第24話 妹は山育ち
少女にとっての朝は、日が昇った瞬間から。
まだ薄暗い空を眺めながら、大きく深呼吸。
土。草。木。水。煙。色んな匂いが混ざった空気を吸い込み、白い息と共に吐き出す。
とりあえずは、体を軽く動かして、十分に温まってからのストレッチ。たっぷりと時間をかけて、丁寧に一つ一つの部位を意識して筋肉を伸ばしていく。
少女にとっての山は、自分の庭みたいなものだ。
けれども、油断はできない。獣から逃げる時、足を挫いたらおしまいだ。水汲みをする時に、足を滑らせたら大変だ。
山は些細なことで命を土に還そうとする場所だ。
人間もそのルールの例外ではない。
だから、少女は入念に準備してから動き出す。
まずは水汲み。
次は掃除。
その次は薪拾い。
後は、畑の様子を見に行って、余裕があれば鳥の一匹でも狩れれば上出来。きっと、朝食が少しだけ豪華になることだろう。
少女にとっての昼は鍛錬の時間だ。
一つ一つ、母親の動きを真似するようになぞっていく。
多分、それは武術だったのかもしれない。中には、武術ではない動きも混ざっていたかもしれない。隠密――現代で言うところのスパイが扱う技術も混ざっていたかもしれない。
少女は主に体を動かすのが好きだったが、頭の鍛錬も嫌いではなかった。
山の中にある里。
電気もろくに取っていない場所。
そんな中で、最先端の科学技術について学ぶことは滑稽ですらあったが、幼少期の柔軟な頭脳はきちんと、少女へ様々な知識を記憶させた。
それが山から下りる準備だとも気づかずに。
少女にとっての夜は睡眠の時間だ。
一応、蝋燭はあるけれども火事対策で扱ってはいけない。懐中電灯やランプもあるにはあるけど、電池がもったいないからあまり使えない。
だから、陽が沈んだらほとんどすぐ眠ってしまう。
風のざわめき。
獣の鳴き声。
床の軋み。
色んな音を子守唄にして、少女は眠る。
少女にとっての昨日は今日と変わらない。
少女にとっての明日も今日と変わらない。
何も変わらない、退屈で不便で、平穏な生活。
少女にとっての故郷は、完結した一つの世界だった。
◆◆◆
「…………んぅ?」
理央は気づけば、畳の上に転がされていた。
見上げた木目の天井に見覚えは無い。
一体、何が? と自分の記憶を探り――さぁ、と血の気が引く音が聞こえた。
「僕の女装姿が綺麗すぎたから、まさかの誘拐!?」
そして開口一番、ろくでもないことを口走る理央。
普段は相対的にまともに見える理央であるが、見知らぬ場所で目覚めた瞬間にそのような発言ができるあたり、紛れもなく文芸部の一員だろう。
「くっそぉ、油断していた! 僕が、僕が綺麗すぎるから! 誰かの犯罪を誘引させてしまった! なんて罪なんだ! ちくしょう、美しさとは罪なのか!?」
理央は己の美しさを嘆きながら頭を抱えようとするが、そこで気づく。
自らの両手が背中に回され、そこで親指同士が何かによって拘束されていることに。
ただ、口や足が拘束されていないことから、最低限の自由は保障されているらしい。特に服が乱れた様子もないことから、寝ている間に不埒なことをされたわけではないようだ、と理央は安堵の息を吐く。
「…………うわぁ」
すると、理央の背後から何やらドン引きしたような声が聞こえた。
体を転がして声の方を確認すると、そこには誘拐の犯人――草壁夏夜音という少女が、理央を見下ろしていた。誘拐犯であるというのに、ドン引きした顔だった。
「君が犯人? それとも、複数犯? バックに何かの組織とか存在しているの? 女装男子を集めて世界征服を企む悪の組織とか」
しかし、理央から問いかけられると、慌てて表情を引き締める。
この場における圧倒的な優位を確認するように、しっかりと周囲を確認した後、夏夜音は理央へ答えを返す。
