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第2話 揉むべきか、揉まざるべきか

 霧崎理央は、物心ついた頃から女装をしていた。

 正確には、四つほど年が離れた姉によって女装させられていた。

 理由として単純明快。

 姉は『妹』が欲しかったのである。

 姉妹という関係に大層憧れていた姉は、『弟』として生まれて来た理央を女子として育てて、妹にする気満々だったのだ。

 もっとも、その試みは両親による真っ当な説教でとん挫したが、幼少の理央に『選択肢』を増やすきっかけにはなった。


 そう、理央にとって女装とは、単なる『選択肢』の一つである。

 今日はどんな服装で過ごそうか? と悩んだ時、一般的な男子よりも豊富な選択ができる、その程度の感覚だった。

 別に女子になりたいとか、可愛らしい女の子として扱われたいわけではない。

 単なるファッションの一種として、理央は女装を行ってきた。

 他の男子が『格好良い』ことにこだわる中、自分は『可愛い』も『綺麗』も選んで纏うことができる。

 理央にとって女装とは、後ろめたいことではなく、むしろ『誇れる特技』だったのだ。


「き、気持ち悪いのよ、馬鹿ぁ!!」


 小学三年生の時、好きだった女の子から唐突に罵倒を受けるまでは。

 経緯としてはこうだった。

 理央が好きだった女の子は、理央とは別の男子が好きだった。その男子がよりにもよって、理央の親友とも呼べる存在だった。

 従って、渋々その女の子は理央とも仲良くしていたわけだが、あくまでも本命は親友の男子。理央は勝手に好意を感じていたわけだが、それは勘違い。しかも、間が悪いことに、その女の子は親友の男子に告白した上に、盛大に振られていた。

 そう、『えー、理央よりもファッションセンスが無い女子と付き合うのはちょっと』という、一生モノのトラウマになる言葉を共に、盛大に振られたのである。

 つまり、理央がその女の子から罵倒されたのは、単なる八つ当たり。

 理央には何も悪いところが無かったわけだが、それでも『気持ち悪い』という罵倒を受けたのはショックだった。間違いなく、理央の心に突き刺さる言葉だったのである。


 ――――気持ち悪い、なんて言われる余地のある女装をしていたなんて!


