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騎士の護る国

 エベラルドがいなくなっても、アデライダとその子のことはウィルフレッドが引き受けてくれることになっている。

 もうエベラルドが先のことを考える必要はない。

 人生の半分を戦場を駆けることに費やしてきた。

 出自などは関係ない。エベラルドは王でも王子でもない。

 エベラルドは騎士だ。

 このまま騎士として、大事に想う人々が生きる未来を残すために戦い、命を散らしても悔いはない。


 エベラルドは視界の左端に、落馬する若手騎士の姿を捉えた。

 馬がやられたのだ。

 彼に向かって突き出される槍の穂先を、人馬ごと盾を突っ込むことで防いでやった。その隙に若い騎士は剣を抜き、敵の攻撃を掻い潜って脚を狙っている。

 ライリーのような動きだ。

 目を見張ったエベラルドは、次いで兜の中で笑った。

 彼が騎士団を去ったのはほんの数ヶ月前だ。

 その短い期間で近衛は実戦の理屈を習い鍛錬を積んでおり、エベラルドは計画を修正せざるを得なくなった。

 槍の扱いに不慣れな若者は代わりに剣の扱いを学び直し、まだまだ未熟ではあるが実戦でも通用する技を身に付けた。

 それは騎士団長に就任したライリーが指示したことだと言う。

 成長した弟分はエベラルドを打ち負かし、実力で騎士団の頂点に立った。そして立派に、その地位に相応しい働きをしている。


 もう、いいだろう。


 キャストリカの王を倒しても、エベラルドに夜明けはやってこなかった。

 彼は今でも、暗い夜を彷徨う子どものままだ。

 この先ずっと暗い夜の中で生きていくくらいなら、ここらで派手に暴れて潔く散ってしまうのも悪くない。


 エベラルドは右脇の配下を狙う槍を弾き返した。戦場を知らない帝国生まれのバランマス兵は、正気を失いかけている。

「目ぇ開けろ! これがおまえらが望んだ世界だ!」

 左からの攻撃は、盾で受け止める。勢いを殺してから、馬の向きを変える。

自分(てめえ)の国が欲しけりゃ自分(てめえ)()りに行け! 命が惜しけりゃてめえで守れ!」

 初陣に怯える兵は、震えながらも武器を構えた。

「それでいい」


 自分の立ち位置を見失った新米、あれはなんだ。どこでどう間違えたのか、もっと後ろにいるはずが前に出過ぎてしまっている。彼は従騎士としての従軍経験はあるが、前線はこれが初めてだ。

 まだ子どもの顔をした彼を、エベラルドが前線に引き摺り出した。

 少年の隣まで飛び出ると、周りは敵だらけだった。

 新米がまだ生きているのが奇跡のようだ。

 エベラルドの気迫に、帝国兵が慄いて遠巻きになった。

「少しずつ後退しろ。いいか、敵に背を向けるなよ」

 枯木を合間に挟んでの戦闘は、守りを固めやすい。エベラルドは木々の並びを利用しながら新米を後方に逃がした。

 前方の敵の攻撃をいなしながら、自分も少しずつ後退していく。

 と、新米が悲鳴に近い声を上げた。

 エベラルドは眼前の敵を無理矢理振り払うと、馬首を返して少年のいる場所まで駆けた。

 それより先に、別の一騎が助けに向かっていた。


 ライリーだ。

 ライリーが少年を襲う敵の横っ腹に突っ込んだ。

 エベラルドは呆然とそれを見ていた。


 少年は助かった。

 子どもの命は喪われなかった。

 生きている。もう大丈夫だ。

 本物の騎士が、助けに来てくれた。


 一瞬だけ動きを止めたエベラルドは、強い衝撃を受けて地面に叩きつけられた。

 視界が暗転する。




 幹部が最前線に立つ回に、可能な限り敵を押し返す。前線を交代しても間断なく攻め続け、幹部が引いた新しい前線を維持する。

 そうやって少しずつ、少しずつ目指す地点に近づいていく。

 ライリーは初日から数えて何度目か知れない前線に立っていた。

 大隊長は、デイビスとロルフのみ負傷して後陣に残っている。休んでいろと言う若者を振り払い、後ろから戦況を見守り、必要な指示を飛ばしている。

 エベラルド含む幹部七人は糧食を口に放り込むと、わずかな休息を挟んで再び馬に飛び乗った。

 体力の温存など考える余裕はない。

 そんなことより、今の勢いを更に増すことに注力するのだ。

 ライリーは荒ぶり続けた。


 彼は十三の歳に騎士を志し、十六で初陣を経験した。

 いつの間にか、実家の伯爵家で過ごした時間は人生のうち半分にも満たない割合だけになってしまった。

 ライリーの居場所は騎士団にある。

 ハリエットと結婚し子をもうけてからも、大半の時間を騎士団の仲間と過ごしてきた。

 その時間を共有してきたエべラルドが帰ってきた。

 もう何も考えなくていい。

 ライリーはただ、これまでエべラルドが授けてくれた教えのとおりに動き、敵を倒すことだけに集中していればいいのだ。


 群青は味方の色だ。彼の視界で別の色が翻ると、それはもう元の色を保てない。地に叩きつけられ、泥と血の色にまみれた。

 ライリーの勢いに、敵がじりじりと後退する。彼は更に前進した。付き随う騎士が、団長に遅れじと突撃する。

 右前方、敵の只中にぽつんとひとつ、群青色が見えた。

「がぁっ、は、はっ」

 ライリーは無理矢理息を吸い吐きしながら、最後は息を止め、槍を操る敵目掛けて人馬と槍とで一体になって突っ込んだ。

 新米騎士はその隙に自陣に戻ることができた。

 次は誰が相手だとライリーが顔を上げると、青い瞳がこちらを見ていた。

「よけろ‼︎」

 何故か戦闘中に動きを止めているエベラルドの背後から、敵兵が襲い掛かる。

「エベラルド動けえっ!」

 エベラルドが馬ごと倒れた。

 


     エべラルド !!


