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紅い竜と白い竜

 先頭はティンバートン伯爵ロバート。騎士団の騒ぎっぷりに引き気味の姿勢で馬を操っている。彼はこれまで人前で見せたことのない鎖帷子姿だ。腰には剣を佩き、堂に入っているような、そうでもないような騎馬姿勢を見せている。

 その斜め後ろで異彩を放っているのは、燃えるような赤い髪の人物だ。一本の太く長い三つ編みが、紅い竜の噂を聞いた後に見ると、なるほど竜の尾のごとく人々の眼に映った。

 危なげのない凛々しい甲冑姿は、歴戦の騎士に見えた。

 紅い竜の噂に違わぬ勇ましい姿に、待ち構えていた騎士達は大興奮だ。

「……あれ?」

 幹部達は目を擦って、伝説の騎士を二度見した。

 長い赤毛に、見覚えがある気がしたのだ。

「だからあれ、母ですってば……」

 消え入りそうな声で、ライリーは呟いた。

 大隊長達はライリーとの長い付き合いのなかで、通常であれば交わることのない伯爵夫人に接する機会があったのだ。

 息子に似た造りの顔と長身は確かにいかつめではあったが、そのときは普通の貴族夫人として騎士からの挨拶を受けていた。

 あの百戦錬磨の戦士のような威容はなんなのだ。

 この騒ぎは何事であるかと馬上から周囲を睥睨する様子は、前を行く現伯爵よりもよほど風格があった。

「兄上、哀れ……」

 当のロバートはすっかり悟り顔で、大騒ぎする男達を意に介すことなく真っ直ぐ進んでいる。

「じゃあ結局どれが竜なんだ?」

 一行のなかに、白髪の老人は見当たらなかった。

「いませんねえ」

 まさかじいさまくたばったか? ライリーは身内が相手だからと、普段は使わない言葉で縁起でもないことを言う。

「怖い顔の傭兵隊長、列から離れるぞ」

 ピートが指差す方向には、傭兵が数名、騒ぐ騎士団から離れていく姿があった。

「あー……逃げたな、じいさま。傭兵の真ん中で外套被ってるの、多分あれが本物です」

「よし、挨拶してこよう」

 デイビスがらしくなくキラキラした目で足を向ける。

「後で紹介しますから! ここまできたら一応格好付けてくださいよ!」

 先ほどとは逆に、ライリーが浮かれる歳上の配下を諌めた。

 もう、すぐ目の前まで伯爵家一行が来ているのだ。


 ライリーは姿勢を正し、兄を先頭に行進するティンバートン一族を出迎えた。ハリエットは音もなく、居並ぶ幹部の後ろに退がる。

 ロバートは少し手前で馬を降り、従僕に手綱を預けて騎士団幹部の前まで歩いてきた。前伯爵夫妻以下、簡易武装の領民が後ろに続く。

 本来であれば、騎士団は貴族当主の前ではへりくだる必要がある。

 膝を突いて出迎えるのが礼儀だが、今回ティンバートン伯爵一行は、騎士団の指揮下に入るために領地からはるばるやって来たのだ。

 騎士団幹部一同直立し、右手を左胸に当てる貴人への礼をとった。

「ティンバートン伯爵家より、国家の一大事に参じました。国に平和が戻るまで、我々はあなた方の指示に従い戦う所存です」

「ご協力感謝いたします。共に戦い、勝利と安寧を手にしましょう」

 兄弟は真面目腐った顔で向かい合い、その場の全員が姿勢を正して、戦力の合流を喜んだ。

 その状態は、ふたつ瞬きする間だけ続いた。

 ライリーとロバートはどちらからともなくがばりと抱き合い、絶望的状況から脱したことを祝った。

「兄上、ありがとうございます……!」

「ライリー、おまえもう臭くないな。ちゃんと出て来たんだな」

「それよりじいさまが竜ってなんですか……。俺聞いてないですよ」

「僕だって知らなかったさ! ハリエット様に頼まれて迎えに行っただけだよ」

「それでなんで母上まで」

「……とにかく頭数を集めるって聞いたらついて来た」

「俺母上相手に号令なんかかけられませんよ! 連れて帰ってくださいよ!」

「僕にそんな力があると思っているのか」

 話題に上がっている前伯爵夫人は、小声で言い合う息子ふたりに冷たい視線を送っている。

 息子がいくつになっても母親に頭が上がらないのは仕方ないのかもしれないが、これは確かに恐ろしい。

 騎士団幹部は冷や汗をかいて伯爵一家を見守った。

「お義母さま」

 恐れる様子を見せないハリエットが、控えめに前に進み出た。

「ハリエット様」

「来てくださったのですね。甲冑姿も素敵です」

「可愛い娘の頼みなら、どこへでも駆け付けますよ。まあまあ、この可愛らしい髪型はどうなさったのですか」

「ふふ。似合いますか?」

「ええ。とっても。わたくしも真似してしまいましょうか」

「やめてください! それ以上目立ってどうするおつもりですか!」

 ロバートが慌てて制止した。

 そんな似合い過ぎる髪型になってしまったら、両親のどちらが母親か分からなくなる。

 今このときでさえ、母の隣の父には誰も注意を払っていないのだ。誰か前伯爵にも敬意を。

「……ライリー、おまえなかなか楽しい家で育ったんだな」

「やめてください……」

 だから嫌だったんだ……と顔を覆う騎士団長を放ったらかしにして、騎士団は騒ぎ続けた。

 竜だ!

