩。セクハラのつもりはありませんが、さっきの発言は少々、僕の配慮に欠けていて――」
「え、じゃあ、霧崎君は胸を押し付けられても得するってこと?」
故に、トランス状態で思考がぶっ飛び始めている瑞葉の結論に、一瞬で置いて行かれる羽目になった。
「ん? あれ、おかしいですね? 何か今、悠木先輩が変なことを口走ったような?」
「霧崎君が得するなら、今後はあまり気にしなくてもいいんだね! よかったぁ!!」
「んんん??? あの、悠木先輩? どうしました? 急に知性を失いましたか?」
「いや、私は極めて理性的だよ? 正直、邪魔くさいこの脂肪の塊を気にしなくて済むなら、今後の私たちの活動効率が各段に上がるはず」
「はい、駄目ですぅ! 僕が超気にするので駄目ですぅ!」
「でも、得するって言ったよ!?」
「得するけど、雑念が迫撃砲の如く思考に打ち込まれるんですぅ! というか、いい加減に恥じらいを持ってくれませんかぁ!?」
「恥ずかしいけど、霧崎君なら大丈夫! 私、君と一緒に創作するためだったら、多少胸を揉まれても大丈夫だよ!」
「なんでうちの女子は、胸を揉まれることに信頼を見出すのかなぁ!?」
思考が暴走した状態で、後々悶絶するクラスの失言を続ける瑞葉。
そんな瑞葉を止めようと、同じく顔を赤くして必死に説得する理央。
結局、二人の言い争いが終わったのは、様子を見に来た瑞葉の母親が『時と場所を選んで盛りなさい、我が娘』と、生温かい言葉をかけた後だった。
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心地よい集中は、雨音のように過ぎ去っていく。
ぽつぽつと、気づかない内にそれは始まり、自分が集中していたと気づくのはそれが過ぎ去ってから。地面に溜まった水たまりで雨が降っていたことに気づくように、自分の手元に為された成果で、『ああ、集中していたんだな』と自覚することもある。
理央と瑞葉の作業も、そのような心地よい集中の中で行われた。
「…………」
「…………」
作業が始まる前は、喧しいほどに瑞葉の言葉が響いていたというのに、いざ始まれば部屋に言葉はほとんど響かない。
響くのは、秒針が時を刻む音と、踊るような二人の指先がキーボードを叩く音のみ。
時折、進捗の確認やすれ違いを解消するための会話はあったが、それも最低限。互いに作業に没頭しており、食事やトイレ休憩を除いてはほとんど休むことなどは無かった。
故に、この二人が平常に戻ったのは作業の一区切りがついてから。
窓の外に見える風景がすっかり暗闇に沈み、家人のほとんどが明日に備えて就寝したその後のことである。
「へ、ああ、あああうあ……か、体が、ばぎばきだぁ」
「作業の途中でストレッチや、体操をしないからそうなるんですよ、悠木先輩」
「霧崎君は平気なのぉ?」
「美容の基本は健康から。多少は辛いですが、一日程度ならば問題ありません」
「うへぇ、体力が根本から違う人の発言だよぉ」
体をへきばきと鳴らしながら、背伸びをする瑞葉。
その様子はすっかりと精魂尽き果てたものであり、よほど作業に没頭していたということがわかるだろう。
理央はそんな瑞葉の様子に苦笑しながら、甲斐甲斐しく世話を焼く。
「ほら、悠木先輩。僕と一緒に体を動かしてください。しんどいからといって、そのままにしておけば、後日余計に堪えるだけですよ?」
「んぎぃー、霧崎君がその後にマッサージしてくれたらやるぅー」
「はいはい、わかりました」
我が侭を言う子供のような瑞葉と、それを兄妹のように宥める理央。
言葉で語り合わずとも、濃厚な時間を共にした成果、二人の距離感は作業が始まる前よりもぐっと近くなっていた。
あるいは、互いに脳が疲れてぼんやりしていたのかもしれない。
「あふぇー、最高……んんんっ、霧崎君、もっと強くして……」
「肩と背中のマッサージをしているだけなのに、変な声を出さないでください」
「あはははー、いやはや極楽だったから、ついね? 私は常日頃、慢性的な肩こりに悩まされているんだよぉ。この駄肉の所為でぇー」