 戦の喧騒をものともせず、その声はエベラルドの耳に突き刺さった。血液と共に飛び散ってしまった意識を、無理矢理引き戻された。

 暗くなった視界に、赤い色が差し込む。


               …………ぁあ


 明るい。朝だ。

 夜は終わった。もう逃げなくていい。


 エベラルドはようやく、夜明けを迎えられるのだ。


「手え伸ばせ! エベラルド!」


 エベラルドは眩しい朝日に手を伸ばした。

 夜明けが彼を迎えに来てくれたのだ。

 夜明けは、血と泥で全身を汚した騎士の姿をしていた。


 ライリーが馬上から身を乗り出し、わずかに持ち上がったエベラルドの手をしっかり掴んだ。

 襲いくる帝国兵は、ウォーレンと中隊長らが蹴散らした。

 味方の間を身軽にすり抜けて走ってきた新米騎士アルが、エベラルドの下に身体を捻じ込ませる。

 駆けつけたザックが、アルが持ち上げたエベラルドの腰の辺りを捕まえると、ライリーに向けて押し上げた。

 彼らの動きに迷いはなかった。それぞれが自分のすべきことを瞬時に判断し、同時に行動した。

 エベラルドの右手を捕まえたまま、ライリーは馬の背から左に向かって飛び降りた。

 己の身を顧みることなく敵陣に突っ込んだエベラルドを、みなで馬上に引き上げたのだ。

 エベラルドの意識はほとんどないままだ。

 アルが馬の轡を取り、向きを変えて敵陣から離れていく。敵に背を向けることになっても気にしない。

 エベラルドに自身の馬を譲った騎士団長が、アルの後ろで剣を構えて立っているのだ。



 馬上の有利を手放したライリーの周りに、次々と騎馬隊が集結する。

 息が整わない騎士は、頭部を守る兜を自らかなぐり捨てた。

 全身に返り血を浴び、伸びた赤毛をたなびかせ、ライリーはこれが最後だとばかりに声を張り上げた。


「行けえーーーーーーっ!」


 掠れた声は、両脇の騎士の耳にしか届かなかった。

 騎士団長の号令を受け取ったふたりの騎士は、隣の仲間にも伝わるように叫んだ。

「行ぃっけええええええぇっ」

「いけーーーーーーーーーーーーーーっ」

 ふたりの声も戦場にかき消えかけたが、彼らの声を拾い上げた少数の騎士がその声を更に隣に届けた。

 彼らの小さな叫びはいくつも重なり、合わさって巨大なうねりに変わった。

 それは巨大な怪物が咆哮したかのように、戦場に広く響き渡った。


 バランマスの旗は、周囲を朱に染め、咆哮する竜だ。

 最初の竜は、誕生してすぐ国から姿を消し、その後は他国の戦場で目撃された。

 新生バランマス王国に新しい竜が生まれた。

 巨大な帝国の兵は、竜の誕生を目の当たりにした。



 後年、帝国軍人の手記にこう記されることとなる場面である。


 竜の咆哮に呼応して、地が鳴動した。

 突如出現した巨大な穴に、仲間の帝国騎士が何人も吸い込まれていった。

 ()の地で生まれた新しい竜は、地をも従える力を持つ。

 新生バランマス騎士団を侮ることなかれ。

 彼の騎士団は、地をも操る、紅い色彩をその身に纏った竜を飼っている。

 彼らには、巨人族も味方する。

 バランマスは竜率いる騎士団が護る国である。



 怪物の咆哮が途切れる前に、新しい音が生まれる。

 轟音が響き渡り、帝国兵の下の地面が消失した。

 悲鳴が上がり、幾人もの帝国兵が馬と共に地の下に引き摺り込まれた。

 落下に巻き込まれなかった者は、仲間が消えるさまを呆然と見ていた。

「……竜の仕業か?」

 誰かが呟いた言葉は、恐怖の色を伴って周囲に伝播した。

 轟音が収まると、間髪を入れず最前線の赤毛の騎士が更に前に出て宣言した。


「ここは騎士の護る国である!」


 ライリーの後ろに控える騎士団はもちろん、帝国兵も彼の言葉を聞き漏らすまいと、黙って動きを止めた。

「この地に、諸君らの手に掴めるものは何もない! 早々に帰られるがよかろう!」



 それが、実質的な終戦宣言となった。

 団長の言葉がその場に浸透すると見るや、騎士団は勝鬨を上げた。

 それは帝国兵の耳には、もはや竜の声にしか聞こえなかった。今度は自分の立つ大地が割れるのではないかと震え上がった。

 戦意を喪失し、勝手に戦線離脱する者まで出てきた帝国軍は、師団長にもどうすることもできなかった。

 彼らはその後もじりじりと後退し、間もなく本国から届いた撤退命令に喜んで従った。

 エベラルドの言ったとおり、戦はひと月も続くことなく終わった。


 巨大な帝国を退け、キャストリカ王国王立騎士団最後の大舞台は幕を下ろした。

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