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伝説の騎士と姫君

 騎士団長と国王の対決が始まった。

 彼らは小さな王国を巡って敵対関係にあった。国王が勝ち、騎士団は彼の下に降った。

 そんな彼らの闘いは、実に見応えがあるものだった。

 歳が近く、同じような体格のふたりだが、その動きはあまり似ていない。

 遠目にも華やかな派手さのある国王に、徹底的に無駄を省いて舞うように剣を扱う騎士団長。異なる剣捌きをしながらも息の合った動きで、間一髪のところで互いの身体に傷を付けることはない。

 幾度となく剣を打ち合わせるが、力が拮抗するためにどちらかが競り勝つということがない。

 最後には、互いに首を取れる形でぴたりと剣先を止めた。

 止めなければ、ふたつの首が同時に、試合会場に血飛沫と共に舞い上がったに違いない。

 ふたりはゆっくりと剣を引き、鞘に収めてから互いの剣を交換した。

 新生バランマス王国の建国記念式典に招待された各国要人は、その余興の意味を正しく読み取った。

 キャストリカ王国王立騎士団は力を失ったが故に国を奪われたわけではない。バランマス国王エベラルドの力がわずかに勝っただけだった。

 だが元々は騎士団長と国王の力は拮抗しており、国王が力を失えば騎士団はすぐさま牙を剥く。

 今彼らの間にあるのは上下関係ではない。同じ国を守るため同盟を結んでいるのだ。ひとたび国に危機が訪れれば、彼らは先の戦のように力を合わせて脅威を排除する。

 騎士団がバランマス国王に従う姿勢を見せている間は、王は力を持ったままというわけだ。

 この地に騎士団が在る限り、この国は帝国の手には入らない。

 会場では、ふたりの騎士の健闘を讃える声援がいつまでもやまなかった。




 陽が傾きはじめたが、城内に夜の帳は下りない。

 燭台の火が、笑いさざめく人々の影を幾重にも重ねて作り出す。

 祝賀会のはじまりだ。

 いつもに増して気合いを入れた宴仕様の会場は、煌々と照らされていた。

 反射材に使われている硝子は、それだけで芸術作品として成り立ちそうな品物だ。ハリエットが毎晩のように夜会に出席していた十年前には、こんなものは存在しなかった。

 貴婦人が着るドレスの流行も、昔とはずいぶん様変わりしている。

 最近の流行では、腰を細く見せる形にするそうだ。

 小柄な王妃は腰は細いが、他の部位も細かった。

 曲線に乏しい体型については、ないものをあるように見せるのは、その逆をするより簡単です、と詰め物をして誤魔化してやった。

 十代の少女の頃、まだすとんとした体型だったハリエットが使ったのと同じ技だ。あの頃身に付けた技術は衰えていなかった。

 初めて出逢った頃のハリエットに過剰な夢を持っているらしい夫には秘密にしている技だ。

 我ながらなかなかの出来映えに仕上がった。

 支度を手伝ったハリエットは、アデライダの化けっぷりを満足気に眺めた。


 エベラルドの妻アデライダは可愛らしいひとだ。

 少し小さめな身体で軽快に動き、円い目は人や物をよく見ている。重い過去を背負って生きてきたとは思えないほど、その笑顔はからりと明るい。

 彼女の気質はどことなくライリーに似ていて、憎むことが難しい。

 少年だったライリーを可愛がってきたエベラルドはつまるところ、ああいった性質の人間に惹かれてしまうということなのだろう。

 自分もそうだと気づけば、もしかして自分達は似通っているのだろうかと、ハリエットは少し考えこんでしまう。

 アデライダに縋るような目で見上げられたら、彼女の付添人として宴席に出るより他なくなってしまった。

 ハリエットの立ち位置は、王妃より年嵩の助言者だ。二十五歳という実年齢よりも更に若く見える王妃には、側で補佐する夫人が侍っても不自然ではない。

 無理に完璧な王妃の仮面を被ってボロを出すよりも、未熟な王妃を護る勢力が存在するのだと示すほうがマシだろうとなった。それがかつて侯爵夫人と呼ばれた女傑であるならなおさらだ。

