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賢き人の血

 アデライダのすぐ横を無気力に歩いていたときとは打って変わって、ライリーは弾むような足取りで去って行った。

 彼女はその後ろ姿を見送って、惜しいことしたかな、と口の中で呟いた。

 本当はアデライダだって、少しは心が動いたのだ。

 ライリーは優しいひとだ。

 十三歳のとき、狼の牙から助けてもらったときには多少ときめきもした。

 思考があさっての方向に飛ぶことはあるけれど、女性に対する気遣いは忘れないし、裏表が無くて安心できる。アデライダの頭に拳骨を降らせてくるようなこともしないだろう。

 同じ味噌っかす扱いはしたけれど、アデライダから見ればライリーだって充分すごい。

 ライリーが率いていたから、騎士団の大半が死ぬことなく帰ってこれたのだと聞いている。

 彼に頼って生きていく未来の想像は、そう悪いものではなかった。

 アデライダは小さな村で育った、これといった特技も美貌もない普通の人間だ。

 この頭に王冠なんて重いものを載せなければならないと思ったら、逃げ出したくなる。今だってそうだ。

 そんなの、あの美しい貴婦人のようなひとがすべきことだ。

 ライリーの提案は名案に思えた。

 でもやっぱり、アデライダはエベラルドを放って逃げることなんてできない。

 そんなことをするために、あの二十年前の夜、眠っていた彼を起こして逃がしたわけではないのだ。

 エベラルドがこの国の王となるのだ。アデライダはそれを見届けなければならない。


「……アデラ」

 優しい声がして、立ち尽くすアデライダの視界が塞がれた。

「エベラルド。その怪我でよくここまで歩いて来たね」

 目を覆った手をどかして、アデライダはエベラルドを見上げた。

 彼は左の手足が使えない状態のはずだ。右手で持った杖と右脚だけでどうやって移動してきたのか。騎士の身体能力は、まったくもって理解できない。

「ライリーがおまえに迫ってるって聞いたから」

 平然とそんな言葉を吐く夫に、アデライダはわざときょとんとした顔をしてみせた。

「妬いたの?」

「はいはい。またなんか視えたのか」

「ううん。二十年前の夜、あたしが泣いて起きたのってエベラルドを助けるためだったのかな、って、ふっとそんな気がして」

 エベラルドは目を見開いた。

「そうなのか」

「分かんない。ちょっとそんな気がしただけ」

 エベラルドは少し困った顔で笑った。

「なんだそりゃ」

 アデライダを産んだ母は、山向こうの国で賢き人、と呼ばれていた。

 古代の神に仕える巫女という見方もあるが、教会にいわせれば魔女だ。

 母は魔女狩りから逃げ、山を彷徨っているところを集落で保護された。

 集落には教会の教えが浸透しておらず、時折彼女が視る予知はありがたいものでこそあれ、排除すべきものではなかった。

 予知視を大切にする集落の住人に、彼女は言った。

 力は母から娘に伝わる。娘を産めばこの力は失われる。その娘が喋るようになるまで、この力には頼れなくなる。それでもわたしは子を望んでいいか。

 予知と言っても他愛のないものだ。明日の天気を当てる、狼の来る方向を当てる、明日羊が怪我をする場所が分かる。あれば便利だが、なくて困るものでもない。

 彼女が幸せに暮らすための縁談を笑って勧める人々に、母は決意を固めた。

 あなた方の悲願が達成されるよう、わたしも力を尽くします。

 そう、心の中で宣言した。

 もちろんアデライダには、そんな記憶は残っていない。

 産みの母の顔すら覚えていないのだ。

 アデライダは元々予知と言っていいのか怪しい、ぼんやりしたものしか視えない。それすらもごくまれだ。

 エルバを産んだことで、それも失われていく。母の、血の、というべきか、記憶が視えた気がしたのは、最後の残り滓のようなものなのだろう。

「今ちょっと不安になったんだけど」

「どうした」

「あたしを産んだお母さんの血がさ、エベラルドに魔女が安心して暮らせる国を創らせようとしてる……とか」

 そのためには、教会の教えが支配する帝国を退けなければならない。

 だから無謀は承知で、エべラルドは帝国の支配を拒んだ。そうしなければ、教会がアデライダと娘のエルバを異端視するのも時間の問題だったからだ。

 アデライダの血が、彼女を愛するエべラルドをそのように操っているのではないだろうか。

「……そうなのか」

「分かんない」

「おい」

 エベラルドは呆れるが、急に自分とは違うものが意識の表層に出てきた気がして、不安になったのだ。

「だってほら、この瞳。お母さんの瞳にお父さんはやられちゃったんでしょ。なんか男を惑わせて操る力があるのよ、きっと」

「おまえに惑った男なんか、過去にひとりでもいたのか」

「失礼ね! 自分はなんなのよ!」

「さあな。ライリーの奴だって気が合ってんのかと思えば、昔も今も見事に無関心じゃねえか」

「そこはほら、あいつは鈍いから」

「世の中鈍い男しかいねえのか。じゃあ意味ないだろ」

 確かに。

 もっともであると、アデライダも納得してしまった。考え過ぎだったか。

「もういいよ」

「そんな心配するなよ。俺がここにいるのは俺の意思だ。利用されてるのは、むしろおまえのほうだ」

 そんなことはない。

 アデライダの望みは、エベラルドとずっと一緒にいることだ。自ら望んでここにいるのだ。

(……まあいいか)

 エベラルドはなるべくして王になるのだ。

 それが誰の意思であるかなど、今更どうでもいいことだ。

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