作戦変更
しばらく落ち込んでから、ライリーは気を取り直して作戦を変更した。
まずはソフィアの乳母や手の空いた女官と遊んでいた子ども達のところに向かう。
騎士団の見学に行こう、と誘うと、ブラントとソフィア、ビリーの三人は喜んでついて来た。ほぼ誘拐の手口である。
ハリエットが子ども達を迎えに来たところを捕まえようと考えたのだ。
騎士団が凱旋したのは、ほんの一日前のことである。
ライリーが騎士団の詰所に顔を出すと、忙しく動く騎士が軽く殺気立った。
なんでこのくそ忙しいときに子どもを連れて来やがるんだ。
顔には出たが、彼らはその顔を幼い子どもに向けることも、口に出すこともしなかった。
「こんにちは!」
「こんにちは、ブラント様。今日は父上のお仕事を見に来られたのですか?」
「はい!」
「よし、ブラント、ソフィア、ビリー。ここだとみんなの邪魔になるからな。鍛錬場に行って稽古に参加してこようか」
不穏な空気を察したライリーは、慌てて提案した。
「ソフィアもやっていいのー?」
「いいぞう。ちょっとだけな」
「あの、団長。お仕事のほうは」
どう考えても一番忙しいはずの団長に、一言言わずにおれない騎士がそっと苦言を呈した。
子どもの前でなければ締め上げたい、といくつもの目が語っている。
「分かってます。やります。鍛錬場に仕事を持って来るようウォーレンに伝えといてください。今ちょっと取り込み中なんです」
慌てて鍛錬場に子どもを連れて行くと、伝言を聞いたウォーレンが先回りしていた。
「ライリー、おまえなあ」
ウォーレンは子ども達の姿を見て、文句を言いかけた口を慌てて閉じた。
ライリーは少年の頃から騎士団に所属しており、先輩騎士の教育的指導を受けるのを当然のことと捉えている。
だがまだそういった事情の分からない子どもの前で、伯爵位を持つ騎士団長を扱き下ろすわけにはいかないのだ。ましてや父親を尊敬する幼子の気持ちを傷つけることは、それが誰であろうと許されないことだ。
「すみません。ちょっと事情が。書類はここでこの子達を見ながら片付けますから」
「…………話は聞いた。子守り役を連れて来てる」
そこにばあっと言って姿を見せたのはエイミーだ。
「あっエイミー!」
「ソフィア様、今日はエイミーと遊んでくださいな。ブラント様はビリーと素振りをなさるんですか?」
「うん! エイミーもソフィアと一緒に見ててよ」
「いいですよ。数を数えましょうか。何回振るんですか?」
「百回!」
「ええ! そんなにできますか?」
子ども達は赤子の頃からよく遊んでくれるエイミーが大好きだ。
ライリーが目線でエイミーに感謝を伝えると、彼女はにっこり笑って子ども達を鍛錬場の隅に連れて行った。
彼女達の姿が消えると、ウォーレンは巨大な溜め息をついて上官に向き合った。
「……ライリー、おまえハリエット様に何をしたんだ」
「な、なんかちょっとかなりの失言を……」
「こんなときに何やってるんだ。ハリエット様のお姿が見えないって、すでに混乱が起きはじめているぞ」
「そんなのハリエットには関係ない。エベラルドが解決すべきことでしょう。これ以上彼女を便利に使わせる気はありません」
ライリーは迷うことなく、他人の事情を切って捨てた。
そのきっぱりした口調に、ウォーレンは今朝まで様子がおかしかった上官が、何かを吹っ切ったことを知った。
「……まあそうか。そうだな」
城内の混乱とは別に、騎士団は戦後に生じた問題の解決を必要としている。
今騎士団は、なし崩し的に新しい国に仕えるような流れになってきている。
彼らは多分このまま、エベラルド夫妻の創る国の騎士として生きていくことになるのだろう。仕える主君が代わっても、これまで通りこの地に住む人々を護っていくのだ。
従来通りの勤務体系に戻すなら、人員配置を再考しなければならない。
此度の戦では、死傷者が大量に出た。
まずは遺族への連絡や補償についての手続きが必要だ。喫緊の課題としては、怪我人の療養場所、看護人の手配にそのための費用の準備。それと並行して、彼らが抜けた穴をなんとか埋める方法の考案。
騎士をひとり育てるには、長い年月と膨大な費用がかかる。
とりあえずは多少の未熟さには目を瞑って、従騎士を追加で叙任するしかない。繰り上げで従者を従騎士に昇格させる。また大量に従者を募集して、一から騎士候補を育てる。
共に戦場で戦った近衛騎士の今後も未定のままだ。
意外なほどにデイビス隊に馴染んでしまっている彼らは、このままでいいのだろうか。