 ハリエットは宰相となった弟からの頼みもあって、地味に装い約十年振りに夫の添え物ではない役割を担って夜会に出席した。

 彼女は付添人としての立場からは決して逸脱せず、それを理由にダンスの誘いもすべて断った。今夜は特に、ライリー以外の男の手を取るのは嫌だった。


 ふたりはまだ、夫婦喧嘩の最中だ。

 ハリエットは今夜、ライリーの差し出す手を握り返すことは決してない。

 エベラルドが逡巡ののちに、一応、礼儀として、といった態度でダンスの誘いをしてきたが、ハリエットは柔らかい笑顔を浮かべてアデライダの側に立ってやった。

 聡い王妃は彼に小声で、旦那さんと踊れない日に他の男と踊るわけないでしょ、と諌めてくれた。

 面倒臭え、と他には聞こえない声で呟くエベラルドは、ハリエットをなんだと思っているのだろう。

 彼は未だにライリーを弟分と思っていて、その妻には内輪向けの顔を見せても問題ないとでも考えているのだろうか。

 なんだかんだ、彼の思考も善人のそれだ。

 ライリーが、ハリエットがエベラルドの妃になればすべてが解決する、なんて短絡的な考えに至ったことを知ったとき、彼女の心は真っ黒に染まった。

 エベラルドを消す方法を幾通りも思いついた。

 彼の存在がなくなれば、夫も馬鹿な考えに取り憑かれずに済む。ならば彼を消してしまえばいい。

 どちらが短絡的か分かったものではない。

 後ろ暗い気持ちを抱え、こんなだからライリーは自分を捨てようなんて考えてしまったのだろうかと、鬱々としたまま今日まで態度を軟化させずに来た。


 国王の側に立つライリーは、王妃の付添人であるハリエットのすぐ近くにいた。

 昼の馬上槍試合では順当に勝ち進み、いつものようにハリエットにその勝利を捧げてくれた。人目がありますので、とわざと冷たい言い訳を聞かせてから、捧げられた勝利に祝福を返した。


 昼も夜も、常と変わらぬ素敵な旦那さまだ。

 飛び付きたい気持ちを抑えて、ハリエットは早々に宴会場を後にした。

 子ども達はすでに寝ているだろう。

 急いで部屋に帰る必要もないが、仲違いしたままライリーを見ているのが辛かった。

 そこここに立つ騎士はほとんどが顔見知りだ。

 騎士団長に従う彼らの眼がある場所ならば、その妻であるハリエットがひとり歩きをしても危険はない。

 だが、闇に紛れて音もなく現れた白髪の老騎士が、お部屋までお送りしましょうと手を差し出してきたときには、迷うことなく右手を預けた。


 ルーファスは彼の大甥が昔そうしてくれたように、優しく廊下を先導してくれた。

「小僧とは、今も喧嘩中だそうですね」

 三十に近い身内をそうくさして、伝説の紅い竜は衰えを感じさせない精悍な顔を笑ませた。

「……わたくしが悪いのです」

 年配者の優しさに己の行状が恥ずかしくなって、ハリエットは消え入りそうな声で返事をした。

「とんでもない。あの小僧が悪いに決まっています」

 ルーファスの姪であるシエナも、結婚当初のハリエットにそう言って慰めてくれた。やはり彼らはよく似ている。

 小さく笑った彼女を、ルーファスは優しい目で見た。

 その目はハリエットでなく、彼女を通して遠い昔を見ているのだ。

「そうしていると、ますますオリヴィア様に似ておられる」


 ルーファスは、ハリエットの祖母であるバランマスの王女に仕える騎士だった。

 伯爵家の次男として生まれた彼と王女の恋物語は今でも吟遊詩人が唄い、芝居の題材となっている。

 現実では結ばれることのなかったふたりだが、脚色を施したいくつもの物語の中で、ふたりは幸せに暮らしました、で終わることもあった。

 その幸せな結末の物語が、ハリエットの一番のお気に入りだった。

 姫君、どうか残りの人生を、わたしと生きてください。

 そう言って物語の主人公である騎士は、王女を攫ってしまうのだ。

 ふたりは国の片隅で、慎ましくも幸せに生きていく。


 祖母から聞かされていた伝説の騎士が、恋をした相手の大叔父だとは知らずに結婚した。

 婚礼後にティンバートンで過ごした短い期間で、身内のひとりなのだと義母から紹介されたときには驚いた。

 ライリーは何も知らない。故郷でのんびり隠居生活を送ろうと思い、放浪騎士をやめて帰ってきたのだと聞いた。

 騒ぎを嫌う様子の老騎士のために、ハリエットは知らされた事実を一生胸に秘めておこうと決めていた。

 なのに今回はその彼を、ハリエットの一存で再び表舞台に引っ張り出してしまった。


「ルーファス様。このたびはわたくしの勝手で周囲を騒がせてしまい、申し訳ありませんでした」

 真摯に頭を下げるハリエットの頭に、ルーファスの手が乗せられた。

「お祖母さまに触れることは許されなかった。年寄りの暴挙を、身内のよしみでお許しください」

「……大叔父さまとお呼びしても?」

「あなたの夫はじいさまと気軽に呼びますよ。どうか同じように」

 このひとが、幸せな物語の結末のように祖母と結ばれていたら、ハリエットはこの世に生まれていなかった。

 だが、悪戯っぽくせがんで見せる憧れの騎士の願いを叶えることは、彼女には容易いことだ。

「お祖父さまのおかげで、平和が訪れました。勝手をお詫びすると共に、感謝を申し上げます」

「あなたの頼みだから出てきたのです。ついでに、もうひとつ頼んでみますか。あなたが夫に愛想を尽かしたから攫って逃げてくれとおっしゃるなら、老骨に鞭打つこともやぶさかではない」

「まあ。ライリー様に愛想を尽かされてしまったら、お願いしてしまいましょうか」

「その日が来ることを願いたいが、あいつはなかなかしつこい男ですよ」

 ほら、とルーファスが示した先には、ライリーの姿があった。

 その場を去ろうとする騎士を呼びとめ、ハリエットは小声で頼んでみた。

 まだ、夫に対する態度を決めかねているのだ。


「お祖父さま、もう少し一緒にいらしてください」

 おや、と白くなった眉を上げたルーファスは、柱の影にハリエットの細い身体を隠した。

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