恋を終わらせる
万策尽きた。
ライリーは方針を見直すことにした。頭脳戦で妻に勝てるわけがないのだ。
ここはもう、真っ向勝負に出るしかない。
「たのもう!」
ハリエットは、ロージーを会長とする王立騎士団支援者の会に助けを求めたのだ。
あの団体は、困難な状況にある女性の駆け込み寺としての機能も併せ持っている。
彼女達に助けを求めた妻を力尽くで取り返すことに成功した男は、過去にひとりも存在しない。
ならばライリーにできることは、真正面から突っ込むことしかない。
会長はライリーの幼馴染であり、兄嫁だ。副会長は昔からよく知る娘である。情に訴えて、ハリエットとの面会を許してもらうのだ。
いつになく凛々しい顔で情けないことを考えながら、ライリーは扉を叩いた。
貴族棟にある一室にハリエットが匿われているという情報は入手済みだ。室内では会長と副会長が彼女を守っているらしい。
「あら、ライリー様。ご機嫌よう。そんな大声を出されたらびっくりしてしまいますわ」
侍女ではなくロージーが直に出てきた。
にこやかな義姉に苛立ってしまう。ライリーは怒鳴りつけてしまわないよう、意識して丁寧な言葉を絞り出した。
「義姉上、妻はこちらですか」
「はい」
「会わせてください」
「駄目です」
にべもなく言い切った幼馴染に、ライリーは縋りつかんばかりになった。
「ロージー!」
「ハリエット様がお会いしたくないとおっしゃっているんですもの」
「そこをなんとか。ほら、俺達の仲じゃないか」
「ライリー様、語弊が。ハリエット様も室内でお聞きですよ」
「そうか、聞いてるのか! ハリエット! 俺です! ごめんなさい! もう二度と言いませんし、馬鹿なことは考えません! 許してください!」
「……子どもか」
副団長に命じられて団長を探しに来た騎士がぼそりと呟いた。
「あら。なかなか悪くないですよ。すべて自分が悪いと認めつつ、奥方の母性に訴える作戦ですね」
「いや、作戦ってか、あれ多分素でやってますよ」
扉の向こうはしん、としている。
ライリーはぐおぉと唸って頭を抱えた。
「ほら団長、そろそろ仕事に戻りますよ。夫人、お騒がせしました」
「はい、ご苦労さまです。ライリー様、お仕事頑張ってくださいね!」
「ハリエットに会えないなら、仕事なんか頑張れない!」
「何言ってんすか。マーロン隊長に言いつけますよ」
そのまま何日も過ぎていった。
さすがのライリーも一日中扉の前に張り付いているわけにはいかず、朝晩二回扉の前で「おはようございます! ごめんなさい!」「ごめんなさい、おやすみなさい!」と叫ぶことを日課と決めたらしい。
今朝も仕事前にやって来て、扉を護っている騎士の呆れ顔を物ともせず声を張り上げている。
「おはようございますハリエット! 昨夜も反省しながら寝ました! やっぱり俺が悪かったです。申し訳ありませんでした!」
「団長うるさい。朝っぱらから迷惑ですよ」
共同戦線を張ったバランマスとの緊張状態は、すぐにはなかったことにできない。
ライリーが言い出すまでもなく、ハリエットに護衛は付けたほうがいいだろうとなった。戦から帰ってきた日の夜から、昼夜を問わず扉番の騎士が立っている。
彼らが夫婦喧嘩などしなければ、夜番は必要ないはずだった。騎士団長が共寝するならば、これ以上はない護りになる。
「ライリー様おはようございます。今日もお疲れさまでーす」
エイミーがにこやかに挨拶するも、ライリーは警戒心を剥き出しにして後退った。
(何これ。おもしろい)
「出たな、誘拐犯」
「やだライリー様。あたしはお母さまのご依頼でお子さま方をお迎えに行っただけですって言ってるじゃないですか」
「……そうだよな。エイミーは昔からハリエットが一番だった」
「ふふふふ」
「何かこう現状を打破する秘策とかないのか」
「えー? 日参はしてらっしゃるし、反省文もといお手紙も書かれた。あとは贈り物とか?」
「下手な物を買って、無駄遣いをと怒られたらどうする」
ライリー達は恋人ではないのだ。家計が同じなのだから、黙って大きな買い物はできない。
ライリーはふたつの領地を持つ貴族当主であり、騎士団の長である。
その収入はエイミーには想像もつかない額になるはずだが、彼の金銭感覚は長屋に住んでいた頃とあまり変わっていないように見える。
「じゃあ手作りに挑戦してみます?」
「俺が刺繍をするのか」
「え、それ選んじゃうんですか」
エイミーには、ライリーが想像している物が分かった。
ハリエットがくれたのだと、彼が大事にしている刺繍入りの手巾だ。
なんて素敵な夫婦なのだろうと、子どもだったエイミーはうっとりしたものだ。
自分がもらって嬉しかったものを同じように相手にも返したいのだと、お互いに想い合っている。
珍しく喧嘩をしている今このときだって、その想いは変わらないままだ。
「エイミー教えてくれるか。……いや、それはまずいか」
侍女職とお針子の仕事を掛け持ちしているエイミーを見たが、ライリーは思い直したように首を振った。
「いいですよ。早く仲直りして欲しいし、協力しますよ」
ライリーは少し困った顔で、また少し首を振った。
「いや。君は配下の婚約者だ。アルに悪いからやめておく」
「…………っ」
思いもよらない理由を告げられて、エイミーは絶句してしまった。不覚にも頬に朱が上ったのが自分でも分かる。
ライリーはしてやったり、といった顔になって、彼女に背を向けた。
