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王の叙任式

 宴は深夜まで続いた。

 主催者であるエベラルドはライリーのように途中で抜け出すわけにもいかず、寝室に戻った頃には経験したことのない疲労感に包まれていた。

 鎖帷子を着けない肩は妙に軽くて落ち着かないし、丈の長い上着シクラスは無駄に長く脚にからまる。

 上質な生地をふんだんに使った衣装は、ウィルフレッドが命じて作らせていた。これを着ろと寄越され、黙って従えば落ち着かない気分になる。汚すわけにはいかないと緊張して、せっかくの上質な葡萄酒を味わう余裕も持てない。

 ライリーが夜会を敬遠していた理由がやっと分かった。

 これは疲れる。

 騎士団の鍛錬による肉体的疲労とはまた違う精神的な負担は、これからエベラルドが死ぬまで負わなければならないものなのだ。

 なんだかんだ夜会慣れしている伯爵ライリーは、場慣れないエベラルドに寄り添う気持ちをまったく見せなかった。今夜は正式に宰相に任じたウィルフレッドが側で細やかに気を配ってくれたために、なんとかボロを出さずに乗り切れただけだ。

 あなたは見栄えがいいんですから、とりあえず精悍な感じに堂々と微笑んでいればいいんですよ。

 というのが、どの角度から見ても美青年な宰相の助言だ。

 思えば彼とは再従兄弟の関係にあたるのだ。

 これから先は、六つ歳下の再従弟を頼りに国内外の王侯貴族と渡り合っていかねばならないのだ。

 このまま窓から外に飛び降りて、行方を眩ましてしまえたらどんなにか楽だろう。

 そんな想像に取り憑かれるには、エベラルドは責任感が強すぎた。



 本当は、王になどなる気はなかった。

 王の血など一滴も流れていないアデライダを玉座に座らせ、かしずく連中を腹の中で嗤ってやるつもりだった。

 過去の亡霊に怯えエベラルドの家族を惨殺したキャストリカの王も、遠い帝国から玉座の奪還をと勝手な夢物語を押し付けてくるバランマスの生き残りも。

 ただの田舎娘の頭上に王冠を載せたときに、エベラルドの復讐は完成するはずだった。血筋のみを重んじる連中を腹の底から笑ってやろうと思っていた。

 だから、エベラルドのいない故郷で少しずつ大人の女になっていく義妹に惹かれても、最初はその気持ちを無視しようとしたのだ。


 王子の本当の子は、アデライダではなくエベラルドだ。

 エベラルドを産んですぐに亡くなった彼の実母は、出産によって弱った身体が回復したら山で王子と一緒になるはずだった。

 彼女は、そのとき初めて子の父親を明かすつもりだったらしい。最後まで口を噤んだまま死んだ彼女の子の父親を知っていたのは、父本人と伯母夫婦だけだった。

 父は母の死後も、名乗り出ることをしなかった。

 初めて愛した女の子が男児だったため、その血に振り回されることを厭うたのかもしれない。

 王子はエベラルドの誕生から間もなく、周囲の勧める縁談を受けて娘を得た。そしてその妻も亡くすと、今度は息子の養母となっていた女との結婚を望んだ。

 そのときすでに、養母の腹にはアデライダがいた。彼女の父は王子ではない。

 幼かったエベラルドは、それがどういう意味を持つのか理解しないまま、半分血の繋がった妹に恋をした。

 表向きは義理の兄妹とされていた子ども達の秘め事に気づき、慌てた父は息子に真実を話して諭した。

 それは許されないことなのだと言われた。

 すぐには理解できなかったその話の意味が、時間が経つにつれ、急速に大人になっていく時期のエベラルドの心をじわじわと蝕んでいった。

 苦しくなって、消えてしまえと願ったら、本当に消えてしまった幼い恋人。

 ちゃんと大人になることができていれば、今頃は誰か別の男の妻となり、可愛い子を抱いていただろうか。夏の空のような綺麗な瞳を持っていた彼女は、国一番の美人と称えられる再従姉妹に似た美しい女になっていたことだろう。

 もうひとりの妹に惹かれるエベラルドに呆れながらも、笑って祝福してくれたに違いない。

 父が生きていたら、どうかな。子どもだったエベラルドを優しく諭した父も、二度目は許してくれないかもしれない。大事な娘をふたりも、とぶん殴られることになっていたら、そのときは甘んじて受けるべきだったか。