「いいえ、私の単独犯です。貴方のご両親にお金を要求するわけでも、臓器を売り飛ばすような真似もしません。ただ、大声を上げても助けは来ないのでそこは覚悟をしてください」
「おおう、中々本格的だね?」
「残念ながら、余裕ぶっても体が震えていることは誤魔化せませんよ? この場では私が絶対的に優位です。それを自覚しながら、私の目的に協力してください」
「君の、目的?」
「はい。私は――」
「いや、言わなくてもわかるさ」
「えっ?」
努めて冷徹に言葉を紡ごうとする夏夜音へ、理央は諦観が混じった声で言う。
「僕にエッチな悪戯をする……それが君の目的だろう?」
「違いますけど???」
理央は普通の男子高校生だ。
自らの女装に絶対的な自信を持つ男子高校生だ。
故に、冷静に見えても実は混乱している。それはもう、いきなり年下の女子に誘拐、監禁されるという状況に陥って、大混乱の状態にあった。
寝起きの言葉から察せられるように、今の理央は女装の美しさへの自信と混乱、被害妄想が混ざった結果、よくわからない言動をするようになっていた。
「くっ、可哀そうなことをしてしまった……僕が、僕が魅力的過ぎるから! 僕の魅力が、まだ小学生の女の子の道を外してしまった! まさか、僕にエッチなことをするために、こんな真似までしてしまうなんて! くそう、せめて帰り道は女装を止めておけば!」
「ち、違います! 止めてください! 勝手に私をへんっ、変態にしないでください! そんな目的のために誘拐したわけではありません!」
「じゃあ、僕をここに運んでいる最中、体をまさぐったりはしなかったんだね?」
「…………」
夏夜音はとっさに目を逸らしてしまった。
疑いを向ける理央の視線から、顔を赤くして目を逸らしてしまった。
そのリアクションは明らかに、やっちゃっている人間の顔だった。
「ふ、不可抗力です! 貴方を運んだり、拘束するために仕方なくです!」
「はいはい、わかっているよ――――そういうプレイをしろってことだよね?」
「違いますぅ!」
「自分の罪悪感を減らしつつ、仕方なく、なし崩しに同意を取らせる……なんて手慣れたスケベの流れ……そうか! 君は山天狗の一族だって凪咲が! 天狗、つまりはいきなり人を誘拐する感じのあれ! つまりは、人を誘拐してエッチなことをする一族!?」
「違いますぅ! やめてぇ! 私の一族をそんな変態の群れにしないでぇ!」
目をぐるぐると回しながら、混乱のままに叫ぶ理央。
誘拐犯だというのに、もはや涙を滲ませて理央の言葉を止めようとする夏夜音。
結局、二人が落ち着いて話し合うことができたのは、それから十五分後のことだった。
「ごめんね。正直、動揺していたんだ」
「いえ、私が誘拐したことが原因なので……謝らないでください」
「まぁ、それもそうだけど。それで、君は何を目的に僕を誘拐したの?」
「ああ、やっと本題に戻れます」
夏夜音の弁明により、ようやく理央は正気を取り戻した。
しかし、置かれている状況は変わらない。理央が夏夜音によって誘拐され、拘束されている。この事実は被害妄想でもなく、れっきとした事実だ。
「私の目的は、貴方に協力してもらうことです。お姉ちゃんの友達である貴方に、お姉ちゃんを説得することを手伝って欲しいのです」
夏夜音は先ほどまでの醜態を取り繕うように、努めて冷たく言葉を紡ぐ。
「それを約束していただけるのならば、私はすぐにでも貴方を解放するでしょう」
「んー、確認だけど、その説得って言うのは、『凪咲が君と一緒に暮らすこと』に対する説得で良いのかな?」
「はい、その認識で構いません」
あえて堅い言葉を使い、感情を抑えた演技を続ける夏夜音。
