定例幹部会
それから間も無く、南の地方で、隣接する領主同士の小競り合いが起こった。
それぞれの私兵を挙げての喧嘩だ。他国から流れてきた傭兵の数も少なくなく、問題が大きくなる前に騒動を鎮圧せよとの命令が王立騎士団に下された。
本来であれば、三個中隊程度の派遣でも充分な規模の喧嘩であったが、新騎士団長の小手鳴らしに出かけて来い、とヒューズに尻を叩かれたライリーが出陣する手筈となった。
彼の隣にはスミスが立った。
ふたりの少し後ろからその采配振りを見ていたヒューズ副団長は、王都に戻ってすぐに引退を宣言した。
もう大丈夫だろう。後は任せた。
ヒューズは自身の息子とそう変わらぬ年齢の騎士団長の肩を叩いて、騎士団を後にした。
代々騎士を輩出してきた家のヒューズは、生まれも育ちも王都だ。騎士団を引退した父が遺した家が郊外にあり、余生は妻とふたり、そこで暮らすそうだ。
着々と世代交代が進む中、ライリーは騎士団内に爆弾を投下した。
「近衛と合同訓練をしましょう」
騎士団長と副団長、大隊長を集めての定例幹部会である。
ライリー、スミス、エベラルドの三人の大隊長が短期間で抜けたため、六人の大隊長のうち半分は昇格したばかりの顔だ。全員がライリーより年嵩の騎士である。
新米団長の提案に、全員があからさまに侮る顔になった。
「何をおっしゃる、団長」
最年長のデイビスが口火を切った。
「そうですよ団長。ちゃんと目ぇ醒めてます?」
エベラルドの隊を引き継いだザックが尻馬に乗る。
「兄貴の目がなくなったからって、はっちゃけたら駄目ですよ団長」
「しっかりしてくださいよ、団長」
団長、団長とわざとらしく連呼する歳上の配下を前に、ライリーは平然とこう続けた。
「そう言うと思った。でも今回は俺の頼みを聞いてください」
「なんで」
なんでってなんだ。俺は団長だ。とはライリーは言わなかった。
「従者時代の知り合いが近衛にいるんですけど、このあいだ馬鹿にされたんですよ。おまえごときが団長とは、王立騎士団も大したことないんだな、って。ひどくないですか?」
「ぁあ?」
三十から五十代の大隊長六人が、一斉に険悪な空気を作り出した。全員顔が怖い。
近衛騎士団は、主に伯爵以上の貴族の子弟で構成されている。彼らの仕事は、王族の警護である。
王族は常に国内外からその身を狙われていると言っても過言ではない。とはいえ、実際に危険が身近に迫るような事態は滅多に起こらない。
その理由は、実戦を担う王立騎士団が、敵が王族を狙える距離まで近づく前に、その身を排除しているからに他ならない。
そんな彼らは、近衛騎士団をお坊ちゃんの手習いと馬鹿にしていた。
逆に近衛は、王立騎士団を野蛮な荒くれ集団よと見下している。
どっちもどっちなのである。
キャストリカにはふたつの騎士団がある。だが決して、彼らが交わることはないのだ。
「てめえがそうやってぽやんとしてやがるから舐められるんじゃねえのか」
一番短気なマーロンが言えば、
「よし、それ言った奴鍛錬場に引き摺って来い。合同訓練上等だ」
最年長五十二歳のデイビスも凶悪な顔で指を鳴らす。
「お坊ちゃんにお飾りの剣の手入れして来いよって伝えとけ」
比較的穏健派と言われるロルフまでもが物騒な台詞を吐く。
「あの。訓練なんで。そこは木剣の用意、にしときましょう」
「……え、おっさん達ちょろすぎじゃね?」
ライリーと一番付き合いが長い新米大隊長ザックが、ぼそりと呟いた。
全員がザックの発言を黙殺した。
新しい騎士団長となった若造に乗せられたのは分かっているが、お飾りの騎士に実戦部隊の実力を侮られて黙っているわけにはいかないのだ。
「じゃあ決まりでいいですね。とりあえず最初は様子見がてら、剣達者の若い奴らを十人ほど選んで、向こうの鍛錬場に送りましょう」
「誰にする。万一にも負けるような奴は選ぶなよ」
「ああ、揉めたら面倒なので、腕が立って素直な若いのにしましょう。それぞれの大隊からひとりかふたり候補を出してください」
腕が立って素直で若いライリーの言葉に、大隊長達はこいつのような奴を選べばいいのかと、候補者を頭の中で何人かに絞った。
「よし分かった。小隊長にも相談して一番の達者を出そう」
「絶対ですよ。絶対に勝てるって自信のある若いのを出してくださいね!」
しつこく念押しするライリーに、こいつも団長となった矜持が掛かっているのだろうと、百戦錬磨の騎士達は大きく頷いた。
そういうことなら、協力してやらないわけにはいかない。
「よし。どうせ圧勝して帰ってくるだろうが、念のため選手は当日まで鍛え直して送り出すぞ」
選手ってなんだ。試合じゃなくて合同訓練だと思ったが、ライリーは拳を握りしめて力強く宣言した。
「うちの実力を見せつけてやりましょう!」
ザックはライリーの隣にちらっと視線を走らせた。そこではスミスが、なんとも言えない複雑な表情で気配を消して座っていた。
大隊長達は怖い顔のまま解散した。
「ライリー」
「はい?」
最後まで残ったザックが呼びかけると、ライリーはいつものように返事をした。