ライリー達にはただの怖い顔でしかないデイビスだが、近衛の眼には新鮮に映っているらしい。威厳がどうとか言っていた。このままでいいのか。
彼らがそれでいいならいい気もするが、そうするにしても正式な決定を下さなければならないだろう。
エベラルドが命じる前に、現状を踏まえた意見を草案として出さなければ。
確かにこんなときに、だ。
団長であるライリーが、私生活を持ち込んで配下の邪魔をしていいわけがない。
ライリーは旧知の娘に子ども達の相手を任せ、ウォーレンが持ってきた書類の束を黙々と片付けはじめた。
「落とし穴団長、夫婦喧嘩だって?」
「珍しいこともあるもんだな。何やらかしたんだよ」
「自分で掘った穴に落ちちまったか」
休憩の合間に上官の落ち込み振りを覗きに来る騎士達に、ライリーは嫌な顔をした。
「その落とし穴ってやめてくださいよ」
「いいだろ。団長の偉業を称えてんだよ」
「な。おれあんとき初めてライリーかっこいいと思ったぜ」
初めてってどういうことだ、と突っ込む余裕はライリーにはない。
「そうそう。おれも。あれには痺れた。もう一生落とし穴団長について行きますって気になったぜ。一瞬だけな」
「石畳敷くついでに落とし穴仕込んどくって意味分かんねえもん。かっこよすぎだろ」
「意味は分かるだろ。成功例があるんだから」
十年近く前の話である。最強と謳われたアドルフ騎士団長を落とし穴に落とした新米騎士として、ライリーは一躍時の人となった。
「いや、分かんねえよ。使う予定もない穴掘るなよ。危ないだろ」
戦の終盤に、帝国兵が落ちた穴の話である。
数年前、ライリーが街道を整備している最中に、近くの川が氾濫しそうだと協力を要請されたのだ。土嚢が必要だが土が足りないと言うので、街道の下を空洞にして土を提供したという経緯があった。
もちろん専門家を呼んできちんと設計してもらい、自然に崩れることのないように造った。その際思い付きで、一部を人為的に破壊すれば支えが脆くなり、重量がかかると崩れるように細工したのだ。
ライリーの合図で、待機していた騎士が崩落の鍵となる部分を破壊した。
ちなみに同じような穴は他にもいくつか造ってあるが、それはライリーの胸の内にしまってある。
ちょっとした遊び心のつもりだった。役に立つ日がくるとは本人も思っていなかった。
ライリーは褒めているのか揶揄っているだけなのか、ニヤニヤする騎士達を見回した。そのなかには何人か既婚者も混ざっていた。
「皆さんは、奥方と喧嘩したときどうやって許してもらってますか?」
思いの外切羽詰まった様子のライリーに、既婚者数人が顔を見合わせた。
「あやまる?」
「逆切れ? したときは火に油だったな……」
「なんだ、そんな深刻なのか?」
ウォーレンが意外そうな顔で訊ねる。
隣家に住んでいた頃からこれまで、彼は一度も、ホークラム夫妻が喧嘩をしている姿を見たことがない。
「深刻です。ハリエットがあそこまで怒ったのは、ブラントとビリーを両脇に抱えて木の上から泉に飛び込んだとき以来です」
「……ちなみにそれ、子どもがいくつのときだ」
「二歳」
「何やってんだ。それは誰だって怒るだろ」
「ウォーレンのとこは娘だけだから! 男の子がいたら絶対やってますよ」
色々言いたいことはあったが、ウォーレンは話を進めた。
「そのときはどうしたんだ」
「ふたり共泣いただけで怪我はなかったんで、お説教と、反省点と今後どうするか、宣誓させられて終わりました」
「理性的な上司だな」
とりあえず殴って済ませる騎士団上官とは大違いである。
「それで? 子どもに橋渡しを頼もうと思って連れて来たのか」
「というか、ハリエットが迎えに来たところを捕まえられるかと思って」
必要とあれば策を弄することもできるのが、騎士団長なのである。
だが相手が悪かった。
「…………すまんライリー。よく分からんまま、エイミーを連れて来てしまった」
「え? 助かりましたよ……ってあれ? 声が聞こえな、……!」
瞬時に事態を把握したライリーは、子ども達がエイミーと遊んでいるはずの場所まで走った。
そこには誰もいなかった。
「誘拐だ!」
後ろからついて来たウォーレンが、そっと紙切れをライリーに差し出した。
「……おまえがそう言ったら、これを渡すようにとハリエット様が」
紙にはこう書いてあった。
誘拐犯はあなたのほうです。
絶望的状況から自国の勝利を導き出した英雄の行動は、歳上の妻にすべて読まれているのであった。