 大切な妹であり、長じてからは妻にと望んだアデライダ。

 彼女の産む子の父親がエベラルドでは、本末転倒もいいところだ。

 結局玉座は王の子孫のものになってしまう。

 それでは泣きそうな顔で戴冠式に臨む小さな頭に王冠を載せる意味がない。


 省略しろ、とエベラルドが言うのに、そういうわけにはいきません、とウィルフレッドが簡略化した戴冠式の用意をした。

 戴冠式はエベラルドの傷が癒えるのを待って、王宮内にある教会で執り行われた。

 帝国との戦から一ヶ月後のことだ。

 他国からの客は居なかった。

 国内貴族の参列者も少なく、騎士団の面々もそっぽを向くのだろうと思っていた。

 だがエベラルドの予想に反して、騎士団長をはじめ副団長大隊長、身体が空いた中隊長小隊長までもが騎士団の正装を纏って、かつての仲間の行く末を見届けに来た。

 そのせいで、戴冠式は叙任式のような雰囲気になってしまった。彼らがどういうつもりだったのかは知らないが、その武骨な空気はエベラルドの心を強くしてくれた。

 エベラルドは彼らに育てられた。彼らの教えが、今のエベラルドをつくっている。

 騎士たる者の責務、それは婦女子を、寡婦を、孤児を、病める者を、衰弱せし者を護ることである。

 かよわい妻に護られるような者は、騎士ではないのだ。 

 エベラルドは司祭の手から王冠を取り上げ、しげしげと眺めると、日除けの帽子でも被るような気軽さで自分の頭に載せた。

 観客の様子をちらっと見ると、期待したほどには驚いていない。

 一応、解説はしておく。

「王の子孫は俺のほうだ。俺が、バランマス王の子の息子だ」

 やはりこの瞳のせいか。

 同じ王家の血を引くウィルフレッドが、エベラルドと同じ色合いの双眸をこちらに向けて、腹の読めない微笑を浮かべていた。

 姉がライリーと結婚した頃から彼はやたらとエベラルドに絡んでくるようになって、その様子を見て兄弟のようだと言う者もいた。

 義兄上の兄分なら、隊長は僕の兄上も同然ですもんね!

 などと言っていたウィルフレッドは、当時から同じ色の瞳の所以に勘付いていたのだろう。

 勘働きの悪い騎士団の連中まで、こうなることが分かっていたかのように無感動な態度である。

 お見通しなのは仕方ないのか。

 彼らはエベラルドの家族だ。父であり兄であり弟であるのだ。共に暮らし共に育ち、共に闘って共に生きてきた。


「アデライダ、おまえはこのまま逃げていい。選ばせてやるのは、これで最後だ。ライリーに逃がしてもらうか、一生俺の隣で頭に重いモノを乗せて生きていくか。どっちにする」

 式典のために盛装したアデライダは、化粧を施された顔でエベラルドを睨みあげた。目尻には涙が光っていてまったく迫力はないが、その顔はとても美しかった。

「馬鹿にしないで」

 王に倣って、王妃までもが自らの手で冠を被った。

 女王と王配のはずだったふたりが、勝手に立場を交換してしまったのだ。

 なんてひどい戴冠式だろうか。

「馬鹿だな。賢いアデライダはやめたのか」

「あたしはいつも賢いよ。馬鹿はエベラルドだよ」

 仲間達は、けっと言いながら横を向いている。

 いちゃついてるわけじゃねえよ、と声に出さずに言い訳すると、新しい王は力強く宣言した。

「俺がこの国の王だ。俺が必ず、この国を護ってやる」

 これは叙任式だ。

 エベラルドはもうキャストリカの王の騎士ではない。

 名を変えることになるこの国に住む仲間に剣を捧げる騎士王として、この先を生きていくのだ。



「ウィル、もう終わりでいいですか? その王冠は別のとこに保管しといてください。その頭に載せたままにしといたら、すぐに壊れますから」

 ライリーが待ちかねたといった様子で宰相に催促する。儀式に飽きた子どものようだ。

「よーし全員鍛錬場に集合しろや」

 号令をかけるのは、やはり最年長のデイビスに限る。

「おまえらの演武に国の命運がかかってんだからな!」

 マーロンの言葉はいつでも重い。失敗したら、間違いなく拳が飛んでくるのだ。

「ライリーとエベラルドより、ザックのが心配だ」

 ロルフが別の方向から重圧をかけてくるのもいつものことだ。

「うっせーな。だったら決勝はデイビスでいいじゃねえか」

 先輩騎士からの重圧をひょい、とかわして空気を軽くするのがザックの役どころだ。

「じじいじゃ意味ねえんだよ」

 ニコラスが的確にザックの意見をしりぞける。

「じゃあウォーレン。順当に副団長出とけよ」

「こいつは駄目だ。迫力がねえ。だから娘にも舐められんだ」

 世渡り上手なピートが目立たないよう、さらっと毒を吐く。

「ほっとけ!」

 ウォーレン。たまに問題児になるライリーよりもむしろ、みなを癒してくれるお父さん。

 いつも通りの仲間が、エべラルドのしでかした事の顛末を見守りにきてくれた。

 そして、日常(いえ)に帰るぞと誘ってくれている。


 神聖なはずの儀式は、そんなふうにあっさりと終わった。

 なんてことのない、ただの茶番劇だった。




 やっつけでこなした戴冠式の後は、今日この日を迎えるためにひたすら鍛錬場で汗と血を流し続けた。

 久しぶりの鍛錬場は相変わらず地獄のような場所だったが、仲間と共に再びあの場所に立てたことがただただ嬉しく楽しかった。

 毎日ぼろぼろになりながらも笑って帰ってくるエベラルドを、アデライダは毎晩子どもにするように寝かしつけた。

 悪夢はもう、ほとんど見ていない。

 アデライダを抱き締めていなくても、きちんと朝まで寝むことができている。

 陽が昇れば、夜は終わる。夜明けは、当たり前に毎日やってくるものだ。

 もう彼は、夜の中を怯え逃げ惑う子どもではない。

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