余生をあなたに
ばたばたと忙しい日々も、いつかは落ち着く。
季節が巡り、暑い夏を経て秋、降り積もった雪が解けると、各地に散らばった仲間との再会のときがやってくる。
まだ肌寒い空気を警戒して、旅装はできる限り暖かいものを。かつ、ただでさえ多い荷物は多すぎないように。
ホークラム一行の荷造りは、ハリエットがきっちり仕切ってくれる。過不足のない旅支度になるはずだ。
「ハリエット、本当に行くんですか?」
ライリーが心配そうに何度も訊くのは、彼女の腕で眠る赤子の存在のためだ。
まだ首が座ったばかり。ハリエットの体調はいいようだが、それでも七日の旅程は母子の負担になりそうだ。
「大丈夫ですよ。わたしも皆さまとお会いしたいです」
「でも」
「やっぱりダメですか?」
しょんぼりした上目遣いの破壊力に、ライリーが勝てるわけがなかった。
「まさか! 何かあっても俺がなんとかしますよ。一緒に行きましょう」
ちょろいな、と聞こえよがしに呟くのは執事のドットだ。
今回は彼も王都に同行する予定だ。
「いやあ、元盗人のおれが騎士に叙任されるとか、ルーファス様もきっと今頃草葉の陰で泣いてますね!」
「じいさままだ生きてるからな」
ライリーの私設ホークラム騎士団は、元王立騎士団とは別の組織だ。
彼は領地で、子ども達の教育を兼ねて本格的に騎士の養成をすることを生涯の仕事と決めた。
それゆえの騎士団脱退宣言だ。
まだ小さな組織だが、もうすぐ開催される馬上槍試合には参加希望を出している。
まともに試合ができるのは、ライリーととうの立った新米騎士ドットだけだが、他の見習いも勉強のために引き連れて行く予定だ。
「いいか、ドット。今回はとにかくふたりで勝ちまくって、賞金をごっそり持ち帰るぞ」
「任せてください。こちとら竜の直弟子ですよ」
「うん。盗みに入った先に居座っただけだけどな。賞金が入ったら、騎士団用の官舎建設に着手するぞー」
おおーと見習いの少年達が盛り上がる。
「賞金そんなに出ます?」
「そんなわけあるか。頭金だよ。来年までにふたりばかり頭数を増やしたら、更に持ち帰れる額が増えるだろう。ちょっとずつ頑張るんだよ。自分の食い扶持は自分で稼ぐんだ」
元々、馬上槍試合はそういう目的で参加する面もあるのだ。
参加費を払って出場し、集められた金に主催者が上乗せした額が賞金として分配される。強い騎士は装備の充実を図って更に強くなっていく。
主催者は準備が大変だが、各地から集まる騎士が落としていく金により現地住民の生活が潤う。無理をしてでも主催する価値は高い。
余裕ができたらうちでも開催するかなぁ、とわくわくしているライリーを、ハリエットが微笑んで見守っている。
彼女の夫は、意外と成り上がり思考の強いひとだ。
今の騎士団もそのうちきっと、最強の名をほしいままにする組織に成長していくことだろう。
騎士団を辞めると言い出したときには、穏やかな余生を望むハリエットの怠け心に引き摺られたのかと焦ってしまった。
だがそうではなかった。
ライリーは、子どもが成人するまでは現役でいるのが騎士の矜持ですよ、と笑って否定した。
彼はまだ二十九歳。三人目の子はまだ生まれたばかりだ。
結婚が決まったときには、無名の新米騎士だった。
彼は婚礼の日までに子爵の位と小さな領地を用意してハリエットを迎えてくれた。
その後はみるみるうちに実力を付け、戦功を挙げて実績を積み上げ、得たものをすべて妻に捧げた。新たに伯爵位まで自力で掴み取ってくるなんて、昔のハリエットは想像もしていなかった。
なにより彼女が嬉しく思っているのは、その変わらないひととなりだ。
ライリーはいつまで経っても、どれだけの地位を築いても、変わらない心をハリエットに与え続けてくれる。
ハリエットは何を心配することもなく、ただ彼を見ていることを許されている。
この先老いてハリエットの容貌が衰えても、ライリーはきっと変わらない。
努力しないと、というのはただの女心だ。
いくつになっても、夫に見惚れてもらえる妻でいたい。
少なくとも、ハリエットがライリーに見惚れてしまうのと同じだけの視線を返して欲しいと思ってしまうのだ。
なんて欲張りになってしまったのだろう。
自分でも呆れてしまうが仕方がない。
幸せな結婚生活が、人生を諦めることをやめさせてしまったのだ。
その責任は間違いなくライリーにあるのだし、彼は幸せを与え続けてくれると信じさせてくれる。
だからハリエットはこのまま、与えられる幸せに浸っていればいい。
ただ、過去の反省を活かして、心の片隅に強い自分を残しておこう。
今後また何かが起きることがあれば、すぐに立ち上がって大切なひとを護るだけの強さは保っていなければならない。
そのためには、まだまだやらなければならないことがたくさんある。
ハリエットの望んだ余生とはなんだっただろうか。
改めて考えてみれば、侯爵夫人と呼ばれて過ごした激動の日々は、ライリーと幸せな結婚をするための準備期間だったようにも思えてくる。
余生とは、盛りを過ぎた残りの人生のことを指すという。
ハリエットの人生の盛りは侯爵夫人時代ではない。十年前の婚礼からはじまった、今も変わらず続いている幸せな生活だ。
まだまだ若い頃に老成した振りをして、余生なんて言葉を使ってしまい恥ずかしい限りだ。
ライリーにあの台詞をもう一度、今度は元となった物語のままに言ってくれ、と頼んだら困らせてしまうだろうか。
どうか姫君、残りの人生をわたしと生きてください。
物語の元となったのが自分の身内と知った今となっては、拒否されてしまうかもしれない。
それ以前の問題は、三十をいくつか過ぎてしまった自分の羞恥心との闘いだ。
十年前には自分を年増女と卑下していた。今となっては四つの歳の差などあってないようなものと言えるが、当時は深刻な悩みだったのだ。
ならば三十代の羞恥心など、四十歳を過ぎる頃には大したものではなくなっているかもしれない。
(よし、決めたわ)
今夜、子ども達が眠ったあとに頼んでみよう。
一度きりの人生だ。
本当に穏やかな気持ちで余生と言える日まで、後悔しないように生きていこう。
そして頃合いを見て、墓石にこう刻むよう頼んでおくのだ。
余生をあなたに捧げます
さあ、王都へ行く準備を終わらせてしまわなければ。
愛する夫には妻と子だけではなく、たくさんの仲間が待っているのだ。
ハリエットの夫は、キャストリカ最後の騎士団長だ。
騎士として最も名誉ある地位を掴み取り、あっさりとそれを捨てることを選んだ。
ライリーに、その選択を後悔させてはいけない。
そのためにハリエットはこの先、なんでもやっていかなくてはならないのだ。
本当の余生が訪れるその日まで、ライリーのために生きていく。
ふたりで寄り添い支え合い、必要なときには自分の力だけで何かを成し遂げながら、その日がくるのを待っていよう。