 ただ、理央はその女子が思っていたよりも違う方向にショックを受けていた。

 女装自体ではなく、女装が未熟だったことを恥じていたのだ。

 そして、その日から理央は女装を周囲に秘するようになった。

 無論、女装を辞めたわけではない。今の女装は周囲に見せるレベルではないと恥じて、きちんと『完璧』だと誇れるレベルまで磨き上げることにしたのである。


 ファッションを勉強した。

 化粧も姉から習った。

 食事にも気を遣った。

 体つきにはとても気を付けた。

 その甲斐もあってか、理央の女装は遥か高みにまで到達した。

 特に、中学二年生から三年生の間は、『美少女』と呼んでも差し支えがないほどには、女装の極みに至っていたと言えよう。

 けれども、残念ながら理央は成長した。

 精神的に成長した。

 もはや、幼少の頃のように、『みてみてー!』と無邪気に女装ではしゃげる年齢ではない。

 肉体的にも成長した。

 声変わりも済んで、女子のように澄んだ高い声が、中性的なやや低い声に変わってしまった。体格もどんどんと大人の男性になっていく。

 無論、大人の男性になっても『上手くやれる技法』というのは存在するが、それでも、一つの完成品まで至った『美少女』の姿を誰にも見せずに終わらせることは悔やまれた。

 いや、正確には姉が『超イイよぉ!』と興奮していたが、変態な身内からの称賛は素直に喜びにくい。

 従って、理央は中学校生活の締めくくりとして、ほんの少しの冒険をすることにした。

 姉からお下がりの制服を借り受けて、『正体不明の美少女』として街を歩き回ることにしたのである。

 ただし、歩きまわる街は地元ではなく隣町。

 季節は誤魔化しが効きやすい冬。

 常に『お手洗い』の位置には気を付けて。

 多くの人から賞賛と嫉妬、そして羨望の眼差しを受けるために闊歩していたのだ。


「ねぇ、君。どこか調子が悪いの?」


 龍宮寺明里と出会ったのは、そんな日々を過ごしていた時のことだった。

 突然の吹雪から身を隠すために、一時的に駅へと避難してきた理央は、そこで明里の姿を見かけたのである。

 そう、女装した自分よりも、明確に『美しい』と思える相手を見つけたのだ。

 嫉妬なのか、あるいは賞賛だったのか。

 理央は明里の姿を見かけた時、よくわからない感情が渦巻くと共に、どくんと胸が高鳴る音を聞いてしまった。

 それが、恐らくそれが全ての原因だったのかもしれない。その音が聞こえてしまった瞬間から、理央は少しばかり変になった。


 普段ならば、声なんてかけなかった。

 普段ならば、一緒に喫茶店に行くこともなかった。

 普段ならば、名前を教える事なんて絶対にしない。

 全部、要らない波風を立てるようなことだった。

 再会の約束も、高校で正体を明かすような言葉も、何もかもが余分だった。

 だからきっと、その時の自分は変だったのだと理央は考えている。

 自ら破滅に近づくような真似をするなんて、本当に変だったとしか言いようがない、と。

 故に、理央は覚悟した。

 明里と別れてからの数か月間。

 理央は考えうる限りの最悪を予想し、心が砕けてしまわないように覚悟を決めた。

 気持ち悪いと罵られることも。

 進学した先で孤立するようなことになっても。

 全ては自業自得だと受け入れる覚悟を決めていたのである。



「私のことが大好きな美少女だらけの部活を作りたいの」



 もっとも、明里はそんな予想や覚悟なんて、軽々と超えてくる馬鹿だったのだが。



●●●



 なんて偶然だ、と理央は頭を抱えたくなった。

 入学式が終わった後、案内された教室が同じだったのはいい。確率的に珍しくは無い。

 だが、クラスでの自己紹介の後に行われた席替えのくじ引き。そこで席が隣同士になってしまったのは、偶然にしては明里との縁が強すぎる。


「ええと、龍宮寺さんだよね? 僕は――」

「明里」

「えっ?」

「明里」

「…………明里」

「久しぶりね、理央」

「あ、うん。久しぶり」


 しかも、明里はばっちりと理央のことを覚えていた。

 ワンチャン、数か月前のことなんて忘れているかもしれない、と思っていた理央だったが、明里の観察眼はそれを否定した。

 きっちりと数か月前の出来事を覚えていたし、何より、男子の制服を着た状態でも、霧崎理央本人であると見抜いていた。


「今日の放課後。誰も居なくなった頃に、教室に集合ね?」


 その上、こっそりと耳打ちで呼び出しを食らえば、嫌な予感が脳裏を過るのも仕方がないだろう。

 もはや、ここに至っては言い訳も誤魔化しもできない。

 可能ならば、入学後数日ぐらいは心の準備をしたかったが、ここで逃げ出すほど理央は恥知らずにはなれなかった。

 せめて、世間体が破滅するとしても、覚悟の上の破滅であろう。

 理央はそのような心持で、放課後の教室へと赴いたのだった。


 ――――けれども、理央を待っていたのは明里からの罵倒や糾弾ではなかった。


 威風堂々と紡がれるのは、明里の赤裸々な欲望。

 数か月前のあの日、喫茶店の中で『胸を揉みたい』と言い出した時と同じ。

 心の底から、馬鹿げたことを本音で語りだしたのである。


「だからお願い、この手を取って。私と一緒にハーレム部……ごほん! ゆるふわ日常系の部活を作りましょう!」

「…………えぇ」


 更には、恋する乙女のような表情で、その馬鹿げたことに誘って来たのだから、流石の理央も予想外だった。罵倒される覚悟を決めたというのに、思わずドン引きしてしまうほど、明里の誘いは欲望に塗れていた。


