夜は終わった
交代で前線に立ち続けた騎士団の被害は、過去にない規模となった。
同じく共に前線を守り続けてくれた傭兵も、それは同じだ。
すでに一線を退いた老騎士、各地から領主に従い従軍した私兵はほとんど傷つくことなく残っていた。
エイミー達、頭数を集めるためだけについて来た女性達は、頃合いを見たシエナがすでに王都に連れ帰っている。
多くの仲間を失った騎士団だが、彼らの誇りは守られたのだ。
疲弊しきった協力者と怪我人は、先に王都へ帰還した。
騎士団には、死者へ祈りを捧げ、遺体と遺品とを回収する大切な仕事が残っている。
破壊された街道の修復は、中央で働く文官が采配すべきことだ。
街道に石畳を敷いた責任者であるライリーはまた仕事を振られるかもしれないが、それはまた別の話だ。
可能な限りの後始末を終えると、ようやく騎士団が凱旋する日がやってくる。
死者を悼む時間は終わった。
いつかまた、もしかしたら近いうちに。
再び会える日まで、彼らのことは胸の奥深くに遺しておくのだ。
ここからは生者の時間だ。
エベラルドは暗闇の中にいた。
ああ。
またいつもの夜か。
こう何年もしつこく見続けていれば、夢の中でもこれは夢なのだと気づくことができる。
十二歳のエベラルドは、目の前で繰り広げられる惨劇を冷静に見ていた。
騎士の姿をした夜明けは、彼女を助けに現れてくれなかった。
これはもう過去の出来事だ。
すでに起こってしまった事実を変えることは、夢の中でもできないのだ。
母を亡くしたエベラルドに乳を飲ませ、実の子と同じように慈しんで育ててくれた養母。
養父が亡くなってすぐ、間を空けず養母が再婚した集落の王。彼もエベラルドを、四人の子全員を区別することなく愛してくれた。
半月違いで生まれ、母の乳を取り合うようにして育った弟。あいつが一番のとばっちりだ。エベラルドと同時期に生まれたばっかりに、その運命に巻き込まれた。
十二歳だったエベラルドの、幼い恋の相手。
いなくなればいい。彼女が消えればいいと願ってしまった。
苦しかったんだ。本当に好きだった。幼いなりに真剣だったから、葛藤するのも辛くて、望んでしまった。
消えてしまえ。
何も起こらなければ、幼い過ちのひとつで済む話だった。笑い話にはできないかもしれないが、そんなこともあったと、大人になってから振り返ることもできる程度のことだ。
そう、大人になった今なら言える。
エベラルドの望みは、エベラルドの望まない形で叶えられた。
彼女の小さな背に刃を突き立てる騎士。あれはエベラルドの望みが具現化したものなのか。エベラルドが彼女を殺したのか。
あれは、……この夢はエべラルドの罪悪の塊だ。忘れることは許されない。
エベラルドは小さなアデライダを抱きしめた。
大男が幼い彼らを見下ろしている。
逃げなくては。
何から?
逃げる必要なんかないじゃないか。
恐ろしい姿の大男が、その大きな背に幼い兄妹を庇ってくれている。彼の仲間も次々と集まってきた。
強く優しい騎士達が、エベラルドを助けに来てくれた。
いつの間にか小さな妹がエベラルドの腕から消えて、代わりに現れた褐色の髪の女が、彼を抱きしめ優しく頭を撫でている。
(なんだこれ。もう逃げなくていいのか)
女に優しく手を引かれて山を歩いて降りていくと、東の森の方向に明るい光が見えた。
夜は終わったのだ。
夜明けだ。
朝が来た。
(あっちが神のいるところか。俺みたいなのを、御許に召しても大丈夫なのかよ)
エベラルドは苦笑しながらも、まばゆい光に向かって手を伸ばした。
「………………なんで?」
ライリーは疑問を口にした。
うっすら目を開けたエベラルドが何かを呟いた。
だから、何かを伝えたいのだろうかと耳を傾けただけだ。
何故、昔よく怒られるときにされたように、頭を鷲掴みにされねばならないのだ。
「…………あ?」
顔をしかめたエベラルドは、自分の右手が掴んだものを見て、ぱたりと寝台の上に腕を落とした。
「悪い。寝呆けた」
「どういう寝呆け方だよ!」
「うるせえ。頭に響く」
「もう熱も下がってるんだから甘えるな。さっさと起きて働け!」
戦場で負傷したエベラルドは、最後の後始末が終わるまで戦場に残ると言い張った。
王宮に帰還するまではなんとか意識を保っていたが、城門をくぐってすぐ、気絶して落馬するところを危うく近くの従騎士に受け止められた。ひどい高熱だった。
出迎え労う主君が定まっていないこともあり、凱旋式は省略された。そんなことよりも、大量にいる怪我人の治療が必要だった。
城内の部屋をいくつも開放し、騎士団は怪我人の収容と治療に奔走した。
こたびの戦は騎士だけでなく、多くの有力貴族も戦場に向かった。
がらんとした王宮に残った官僚は、アデライダの指示を仰ぐことはしなかった。彼女の存在がほとんど認知されていなかったこともある。
官僚が一時的に城内で采配を振るうことを望んだ相手は、ハリエットだった。
その昔、女傑といわれた人物である。
昔と言ってもほんの十年前。彼女の有能振りを記憶している者は多かった。
現在のハリエットの身分は一貴族夫人に過ぎない。だが彼女は騎士団長の妻であり、現宰相の姉である。文武の長双方の身内である彼女の判断に異を唱える者はいなかった。
「昨日帰ってきたとこだろ。怪我人はゆっくり休んでろって言うべきじゃないのか」
「そうだよライリー! どんだけひどい怪我だったと思ってんの。まだ寝かせとかないと死んじゃうよ」
アデライダが血相を変えて飛び込んできて訴える。
「どんだけ?」
エベラルドが不思議そうに、横になったまま自分の身体を見下ろした。
「左腕骨折二箇所、左脚骨折一箇所、左肩脱臼、他打撲裂傷。致命傷無し」
ライリーは淡々と彼の現在の状態を説明してやった。
「なんだ。死んだかと思ったが、そんなもんか」
「大怪我だよ! 立派な重傷だよ! 昔視た、血塗れでライリーに寄り掛かるエベラルドはこれだったんだよ」
拍子抜けするエベラルドに、アデライダが噛み付く。
「あー……、なんか昔言ってたな。まあこのくらいならよくある怪我……いっ⁉︎」
突然エベラルドが無傷の右手を跳ね上げた。
「お。気づいたか死にたがり」
「てかただのええカッコしいだろ」
「こいつはほんとに昔からなあ」
「ちょっと顔がいいからって」
「おまえそれはただの僻みだ」
「ほら、見舞いの追加。持って来たぞー」
エベラルドが目を覚ましたと聞いた、近くにいた騎士が続々と集まってくる。
最後に顔を出した騎士が、室内に向けて何かを放った。
やけに優しい仕草でそれを受け取ったライリーは、エベラルドの掛布の胸の上にそっと載せた。




