束の間の平和
平和である。
夏間近の外気は外遊びするには暑いくらいで、はしゃぐ子ども達は汗だくだ。
陽焼けを嫌う婦人達は大きな布を張って作られた影で、のんびりとそれを眺めていた。
「っしゃあ走れ走れえ!」
「おっせえぞガキ共ぁ! そんなんじゃ一生騎士になんかなれねえぞ!」
大声で野次混じりの声援を飛ばしているのは若手騎士だ。
本日は晴天なり。
というわけで急遽、そのうちやろうと企画されていた、正騎士三年生以下による運動会が開催される運びとなった。
今年の御前馬上槍試合に出場し損なった若者達である。
観客は公式行事ほど多くはないが、息子の晴れ舞台と張り切る親や、恋人の勇姿を見学に来た乙女達でそこそこの賑わいになっている。
朝食後、王都に報せたい者がある奴は今すぐ走って行って来い! と上官に命じられた若者が宣伝して廻ったのだ。
中堅以上の騎士は順番に警備の任に就いている。当番が終わった者からばらばらと顔を出し、若者の奮闘を肴にぬるい麦酒を飲んで木陰でだらだらしていた。
王城の裏に広がる森の中の広場である。
団体戦の演習など、大規模な鍛錬の際に騎士団がよく利用している場所だ。王族が狩りの集合場所にすることもあるし、その昔、肝試しの後の宴会にも使われた。
要はなんでも有りな、便利に使われる広い空間ということだ。
また騎士の試合が見られるのかと勘違いして来た者も多かった。彼らは少年達が走る姿にぶーぶー不満を言っていたが、いつの間にか前のめりになって応援している。
今の競技は、従者の少年による徒競走である。
十三から十五歳、見るからに子ども子どもした小さな少年もいるが、侮ることなかれ。
非公式行事なのをいいことに、観客からの飛び入りを認めると、下町の若者が調子に乗って手を挙げる。
二十前後の青年が加わっても、上位は従者が独占していた。
「ねえねえ、あれあたしも参加していいの?」
楽しそうに観覧していたアデライダが、側に立っている近衛に訊ねる。
「……参加、とは」
「あたしも走りたいな。あの子達鎖帷子着てるし、勝てる気がする」
近衛は難しい顔をして考えこんでしまった。
王ならともかく、妃が従者に混ざってかけっこをするなど、聞いたことがない。
「いいんじゃないか」
横から口を出したのはライリーだ。
彼らの座る木陰の近くでは、よちよち歩きから十歳未満の子どもが遊んでいる。
ブラント、ビリー、テオの八歳の少年三人もいつものように多少揉めながらも、仲良く運動会ごっこをしている。今日は彼らよりもひと回り小さなエリオドロも仲間に入ってはしゃいでいた。
「本当? さすがライリー、話が分かる」
「お母さん、おにいちゃん達と走るの? 僕も出たい!」
「僕たちも速いんだよ! かけっこしたーい!」
子ども達が騒ぐのを見て、ライリーは会場を見渡した。集まった観客は、ほとんどが騎士団の家族だ。
今日の企画は、身内の楽しみのための側面が大きい。
父や兄の活躍を観にきた子ども達は、すでに飽きはじめてしまっている。ここらでちびっこ運動会でも挟んでおくかと、ライリーは近くにいた騎士を呼んで、進行役に伝えるよう頼んだ。
「アデラの俊足披露は次の機会だな。よーし、みんなでかけっこするぞー」
「わーい」
子ども達が喜ぶ様子に、アデライダはあっさりと引き下がった。
「よかったねえ、エリオ。みんな頑張ってね!」
兄達が楽しそうに会場入りするのを見る四歳のソフィアは不満顔だ。
「ちちうえ、ソフィアもいきたい」
「え、ソフィアも?」
「にいさまばっかりずるい。ソフィアも走れるよ」
多分おそらく、転けるか負けるかして泣く。ライリーはどうしましょう、と母親に目線でお伺いをたてた。
「んー……?」
なんと言って娘の気持ちを逸らそうかと笑顔で思案するハリエットを見上げたのは、元キャストリカ王太子の娘だ。
「わたくしがソフィアと手を繋いで行って来てもいいですか?」
次期バランマス王国王妃となることが決められている六歳の姫は、屈託無く笑っている。
彼女のことは、アデライダとハリエットとで誘いに行った。
王宮の片隅に居を構えることとなった元王太子夫妻は、ふたりに娘を託した。
彼らはその小さな屋敷に籠って残りの人生を過ごすことになる。その屋敷から外に出る姿を見られることは、おそらくほとんどないだろう。
アデライダは哀しそうな顔で、あたしと一緒でも出たら駄目なのかな、と呟いた。
その意見は間髪入れずにハリエットに却下された。
それはあなたがしていいことではありません、と厳しい口調で言われてしまっては、彼女にはそれ以上行動することはできなかった。
代替案として、彼らの娘をこうして連れ出すことを申し出ると、頭を下げて感謝された。それがまたアデライダに哀しい顔をさせた。
「まあ、ありがとうございます。ソフィア、ご一緒させていただきなさい」
ハリエットの許しを得ると、ソフィアは大喜びで自分より少し大きな元王女に抱きついた。
「行こう、ソフィア」
ふたりの様子を見た小さな女の子が何人も、我も我もとついて行った。
彼女達は先導する騎士に従って、弾むような足取りで男の子達を追った。
子ども達にとって、騎士は怖い存在ではない。先の戦でみなを護ってくれた英雄だ。国中の子どもが大人からそう聞かされているのだ。