「あのさ、明里。美少女だらけの部活が作りたいって言ったよね?」

「ええ、そうよ」


 だから、思わず理央は訊ねてしまったのだろう。


「僕はこの通り、正真正銘の男子なんだけど、それでもいいの?」


 本当にいいのか、と。

 何か大切なことを忘れていないか、と。

 このまま流れに乗れば、罵倒も糾弾も避けられたかもしれないというのに、理央は律儀に明かりへと訊ねてしまったのだ。


「そうね。正直、私も隣の席になった男の子が理央だって気づいた瞬間、驚きを隠せなかったし、戸惑わなかったと言えば嘘になる……でもね、気づいたの」


 そして、明里はそんな理央に対して満面の笑みで答える。



「肝心なのは性別じゃない。貴方は女装がばれることを恐れながら、それでも、私の本気を受け入れてくれた。その事実が大事なんだって」



 理央の右手を両手でぎゅっと握りしめて、息が触れ合うような距離で告げる。


「だから、私が貴方を――理央を嫌うなんてあり得ない! だって、理央は私の友達で! 私の本気を受け止めてくれた初めての人で! あんなに素晴らしい女装ができるんだもの!」

「最後の言葉に下心がにじみ出ている……」

「だったらもう! 理央は私にとっては美少女みたいなものよ! 他の誰が何を言おうとも! 私のハーレム部には貴方が必要なの!」

「ついにハーレム部って言い切ったね?」


 明里の言葉はどこまでも欲望に塗れているというのに、その瞳は無垢な少女のように輝いていた。

 だからこそ、理央にはわかってしまった。

 告げられる言葉が、紛れもなく明里の本音だということに。


「だから、私の胸も揉んで欲しい! それを友情の証としましょう!」

「ちょっ、やめ……無理やり自分の胸に手を置かせようとするのはやめ……なんでその細腕で、こんなに力が強いの!?」

「さぁ! 友情! 友情!」

「う、うぉおおおお!?」


 ただ、それはともかくとして。

 理央は必死に明里の手を振りほどき、本気のバックステップで距離を取った。


「え、友情……しないの?」


 そして、何やら本気でショックを受けているらしい明里に言う。


「男女の友達間で! 胸は揉まない!!」

「そうなの!?」

「そうだよ! つーか、男子から女子の胸を揉んで生まれるのは友情じゃなくて、ただの性欲だからね!?」

「で、でも――性欲と友情は両立するわ!」

「積極的に両立させようとするなぁ! というか、僕がそういうのが嫌なの! その…………本当の自分を受け入れてくれた友達に、そういうことはしたくないの」


 観念したように、今の気持ちを素直に吐き出す。

 もちろん、理央だって思春期の男子だ。普通に女子の胸は揉みたい。それが美少女である明里の胸ならば尚更だろう。

 だが、ここで胸を揉むのは違う。

 絶対に、何もかもが違うと否定して、代わりに右手を差し出した。


「だから、友情の始まりはこれくらいがちょうどいいと思うんだよ、僕は」


 内心、物凄く面倒なことになるぞ、と思いつつも。

 自分の女装を素晴らしいと言ってくれた明里に応えるため、精一杯の気持ちを差し出した。

 何故ならば、自分がそうしたいと思ってしまったから。


「そっか、そうなのね…………つまり、理央は手フェチ!」

「友達だから言うけど、明里のそういうところは本当にどうかと思う」

「…………まぁ、実際は茶化さないと恥ずかしすぎるというか、ね?」

「いいから、さっさと手を握って! 僕も恥ずかしいんだよ、かなり!」


 かくして、ここに友情は結ばれる。

 夕暮れに染まる教室の中、互いに真っ赤に染まった顔色から目を逸らしながら。

 それでも、力強く互いの手は握られたのだった。

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