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新しい竜

 騎士団の凱旋から三ヶ月が経った。

 ライリーが騎士団長就任の内示を受ける最終判断が下された御前馬上槍試合からちょうど一年が経ったことになる。

 彼は再び、王宮内に設置された試合会場で順当に勝ち進んでいた。

 そもそも個人戦(ジョスト)は、団体戦(トゥルネイ)で活躍の場がない若手の見せ場をつくるためのものである。

 大隊長だったライリーとエベラルドが出場した昨年は特別だ。あれは騎士団長をどちらにするか、最終決定を下す判断材料とするため、彼らのために用意された舞台だった。

 今年は更に異例尽くしの試合となった。

 中央の広い試合会場を囲んで、王都の住民の興奮は最高潮を迎えたかと思うと、次の試合、次の試合となるたびに更なる盛り上がりを見せ続けた。

 市民は戦う騎士と同じ高さから押し合いへし合いしながらなんとかその勇姿を目に焼き付けようとしている。

 試合会場を見渡せる高い位置に用意された貴賓席では、近隣諸国からの客人が固唾を呑んで試合の成り行きを見守っていた。


 出場しているのは、歴戦の騎士ばかりである。

 先輩騎士や隊長格が試合を披露している間、未熟な若手は裏方で走り回っている。

 見た目の派手さを重視して、少しばかりやらせも仕込んである試合である。

 ここでこの角度から攻撃が来たらこの方向に避けてこう返す、と事前に打ち合わせてあるのだ。白熱してくると、その打ち合わせ内容が頭から抜けて、本気で相手を倒しにかかる者も少なくない。が、そのほうが迫力も増して悪くない、と結果だけ見ればまずまずの試合運びとなっている。

