竜の弟子
その日の夕刻、ティンバートンからの先触れが到着した。
給仕の手間を省くためにと、騎士団式の宴席が舞踏会用の大広間に用意されているときだった。
ハリエットと共に部屋で静かな食卓を囲むつもりだったライリーも、準備の指示を出すためにその場にいた。
彼は実家の使用人に気づいて呼び止めた。
「ライリー様! ご無事でようございました。ロバート様から、奥方にと言付かって参りました」
「ああ。兄上はハリエットの頼みを叶えることができたんだな?」
「はい。明日朝、竜を連れて参ります、とのことです」
おおお。
聞いていた周囲の騎士が一気に沸いた。
「紅い竜に会えるのか!」
「すげえな。伝説の生き物だと思ってたぜ」
「あの芝居にもなった騎士だろ? 姫君に最後まで仕えた剣聖」
話を聞いた当初に反応したのは一定以上の年齢の騎士だけだったが、あの吟遊詩人が歌う、芝居になった、姫君と騎士の、と先輩騎士が語るのを聞いて、若い騎士も盛り上がりを見せていた。
騎士であれば、幼い頃に騎士道物語の主人公に憧れた経験が一度はあるものだ。その物語の元となった騎士だと言われれば、興奮するなというほうが無理な話だ。
「おいおい。最初に会うのは俺達だぞ。勘違いするなよ」
傭兵達が騒ぐ騎士団に釘を刺す。
子どものように言い合う男達を尻目に、ライリーは使者に訊ねた。
「どんな人物なんだ。紅い竜」
「さあ?」
「さあってなんだ。今まで一緒だったんじゃないのか」
「伝言は預かってきましたけど。わたしが使いに出されるまでは、ティンバートンの者しかいませんでしたよ。どこかで合流するのでしょうか」
謎は謎のままだ。
「……デイビス? 何か他に情報はないんですか?」
落ち着かなくて、ライリーはそわそわしっぱなしだ。
紅い竜が到着しなければ、ハリエットはこの国を去らなければならないのだ。そのときはライリーも一緒に行くつもりでいるが、荒んだ生活になることは目に見えている。
ちょっと楽しそう、と言いはしたが、五年もそんな生活を送ることになれば、子ども達への影響も心配だ。
「情報っても、俺だって生まれてない時代の話だぞ」
「またまた」
「馬鹿野郎。計算もできねえのか。あのグリフィスとかいう爺さんなら知ってるんじゃないのか。生き証人だろ」
「確かに。……けど今腰を痛めて横になってるところなんで、訪ねにくいです」
「明日になれば分かるんだろ。待ってろよ」
「そうなんですけど」
「それかほら、本人を知ってる奴に訊けよ」
デイビスは傭兵隊長に向けてライリーの背を押すと、去ってしまった。
視線に気づいて、顔の怖い傭兵が気づいて近づいてくる。
「竜が見つかったのか」
「明朝到着予定だそうです」
「なんだ。こっちとしては、あの別嬪さんに来てもらってもよかったんだがな」
「勘弁してください。それであの、紅い竜の話をもう少し教えていただけますか」
傭兵は脳裏に浮かぶ顔を見るような表情をした。
「と言われてもな。最後に会ったのは二十年…もっと前になるか。最初に会ったのは今から半世紀も前だ。俺はまだ駆け出しの小僧で、ルーファスは」
「ルーファス」
「おう。竜の名前だ。本名かどうかは知らんが」
「赤か! 名前までそれっぽいな!」
珍しい名前ではない。それだけで何かを判断できるような名ではない。
聞きつけた騎士がわくわくしている。
ライリーは対照的に、眉根を寄せた当惑顔だ。
「なんだ、ライリー。それどういう顔だ」
「いえ。……そのルーファス、の家名も分かりますか」
「なんだったかな。奴のことはみんなドラゴンと言ってたから」
赤毛。剣の達人。バランマスの騎士。名前はルーファス。
五十七年前から語り継がれるその武勇。推測される今の年齢は、七十後半から八十代。
ハリエットが知る人物。ロバートが連れて来ている。
何故だろう。嫌な予感がする。
(……まさかな)
ライリーは頭に浮かんでしまった想像を無理矢理沈めた。
翌朝は早くから、少年のような顔をした中年男達が城門の前に雁首を並べた。
先輩に押しやられた若者は、ぶつぶつ言いながら後方で生きた伝説が現れるのを待った。
ライリーはハリエットと共に、城の前で出迎える態勢だ。
幹部七人は、そわそわしながらも団長の近くに控え、勝手に長い花道を作る配下を羨ましそうに見ている。