「何考えてんだおまえ。何をやるつもりだよ」
「近衛との合同訓練?」
「それ本気で言ってんのか」
「はい」
生まれた階級が違う者同士がうまくやっていくのは難しい。問題が起きるのは目に見えていた。
これまで棲み分けをすることで、同じように騎士を名乗ってきた彼らだが、その性質は同じではない。
近衛は実戦に耐え得るまでの武技を身につけることは求められないし、逆に実戦部隊は不必要な教養を身に付けろとは言われない。
ライリーが生まれるずっと前から、この国ではそうやってやってきたのだ。
「念のため訊くが、近衛の連中はおまえみたいにすっとぼけた貴族の集まりなのか」
伯爵家出身であり、子爵家当主であるライリーが急に言い出したことが、長い付き合いのザックにも分からなかった。
「……ザックはどういう目で俺を見てるんですか」
身分の上下を気にせずに生きていくわけにはいかない。まだそこまで社会が成熟していない。国が国の体裁を保つには、身分制度が必要だ。
ライリーは上流階級の人間でありながら、下の階級に放り込まれた。最初から上手くやってきたわけではない。彼は一度、異質な存在として集団から弾かれた。
今彼は騎士団に仲間として受け入れられているが、それは特殊な例なのだ。
ライリーがふたつの騎士団をひとつにしようと考えているのかと、ザックは疑っていた。
どちらの階級にも所属する自分にならできると彼が考えているならば、それは思い上がりだ。できるはずがないし、そもそも必要がない。
「なんで合同訓練なんて言い出した」
「必要だと思ったからです。できそうだからやってみればいいんじゃないかな、と」
「必要ってなんで」
「うちに無くて近衛にある技術を取り入れるためです」
「なぞなぞかよ」
「別にザック達にまで新しいことをやれなんて言いませんよ。歳を取ったら新しいことなんて覚えられないでしょう」
三十二歳のザックは年寄り扱いされて、お約束の拳をライリーの顔面に向けた。騎士団長はひょい、と最小限の動きでそれを避ける。
「っ……ぐぉ」
本命は守備良く叩き落とした二打目かと思いきや、間髪入れず真正面からきた頭突きだった。
騎士の上半身は常に鎖帷子で守られているため、攻撃の大半は首から上か下半身に限られているのだ。
続けて三回顔にくるとは。
ライリーは額を押さえて、体術で自分に勝るザックを恨みがましく見やった。
「俺は別に悪いことなんかしてませんよ。真面目に職務を全うしようとしてるだけです」
「疾しいことがある奴はそういう言い方をするんだよ」
悪くはないが、疾しい気持ちは確かにある。とライリーの顔に書き出された。
昔と変わらず顔に出やすい彼の姿に、ザックはひとまず安心して引き下がることにした。
「……ひとの顔を読むのやめてくださいよ」
「いい加減読まれないようにしろよ。おまえ一応父親なんだろ」
「一応は余計です。ザックのところももうすぐでしょう。奥さまはお元気ですか」
「ああ。しかしそういう団員の私生活は、いっつもおまえに筒抜けだな」
「エイミーがよく喋っていくんで」
何故、父親のスミスでなくライリーに喋っていくのか、とはザックは今更疑問にも思わなかった。そういうものなのだと、受け入れてしまっている。
昨年結婚したザックの妻は、エイミーの友人だ。
十以上歳下の若い妻を持った軽薄男に、独身者も既婚者も、嘘だろう! と大騒ぎしたのは記憶に新しい。彼の妻には、軽薄なヘラヘラ、が余裕のある大人の男の顔に見えたらしい。
乙女の純情にたじたじになったザックは押されるがまま妻帯して、もうすぐ父親になる。
「まあいいや。エベラルドにライリーを見張っとけって言われてるから、一応訊いてみただけだ」
信用がないな、と思いながらも、ライリーはなんとなく嬉しくなっていつもの緊張感のない顔になった。
「連絡、取ってるんですか」
「いんや。手紙を寄越すには早すぎるだろ。あいつどんだけ寂しがりなんだよ」
「アデラの側にいるためって言ってましたけど、エベラルドの奥方ってどうなったんでしたっけ」
ある日突然、特別訓練を課してくれ、と自ら言い出したエベラルドは、その日を境に女性関係をきっぱり断つようになった。妻となった女性は確かに存在するのだろうが、彼は誰にも詳細を明らかにしないままだった。
「さあ? あの嫉妬深い妹が追い出したんじゃね?」
ライリーもその可能性は考えていた。むしろ、アデラがよく兄の結婚を許したなと思ったものだ。
「……またいつか、西の砦に派遣されたら覗きに行きます?」
「いいな、それ。てか派遣される、じゃなくて、おまえが派遣するんだろ」
「え、団長が砦に駐屯しちゃ駄目なんでしたっけ?」
「聞いたことねえな。公私混同するなよ」
軽薄男は身を固めてから、ずいぶんとまともなことを言うようになった。
「それくらいの特権、あってもよくないですか」
違う。ザックが真っ当な発言をするようになったのは、ライリーのお守り役がいなくなってからだ。
「馬鹿野郎」
俺みたいな奴にまともなことを言わせるなよ、と思いながら、ザックはライリーの肩を拳で突いて自分が預かる隊に戻って行った。