 紅い竜だあ!



 喧騒からしばしの時間を空けて、騎士団幹部には改めて紅い竜ことルーファス・エヴァンス・ティンバートンとの対面の機会が設けられた。

 騒ぎを嫌った老人をライリーが迎えに行き、鍛錬場まで連れてきた。

 大袈裟にしないよう、とライリーに釘を刺された幹部達は、膝を突くことなく直立して生ける伝説を出迎えた。

 騎士団長を従者のように従えて現れた人物は、見事な白髪を後ろでひとつに縛っていた。

 長身である。八十近い年齢を考えれば、若い頃より縮んでいてもおかしくないが、それでもライリーよりわずかに低い程度だ。腰も曲がっておらず、背筋が伸びた立ち姿に衰えは見えなかった。

 サイラスのような筋骨隆々、といった体型ではないが、老人とは思えない鍛えた肉体が、服の上からでも窺える。

 顔に刻まれた深い皺は老いよりも渋味を感じさせ、無造作に結んだ白髪すら彼を弱く見せることはできていなかった。

 翠の双眸に白濁は見えず、大甥と同じような色味でも鋭さは桁違いだ。

「き、騎士団一同、伝説の騎士におお会いできま、したことを、こ心より」

「ウォーレン、声震えてますよ」

「仕方ないだろう!」

 アルが後ろから椅子を運んで来て、老人の後ろに置いた。

 ライリーが座るよう促すと、ルーファスは初めて口を開いた。

「年寄り扱いする気か」

「年寄りでしょうが。ほら、じいさま、みんな気を遣うから座ってくださいよ」

 仕方ない、と腰を下ろす彼の声は存外普通の老人のものだったが、幹部達は感動に打ち震えた。

「不肖の大甥が世話になっているそうだな」

 ざっ、と揃って床に片膝を突いた騎士に向かって、ルーファスは億劫そうに声をかけた。

「はっ」

「小僧が迷惑をかけてないか」

「じいさまじいさま、俺今団長ですからね。彼らの上官。分かってます?」

「なんだその言い方は。俺はまだ呆けてないぞ」

「どうだか」

 身内を前に少年のような態度になるライリーに向かって、白刃が煌めく。

 おおおおぉ。

 座したまま、抜剣の瞬間も見せずに騎士団長に切っ先を突き付けた剣聖に、どよめきが起こった。

「ちっ」

「今本気で狙ってきましたよね⁉︎ 俺が避けなかったらどうするつもりだったんですか!」

「頸の皮一枚だけだ。おまえに避けられるとは、確かに俺も耄碌したな。年寄りはもう帰って休むぞ」

 自虐の言葉とは裏腹にすっくと立ち上がると、ルーファスはすたすたと歩き出した。

「じいさま、部屋の場所分からないでしょう。案内するから待ってくださいよ」

 ライリーが慌てて追いかける後ろ姿を、幹部達はぽかんと見送った。

 そんな彼らにアルが恐る恐る解説した。

「……えっと。ルーファス様は騒がれるのを嫌って、普段はティンバートンの隅で隠遁生活を送られているそうです。めんど、気疲れなさったのでは」

「おまえ今面倒臭くなったって言おうとしたな」

「はあ。おそらくそんなところかと」

「アルは知ってたのか」

「紅い竜とかは聞いたことなかったですけど。ライリー様のお供でティンバートンに伺った際にご挨拶と、少し稽古をつけていただいたくらいで」

「! おまえ竜に稽古つけてもらったのか!」

「少しだけ」

 羨ましいい!

 普段と違い子どものような幹部達に、アルはどう反応すべきか迷った。

 アルが自分の取るべき態度を決める前に、ルーファスが戻ってきた。

 ライリーとその両親も一緒だ。その後ろからは、ハリエットも楽しげについて来ている。

「だあから、俺のせいじゃないってんだろうが!」

「そうだとしても姪を身代わりにするとは何事ですか! 何が紅い竜よ、恥ずかしい!」

「知るかそんなことぁ! 勝手に騒いでる奴らに言え!」

「じいさま! 母上! 息子(ひと)の職場で恥を晒さないでください!」

「やかましい、小僧は引っ込んでろ!」

「父上、気配消してないでなんとかしてくださいよ!」

「……ライリー。今わたしに話しかけるな」

 伯爵家ご一行様である。一番後ろから、無の境地に至った表情で現当主も後始末のためについて来ている。



 先頭のふたりは、とうとう剣を抜いてしまった。

 伝説の剣捌きを間近で見れる機会だと、騎士達は速やかに鍛錬場の中心を譲った。

 見た目からいうと、より紅い竜の称号に相応しいのは、長い赤毛を翻す女騎士のほうであろうか。

 伝説の紅い竜は、年降りて白い竜になった。


 紅い竜と白い竜が咆哮する。

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