「これからは朝晩の挨拶以外には貴族棟に近づかないようにするから、ハリエットに自由に動いて大丈夫だと伝えてくれ。俺が来ないか見張る必要もない。君達も大変だろう。巻き込んで悪いな」
思い出したように振り返りながら、最愛の妻を隠しているエイミー達を気遣う言葉を吐いていく。
これが彼の通常運転だ。
「……いってらっしゃいませライリー様!」
「ああ。行ってくる。ちょうどアルも来たみたいだ」
大袈裟にならない程度の爽やかな笑顔もいつも通りだ。
なのに距離を感じる。
なんで。
一体いつ、ライリーはエイミーが幼い子どもではなくなったことに気づいてしまったのだ。
他の男性と婚約している女性と親しく接するわけにはいかないから、なんて。今までエイミー相手にそんなこと考えたことないくせに。
(ああ)
エイミーは自分の中で湧き上がった感情がなんなのか察することができた。
これは絶望だ。
大切にしていた想いを手放すときがやってきたのだ。
ハリエットの部屋の扉を護るためにやって来たアルはエイミーの顔を見たが、何も言わずに夜番の騎士と交代した。
終わってしまった。終わらせなくてはいけなくなってしまった。
幼い恋をいつまでも続けるわけにはいかないのだ。
これ以上は、大切なひとを傷つけることになる。
ライリーも、ハリエットも、アルも、エイミー本人も。
エイミーはアルに背を向けて、静かに長く一度、息を吸って吐いた。
「ねえ、君達ってライリー様を信奉してるんじゃなかったの?」
アルがエイミーに視線を向けないまま、話しかけてくる。
室内に聞こえない程度の小声だ。
「だから何よ」
アルは宣言通り、戦場から帰ってすぐにエイミーに求婚しに来た。
エイミーはそれに対して、躊躇を見せながらではあるが確かに頷いた。
アルが大きな怪我をすることなく無事に帰ってきたのが嬉しかった。
彼は帰って来て一番にエイミーの姿を探してくれた。これからもそうして欲しいと思ったから頷いたのだ。
彼女の態度をどう思ったのか知らないが、アルはその足で戦装束を解いている最中のウォーレンに結婚の許可を求めに行った。君の気が変わらないうちに、なんて言いながら。
彼は、ふたりが出会う前からずっとエイミーの心の中に棲んでいるひとの存在を知っている。
エイミーはライリーのことが好きだ。
ずっとずっと好きだった。
どうにかなりたいなんて考えたことはない。ハリエットを悲しませる人間なんか、例えそれが自分であっても許すことはできない。
見ているだけでよかったのだ。
無邪気な子どもの顔をしていれば、彼は親しく口を利いてくれる。それだけで満足だった。
これからはもう、それすら許されない。
「ライリー様の頼みを無視して、ハリエット様を匿うのはありなの?」
「当たり前でしょ。みんなハリエット様になりたいの。だからハリエット様が好きなものを好きになりたいのよ」
「……えっと。つまり君達は、ハリエット様が好いてるから、ライリー様が好きってこと? 万一ハリエット様がライリー様に愛想を尽かしたら、好きじゃなくなる?」
アルは今まで誰も触れようとしなかった会の核心に迫った。
「かもね」
エイミーはそんな彼に肩をすくめてみせた。
「ふうん。君は?」
「え?」
「エイミーもそうなの?」
「…………」
知らない振りを続けてくれるのかと思ったアルは、何気ないふうを装って軽い口調で問うてきた。
エイミーは言葉に詰まってしまうしかない。
「責めてるわけじゃないよ。ライリー様はかっこいいしね。僕だって、ハリエット様がこのまま、ライリー様に見切りをつけたから連れて逃げてくれっておっしゃることになれば喜んでそうするし」
「……喜ぶんだ」
「僕もマイラ様に信用ならないと言ってもらえるくらいには、若い男の端くれだからね。そのくらいの妄想はする」
「………………」
これが結婚の約束をしたばかりの男女の会話だろうか。
エイミーは本当にこのひとと結婚するのだろうか。
アルは本当にエイミーと結婚することを望んでいるのだろうか。
「マイラ様、お元気そうでよかった」
微妙な顔になったエイミーに少し笑って見せて、アルは話題を変えた。
マイラは人質として過ごしていた離宮から、デイビスの籠城する貴族棟に連れて行かれた。
デイビスが投降するなら王子は逃がしてやってもいいと旦那を説得して来い、とエベラルドに言われたのだそうだ。彼はおそらく、ウィルフレッドが王子家族を逃がすことを知っていたのだろう。
食糧が尽きてから仲間が王子と共に投降してきたら、何かしらの制裁を加えなければならなくなる。
エベラルドはそれを嫌って、わざと王子が逃げる隙をつくり、それをデイビスが投降する理由とさせたのだ。
王子家族を追わない代わりに投降する、なんて、いくら騎士団最恐の大隊長でも取引にならない。
これからでかい戦になる、王子なんかよりも騎士が必要なのだと、エベラルドが嘘と真実を混ぜた言葉をデイビスが聞いている。
「うん。ハリエット様もね、エベラルド様がしたことを許す気はないけど、仲間を傷つけないよう奔走した点については評価すべきだ、って」
「そんな話をしてるんだ」
「ライリー様には申し訳ないけど、楽しいよ。ハリエット様、色んなお話ししてくださるから。あとアデラが通って来ててね、礼儀作法とかハリエット様に教わってるんだよ。すごく厳しくて、アデラも大変そう」
アルはいつもの調子で喋り出したエイミーを優しい目で見た。
「そっか。まあ彼女には頑張ってもらわなきゃいけないからね」
「ね。うまくいくといいね」
「大丈夫だろう。そのためにみんな頑張ってるんだ」