立場を放り投げることを許されるなら、あっち側に加わっていち早く伝説を目の当たりにしたい。
「デイビスとマーロンは、バランマスについたんじゃなかったのか。城にいなくていいのか?」
ザックが揶揄するが、ふたりはしれっとしている。
代わりにウォーレンがたしなめ役に回った。
「ザックやめろ。誰だって気になるだろ、こんなの」
「そうそう。なのになんで、今回に限ってライリーはそんななんだ」
いつものライリーであれば、一番大騒ぎして最前線に並びそうなものだ。今日の彼は珍しく気乗りしない様子で、騒ぐ連中のなかに加わろうとしない。
「うーん……。デイビスはその紅い竜? の本名って聞いたことありますか」
「いや? 傭兵の話では、ルーファスっていうんだろ」
「エヴァンスだって」
「!」
後ろからかけられた言葉に、ライリーは肩を跳ね上げた。
その驚き方に、声をかけたアデライダのほうがびっくりして後退ってしまった。
「なによ。そんなに驚かなくても」
「……アデラ。その名をどこで?」
「おじいちゃん。知り合いだったんだって」
グリフィスはその伝説と同じ時代を生きている。知っていても不思議ではない。
つまり、信用できる情報だ。
伝説の剣聖、紅い竜の名は、ルーファス・エヴァンス。
「…………ハリエット」
「はい」
「なんで教えてくれなかったんですか……」
にっこり微笑むハリエットに、ライリーは恨みがましい目を向けた。
「ちょっとした意地悪です」
昨夜、エベラルド様の奥さまと仲がよろしいのですね、と言われた件だ。
ライリーはそう察して、押し黙った。
「名前に心当たりがあるのか」
ウォーレンが不思議そうに問いかけてくる。
「……エヴァンスはうちの家名です」
「? おまえホークラムだろう」
ザックが不可解な顔になる。
ライリーは入団時にはティンバートンを名乗り、結婚を機にホークラムと称するようになった。最近拝領したばかりのアッシュデールの名を使ったことはない。
「! 家名不自称令か!」
その場で反応したのはロルフだけだった。彼の父の生家は男爵家で、従兄にあたる現当主とは今も親しくしている。
「それです」
「今はもう知らん奴のほうが多いだろ。キャストリカ貴族の家名称するべからず」
四十半ばのロルフの言葉には、彼より歳上のデイビスも思い当たらない顔だ。
「キャストリカ建国当時は旧二国間でいがみ合いが絶えなくて、国がダメ元で出した禁止令だよ。貴族は、今後人前で家名を名乗るなって」
「それなんか意味あんのか?」
「意外とハマったんだと。家名を聞いたらああ、旧バランマスの、旧キャストリカの、って態度を変えてた連中も、国が旧国同士の縁談を勧めたり新たに叙爵したりするうちに、領地名だけではどっちがどっちかよく分からなくなってきたとか」
「へええ」
実家が仕立屋を営んでいるウォーレンが感心して頷く。
「それでつまり?」
「エヴァンスの名は他所にもありますが、ティンバートンの実家にはルーファスという名の元騎士が住んでいるんです……!」
「はあ?」
「今では白髪の爺さまだから気づきませんでした! 紅い竜ルーファス・エヴァンスっていうのは、おそらく俺の剣の師である大叔父のことです!」
「はああああああ⁉︎」
騎士団一の剣技を誇る団長のヤケクソのような告白に、その場が騒然となった。
「竜の弟子⁉︎ ライリーが伝説の弟子⁉︎」
「だからおまえ剣の腕だけはピカ一なのか!」
「だけは余計です」
「おい、みんな拝んどけ! 紅い竜の弟子だぞ、小竜でも竜は竜だ!」
「いや、もう意味分かんないですよそれ」
城の前の騒ぎとは別に、城門でも騒ぎが起こった。
「竜だあーー!」
「すげえ、ほんとに赤いぞ!」
「紅い竜かっけえぇ!」
「ぎゃああ、こっち見たーー!」
歓声が野太い。
「あー……多分母ですね。大叔父の頭は白いです」
母上も来たかあ。来ちゃったかあ。
ライリーが頭を抱える横では、ハリエットがにこにこしている。
ウォーレンが説明を求めてハリエットを見た。
「ハリエット様?」
「申しましたでしょう? 今、国中から武芸の達者な方々が集まって来られているんです」
「やだなぁ。……俺団長室で待ってていいですか」
「いいわけないだろう。子どものようなことを言うな」
ぐずぐず言う上官を配下が叱りつけている間に、騒ぎの元となった集団が姿を見せた。