にこにこ笑って手を振ったアデライダは、一定以上の年齢の子どもが近くにいなくなったことを確認してから口を開いた。
「……ねえ、最近エベラルドが暇さえあればべたべたしてくるんだけど」
ライリーはぎょっとして身を引いた。
何故そんな話を自分に、と顔にでかでかと書く彼の代わりに、エイミーが反応した。
「へーヨカッタネー」
「あたしは真面目に言ってるの!」
「何をよ。かっこいい旦那さまと仲良しで羨ましい、以外の感想が出てこないよ」
惚気はまた今度聞いてあげるから、とあしらうエイミーにアデライダが顰めっ面になる。
「違うの! 本気で鬱陶しいんだよ! ねえ、ライリーもザックも、またエベラルドと仲良くしてやってよ。あいつ寂しんぼだから、あんた達に遊んでもらえない寂しさを紛らわすためにあたしに絡んでくるんだよ。今日だって、誘ってもらえないからって拗ねてたよ」
ライリーはザックと顔を見合わせた。
ザックは腕の中で眠る娘を優しく揺らしながら、その動きとは対照的に突き放す言葉を投げた。
「子どもかよ。来たかったら勝手に来るだろ」
「だってあいつ、自分はもう許されないから、とかひとりで酔ったこと言ってるんだよ。ねえ、最初のきっかけだけでいいから、声を掛けてやってよ」
「……えっと、アデラ?」
ライリーがそっと忠告の口を挟んだ。
「何よ」
アデライダは、あー……と目を逸らすライリーを訝しげに見た。その背中にかけられた重量が、彼女を前倒しにする。
ぐえ、とうめくアデライダの横で、ハリエットが素早く小さなエルバの安全を確保した。
小柄な王妃を押し倒したのは、白い獣だった。
それはメェェェェエとひと鳴きすると、アデライダの上から移動してそこに生えている草を食べはじめた。
「勝手なこと言ってんなよ。俺はおまえと違って忙しいんだよ」
「エベラルド! どうしたの、この羊?」
アデライダは文句を言うのも忘れて歓声を上げた。
「めーめ!」
ハリエットの腕の中から、エルバもはしゃぎ声を出した。
「なんだ、エルバ。覚えてるのか」
エベラルドが優しい声で娘を呼ぶと、ハリエットが一歳になった彼の娘を解放した。
エルバはとてて、と音がしそうな歩き方で羊に近寄った。その身体を後ろからエベラルドが持ち上げ、羊の上に乗せてやる。
「そんなわけないでしょ。村を出たとき、エルバはまだハイハイもしてなかったんだから。最近は羊飼いのお話がお気に入りなんだもんねえ」
羊が嫌がるのに構わず、アデライダは見た目よりも固い毛に頬擦りする。
幸せそうな妻子を見るエベラルドの表情が柔らかくなった。
「アドルフ男爵からの贈り物だ。昔、おまえの羊をもらってったろ。その子孫だよ」
「…………嬉しい。ありがとうエベラルド」
ライリーはグリフィスの話を思い出していた。彼らは山で羊の世話をして暮らしていたのだと言っていた。
そんな彼らにとって、羊は幸せの象徴なのだろう。
ライリーとハリエットは国王夫妻から少し距離を取って、彼らの会話を聞こえない振りをした。ザックもそれに倣い、他の周囲の人々も、並んで出番を待つ少年達に意識を向けた。
「礼ならそこの片腕の熊に言っとけ。そいつが男爵に頼んどいてくれたらしい」
御指名を受けたサイラスは、ちらりと顔を向けて無言で頷いて見せた。
「……うん。でもなんかこの羊、うちにいた子よりおっきくない?」
「…………アドルフにはなんか巨大化の秘密でもあるんじゃないか。おまえも一回世話になって来いよ」
思わず吹き出したのはザックだ。
「だってさ、とーちゃん。アドルフの秘密だって」
「秘密なんかあるか。草が合ってただけだろう」
ザックに父と呼びかけられたサイラスは、当たり前の顔で返事をした。
「なんだザック、まだそれ言ってんのか。しつこいぞ」
戦場のノリを引き摺っているのかと、近くにいた騎士が突っ込んだ。
「だってとーちゃんだもんよ」
ザックがサイラスを示して言うと、サイラスもザックに親指を向けて頷く。
「息子」
「はあ?」
ライリー含む騎士数人が素っ頓狂な声を出した。
彼らは十一しか歳の差がないはずだ。さすがに無理がある。
「だから、俺の産みの母親の再婚相手」
「はああ?」
「二度目の妻の息子」
「はあああああ⁉︎」
「俺が入団したときにはとーちゃんすでにだいぶ目立ってたから、面倒臭くなりそうで黙ってたけど。もうバレてもいいかな、と」
ザックの爆弾発言に、場が騒然となった。
冷静なのは、ハリエットとエベラルドだけだ。ふたりはすでに知っていたらしい。
「今頃になってとんでもない暴露話するなよ!」
「なんでだよ。なんも問題ないだろ」
「おれの気持ちに問題があるんだよ!」
問題視しているのは主に、ザックの遊び仲間だ。当時、そうとは知らず騎士団長の息子と一緒にした悪さを思い出して蒼くなっている。
「あの、ハリエット。知ってたんですか?」
「息子の友人の家庭環境くらいは気にしてますから」
子育て中の母親は、ついつい育児仲間に家庭の事情について口を滑らす傾向があるらしい。ひとり親であるサイラスもそうだったのだろうか。
「ほら、そんなことより子どもらが走るぞ」
さらっと爆弾発言をしたザックが促すと、その場の視線が会場に戻った。