 帝国騎士が数十人、親善目的で試合に参加している。

 そのほとんどが早い段階で脱落してしまい、救護小屋に運ばれたか、観覧席に移るかしていた。

「いや、野蛮な国で申し訳ありません」

 新しい国王が、貴賓席に向けて苦笑してみせる。

 帝国からの貴賓の筆頭は、皇帝の何番目だかの弟である。


 帝国風の雅な衣装を着こなす皇帝弟とて、戦乱の時代に生きる男子として、一通りの武芸は収めている。彼の目にも、バランマス騎士団の破格さは充分見てとれた。

 小国が用意し得る兵力の倍以上を備えて出兵した自国の軍が、本国からの帰国命令をこれ幸いと敗走したと聞いたときには、なんと情けないものよと思った。

 敵は情報の倍の戦力で迎え討ってきた。それでも数の有利が覆るほどではなかったはずだ。

 なのに巨大な帝国の兵は敗けた。完膚なきまでに叩きのめされた。

 本国からの書状を携え、我々の勘違いであった、すぐに兵を引き揚げて帰国する、申し訳なかったと頭を下げて這々の体で帰ってきたというのだ。


 皇帝弟は、眼下で繰り広げられる試合に冷や汗をかいた。

 回を重ねるにつれ、苛烈さを増していく試合は、今度こそ最高潮に達するところだろう。

 決勝戦まで勝ち進んだのは、つい一年前、最年少で騎士団長に就任したという若き騎士である。

 相手は、先ほどの試合で辛くも副団長を打ち落とした大隊長、彼もまだまだ余力を残す若者だ。

 つまりバランマス騎士団は、この先十年以上衰えを見せることはないということだ。彼らが老いて力を手放すまで、次の世代を担う若手が育つには充分な時間がある。

 馬上で騎士団長が力強く槍を操る。対する騎士はそれを危なげなく受け止め穂先を返す。団長が避けて猛攻する。


「野蛮などとはとんでもない。この時代の騎士に相応しい者ばかりだ。羨ましい限りです」

 皇帝弟は試合から目を離すことなく、新王に返した。

 団長が相手を馬から落とした。

 決着がついたかと息を吐きかけたが、落馬したかに見えた騎士は自らの足で地に立っていた。その手にはすでに剣が握られている。

 対する団長も同じように飛び降りて抜剣した。

「決勝戦は実戦を模していますので。どちらかが致命傷を負う……まではもちろんやらないのですが、負わされたと思い降参するまで続けられるのです」

 驚く皇帝弟に、国王自らが解説をする。

 当然のような顔で観覧している国王本人も、昨年は会場で戦う側であったという話だ。

 祖父王がキャストリカに斃され、隠されて育つなかで騎士団の一員となったのだ。

 皇帝弟と同じ歳の頃、三十代の前半の若き新王は美しい男だった。整った顔の造りだけを見ると血腥い戦場には不似合いに思えたが、弱々しさは一切感じられなかった。

 伝説の騎士王アーサーもかくやといった風格で、上流階級とは無縁の育ちをしたとは思えぬ堂々とした態度である。

「素晴らしい」

「お気に召されましたか。それならばよかった」

 馬上槍試合から剣闘に変わった決勝戦は、一気に勝敗が決した。

 団長に剣先を突き付けられた騎士が投降の仕草を取る。


「あの団長の親族にはちょっとした逸話がありましてね。今回は新国建立の祝いということで、余興を買って出てくれました」

 まさか師団長が言っていた紅い竜のことか。竜の血族が現れたというのは、事実だったか。

「……まさか」

「おや、噂をご存知でしたか。ならば楽しんでいただけるでしょう」

 圧倒的な強さを見せつけて剣闘でも勝利を収めた騎士団長は、観覧席を見上げて兜を取り去った。

 存外人好きのする赤毛の青年の顔が衆目に晒される。

 観覧席のそこここから、黄色い歓声が上がる。

 赤毛の青年は、勝利を捧げる相手の姿を求めて歩いた。

「あれが噂の騎士団長と侯爵夫人の恋物語なのですね」

 試合中は時折目を覆っていた皇帝弟妃が、うっとりと眼下の夫妻を見つめている。

「……帝国にも届いていますか」

 心なしかげんなりとした様子の国王が曖昧な微笑を浮かべる。

 妻が美形の微笑みに頬を染めるのに冷たい視線をくれてから、皇帝弟は再び眼下に意識を向けた。

 どこの国でも、騎士の馬上槍試合の締めは貴婦人による祝福と決まっている。

 見慣れたものではあるが、今回の主人公達は騎士道物語の一場面をなぞらえているかのように美しかった。

 国王が野蛮な、と自虐した国の騎士団長は、潑剌とした若者の動作で貴婦人の前にひざまずいた。そこから急に、彼は武骨な騎士から貴公子に変わった。

 彼が優雅な仕草で勝利と愛を捧げる相手は、毎回変わることなく己の妻であるのだという。

 その噂は帝国でも、虚実入り混ぜた物語のごとく語られている。そのせいで、キャストリカの騎士団は軟弱であるという誤った印象を持つ者もいた。兄である皇帝もそのひとりだったのかもしれない。