「持たざる者にはわからない悩みという奴ですか」
「霧崎くぅーん。半分ぐらいもらってよぉー」
「不可能なことを言わないでください」
「えー、でも、こう、ずばっとすれば」
「グロテスクなことを言わないでください。そもそも、僕は男です」
「じゃあ、一日に一時間ぐらいこう……私の胸を背後から抱える係を」
「はい、馬鹿」
「あふんっ」
互いに頭を使わないような言葉を重ねて。
作業明けの奇妙なハイテンションのまま、心地の良い時間が流れて。
だからこそ、瑞葉はその言葉を口にしたのかもしれない。
「あのさ、霧崎君。私、霧崎君をヒロインのモデルにしてノベルゲームを作りたいんだ。長編の、本格的で、本気で、すっごい奴を」
マッサージが終わって、程よく脱力できた後のことだった。
瑞葉は思い立ったように体を起こすと、理央と向き合ってそう告げたのだ。
「主人公じゃなくてヒロインなんですね、僕」
「駄目だった? その、霧崎君の女装があまりにも綺麗だったから、つい」
「いえ、そう言われれば悪い気はしません。僕にできることならなんでも手伝わせてください。ええ、女装はお手の物ですので」
少々複雑な気持ちはあれども、基本的に理央は女装を褒められると嬉しい。
ましてや、ヒロインのモデルにしたいと真剣に頼まれれば、ついつい口が軽くなってしまうのも仕方のないことだろう。
「じゃあ早速、色んな服装を試してみてもいいかな?」
「えっ?」
故に、この後の頼み事を断ることができなかったのも、仕方のないことだった。
「わぁ、いい! やっぱりいいよ、制服姿!」
「…………悠木先輩は異性の後輩に、自分の制服を貸し出しても大丈夫な人なのですか?」
そう、つまりは撮影会。
理央の女装に感化されたのならば当然、モデルとしてイメージを固めるために必要なのも、やはり女装だったのだ。
理央としては異性の先輩の家で、しかも家族が居る中で撮影会をするのはどうかと思ったが、自分から『なんでもする』と言った手前、断り切れなかったのである。
「霧崎君だったら全然オッケーだよ! あ、次はこの巫女服を」
「巫女服!? どこから調達してきたんですか、そんなもん!? 通販!?」
「メイドインりっちゃん」
「手作り!? 瑠璃川先輩の手作りなんですか、これ!?」
「霧崎君。私も共犯者だから今のりっちゃんに責任を取ろうね?」
「瑠璃川先輩に何が起こっているって言うんですか!?」
ついにはコスプレのようなものが出て来ても、理央は着るという選択肢以外はなかった。
色んな意味で、六花が作り上げた巫女服を着るしかなかった。
ただ、そもそも話、理央は基本的に着飾ることが好きなので、そこまで嫌ではなかった。
「ふわぁー、はわぁー! やっぱり、黒髪ロングの巫女は素敵! 風情がある!」
「ウィッグの用意もしていたとは準備万端ですね?」
「うん、実は狙っていました! 何しろ、こんな機会が次にあるとは限らないからね!」
「別に、言ってくれればいつでも……ああ、そういえば」
嫌では無かったからこそ、理央はあえて踏み込むことにしたのだろう。
「短編の奴はフリー素材で作るとして…………僕がヒロインのモデルになるという長編のノベルゲーム。そのイラストはどうする予定ですか?」
瑞葉が未だ抱える、傷痕の中へと。
「…………んー」
「多分、凪咲や瑠璃川先輩なら色々と伝手があると思いますが? もちろん、それなりの手間があるでしょうし、金銭で依頼する形になるかもしれませんが」
「…………うん、ちょっと考えていることがあるんだ。実は、作ろうとしている奴には、霧崎君モデルのヒロインの他にももう一人――――」
かくして、夜は更けていく。
片方が巫女服という奇抜な光景ではあるものの、二人が交わす言葉は真剣そのもので。
だからこそ、互いが夢と現実の境界が曖昧になっていくほど、遅くまで語り合ったのだった。
そして、翌朝。
「瑞葉…………ねぇ、アンタ。一体、何してんの?」
心地よい夢から覚めるように、瑞葉は一つの過去と向き合うことになる。