恐らく、誘拐犯としての脅威を使うための言動だろうが、先ほどまで一緒に騒いでいた理央にとっては滑稽にしか見えなかった。
ただ、『実行力』があるのも事実である。
現に、理央は訳が分からないまま、自分よりも年下の女の子に意識を奪われたのだ。
明らかに普通ではない。尋常な技術ではない。日常の側の存在ではない。
――――イベント。
凪咲が自分の傍にいると巻き込まれると言っていた、数奇な出来事。
そういうものに、自分も巻き込まれているのかもしれない、と理央は半信半疑ながらも状況を正しく理解する。
「なるほど、そのために君は僕を誘拐したというわけだね?」
「はい。もちろん、今の私は貴方に危害を加えるつもりはありません。しかし、私の要求に素直に従っていただけないのなら…………その」
「…………エッチな悪戯をするの?」
「し、しませんっ! そんな変態なことをしませんっ! 精々、骨を折る……のはちょっと。爪を剥がす……のもなぁ。あの、えっと、ビンタ! そう、ビンタしますから!」
「ビンタは怖いね」
「そうでしょう!?」
加えて、会話の流れで夏夜音の状態も薄々だが把握した。
常人離れした誘拐の手際。
それに相反するような幼い精神性。
説得を頼み込むのに、誘拐なんて非効率的な手段を取る常識外れの価値観。
草壁夏夜音は、何もかもチグハグな中身の少女だった。
しかも、結構追い詰められている。精神的な余裕が少ない。だからこそ、いきなり凪咲の家を訪問したり、誘拐という強引な手段を取っているのだ。
その上、理央には夏夜音の語る理由が『何かを誤魔化すための建前』にも聞こえていた。
このまま夏夜音の脅迫に従ったとしても、夏夜音が幸せになる結末は訪れないだろう。
「あのさ、君。ええと、草壁ちゃん」
「はい、何ですか? 言っておきますが、了承の返事以外を聞くつもりは――」
「君は本当に、凪咲と一緒に暮らしたいの?」
故に、理央は問いかける。
自らも『ストックホルム症候群かなぁ』と内心で自嘲しながらも、あえて目の前の可哀そうな子供への心へ踏み込んでいく。
「と、当然です! 私はそのために誘拐までしたのですから!」
「でもさ、最初は凪咲と僕を間違えていたよね?」
「そ、それは……」
「単なる調査不足かな? それとも、君に必要なのは『血の繋がり』だけだった? だとしたら、何のために『血の繋がり』を求めたんだろうね? そこら辺、きっちりと本音で語ってくれないと、お互いのためにならないんじゃないかな?」
「…………私は、その、ええと、私、は」
「それと、これは本当に善意からの忠告だけど」
戸惑う夏夜音から視線を逸らし、理央はこの部屋の外へと視線を向ける。
監禁に使われた部屋は、よくある古民家の一室のような場所だ。しかし、適度にリフォームされているのか、窓などは現代の技術で作られたものである。
つまり、理央の体勢からでも外の様子ははっきりと窺うことができて。
「そろそろ、僕にスマホを渡した方がいい。両親に帰りが遅れるって連絡しないと、本格的に通報されかねないからね」
「あっ」
理央の視線の先には、真っ暗になった外の景色があった。
ここが何処なのか? という疑問を差し引いても、明らかに理央が連絡を入れなければ警察沙汰になりかねない時間帯だった。
「…………あっ、あ、ああうあ、まずっ、基本なのに、忘れて……ああう」
先ほどまでの虚勢が完全に消え去った夏夜音は、年相応に慌て始める。
そんな夏夜音に対して、理央は自分ができる最高に優しい笑みを向けて言うのだ。
「大丈夫、落ち着いて草壁ちゃん――――僕は君の味方だよ」
人の心を蕩けさせ、篭絡するための言葉を。
『なんかこういう悪役ムーブ、セッションでやったことあるなぁ』と、自身の悪辣さに軽く引きながら。