 キャストリカ騎士団を舐めてかかった帝国は大敗を喫した。バランマス側は帝国の目論見に気づかない振りで謝罪を受け入れた。


 あの騎士集団を打ち負かし従えるバランマス国王とは、一体どれほどの男なのであろうか。

 新生バランマス王国からの招待を承けて、皇帝の代理でやって来た皇帝弟は、新国国王の精悍な横顔を盗み見た。

 国王エベラルドはその視線に気づいて、別の方向に注意を向けるよう促した。

 新しく試合会場に現れたのは、白髪の老騎士だった。

 遠目にはどういった人物なのか判じることは難しいが、老騎士が従える人物の強者感は伝わってきた。

 長い赤毛を高い位置で結い上げている騎士は、まさか女か。

 赤毛。

「あれが」

 皇帝弟は、自分は伝説を目の当たりにしているのかと唾を飲み込んだ。

 その考えを肯定するかのように、観客が沸いた。

 紅い竜、竜の血脈、伝説の騎士。最強の復活。

 歓声を浴びているのは、長髪の女騎士でなく、白髪の老騎士のほうだ。

 女騎士が捧げ持った剣を受け取ると、老人は優勝した騎士団長にゆっくりと歩み寄り、そのまま無造作に斬りかかった。

「!」

 皇帝弟が息を呑むのを、エベラルドは視界の端に捉えて唇の端を上げた。

 避けられるのが不思議なくらいの正確無比な剣筋、それに対する騎士団長の体捌きにも無駄はない。

 常人には何が起こっているのかすら分からないだろう。観客は訳が分からないまま、自国の騎士の強さを誇り、称え、喜んでいる。


 紅い竜、生ける伝説との声援を受け流す老騎士は、一切の無駄を省いた動作で、その場から動かない。対する優勝者は、若さ故の有り余る体力を武器に、右に左に動き、時には上下から攻撃を繰り出し、なんとか伝説を打ち破ろうと果敢に挑戦し続ける。

 この勝負は、紅い竜の伝説の終焉と、同時に生まれる新しい竜の誕生を意味しているのか。

 皇帝弟は、この国に帝国が敗北した理由を突き止めなくてはならない。

 格下の生物をあしらっているようにすら見えた白髪の竜が、とうとう若い竜の剣を跳ね飛ばした。高く舞い上がった剣は、観客に向かって落ちていった。

 馬上槍試合で死傷者が出ることは珍しくない。だが、観客に武器が飛んでいくなど許されざる失態である。

 悲劇の予感に目を覆う者、逆に身を乗り出す者、観客の反応は様々であった。

 貴賓席に座る者のほとんどは後者だった。皇帝弟も身を乗り出して、騎士団の失態を見守った。

 誰もが流血を予想した。

 だが、それは実現することはなかった。


 最前列に座って試合を観覧していた男が、ぬっと立ち上がり、飛んできた剣の柄を気負う様子も見せずに掴んだ。

 頭抜けた身長に、屈強な体躯の大男である。

 彼の噂は皇帝弟も聞き及んでいる。見るのは初めてだが間違いない。あんな男がそうそう存在するはずがない。

 前騎士団長だ。彼には引退の原因となった右腕の、肘から下がない。

 前騎士団長は左手だけで捕まえた剣を振りかぶり、投げた。剣は真っ直ぐ、若い竜に向かって飛んだ。

 前任者から武器を受け取った若者は、老騎士の剣撃を避けながら体勢を整えた。彼はせっかく取り戻した剣を鞘に収めると、それを思い切り投げた。

「!」

 剣は真っ直ぐ貴賓席まで飛んできた。

 皇帝弟は目を見開いて硬直した。

 

 その眼前で、剣を受け止めたのは美しい国王だった。

「……な、何を。バランマスの、これは」

「申し上げましたでしょう。余興ですよ。お楽しみいただけるかと思いまして」

 振り返って唇の端を持ち上げた王の姿は力強く、ひどく魅力的だった。

 貴賓席の人々は魅入られたように、彼が観覧席から飛び降りるのを見ていた。

 外套を翻し、試合会場に現れた王は、優勝者である若者と相対した。

 伝説となった老騎士は自身の剣を若者に投げ渡し、悠然と会場を後にした。


 これは伝説の終焉などではない。

 紅い竜は新しく生まれた竜に倒されなかった。若き竜もまた偉大なる伝説に萎縮することも倒されることもなく、生ける伝説から剣を受け取った。


 新しい竜が生まれた。

 老いた竜は未だ力を手放すことなく、この地で炎混じりの欠伸をしながら、隠居した振りをしている。

 若き竜には巨人も味方する。赤毛を持つ竜の血族も彼を後押しするために控えている。

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