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彼は今でも

 ライリーが、ハリエット以外の女性を馬に乗せてどこかへ向かって行った。普段はやらないような下品な仕草をしてから、城に背を向けて駆けて行った。

 エイミーは窓からその様子を見ていた。

 彼はエベラルドに対する当て付けのつもりでいるのだろうが、自分の首も締めていることに気づかないのだろうか。

「……ハリエット様?」

「なあに?」

「ライリー様、深く考えられているわけではないと思いますよ」

「あら。ちゃんと分かってるわよ。わたし怖い顔をしていた?」

「……はい」

 ふふ、と笑って、憧れの貴婦人はいつもの柔らかい笑顔に戻った。

 ハリエットはライリーが城を出たことを確認してから部屋を出た。

 何故だろう、と思いながらも、エイミーはその後ろをついて歩いた。

 エイミーはこの厳戒態勢の城内で、一度恐ろしい思いをしている。ハリエットを同じ目に遭わせるわけにはいかない。

 キャストリカの騎士が闊歩するなかでそんなことが起こるとは思えないが、エイミーは絶対に離れない、と意気込んでいた。

 バランマスの外套を見るとまだ恐怖で身がすくむ思いがするが、それよりもハリエットの身の安全のほうが大切だ。


「エイミー」

 ハリエットは後ろに向かって左手を伸ばした。

 きょとんとして立ち止まると、彼女は一歩近づいてきて、エイミーの右手を取った。

「は、ハリエット様?」

 エイミーは顔が真っ赤になるのが自分でも分かった。

 思春期真っ盛りのときにアルと手を繋いだときにも、こんなふうにはならなかったのに。

 ハリエットはエイミーと手を繋いだまま再び歩き出した。

 エイミーは混乱してまごまごしてしまっている。

「あなたも大変だったわね。怖かったでしょう」

「いいえ! あたしなんて。全っ然! なんともないです」

「もうひとりで気を張らなくていいのよ。アルは助けになったかしら? ここにはお父さまもいらっしゃるし、あなたに何かあったら、わたしもライリーも許さないわ」

「……はい」

 温かい言葉に、エイミーは今度は目を赤くしてしまった。今なら、少しくらい許されるかな、と思って憧れの貴婦人に甘えるようにくっついてみた。

 長身のハリエットよりも更に高く伸びてしまった身長が悔やまれる。こんなにくっついていたら、見下ろさないといけなくなる。こんな畏れ多いこと、もう二度とできない。

「ねえ、アルとはどうなったの?」

 囁かれた言葉に、エイミーは照れるより先に笑ってしまった。

「やだ、ハリエット様。こんなときに」

「いいじゃない。前よりも仲良くなったみたいね」

「……アルったら、助けに来てくれたと思ったら、女装してたんですよ。しかもあたしの服。母さんが出したって言ってたけど、ひどくないですか?」

「ええ? それはひどいわ。せっかくの場面が台無しじゃない」

「でしょう? ……あたしだって、一瞬盛り上がりかけたけど。無理でした」

「……育て方を間違えたかしら」

 ハリエットが真剣な口調で呟くものだから、エイミーはまた笑ってしまう。

「アルが育ち間違えたんですよ。でも、アルが来てくれたから、あたし本当に大丈夫だったんです。怖い目に遭う前に、エベラルド様が助けてくださったし」

「そう。でもエイミー。後悔はしないようにね。アルは騎士として戦場に向かうと言っているわ」

「はい」

 繋いだハリエットの手はひんやりしていたけれど、エイミーの心は温かく強くなった。

 好意的とは言い難い兵の視線も、あまり気にならなくなってきた。

「あたし、エベラルド様にちゃんとお礼を言えてないです。しかもあんなことしちゃって。もう、気軽に会うことはできなくなっちゃったんでしょうか」

 何しろ彼は新しい国の王族なのだという。

 かっこいい騎士が実は王子様でした、なんて物語のようだけれど、そんな話現実にあってもちっとも心躍らなかった。

「まだ大丈夫じゃないかしら。戴冠式も済ませていないし、彼はほら、今でもあんな感じみたいよ」


 ハリエットが示した先では、エベラルドが行儀悪く回廊の手摺に寄りかかっていた。

 彼の視線の先は、ライリーの背中が消えた方向だ。

 声は届かなくても、あの野郎、と毒づいているのが分かる。

 エベラルドがふたりに気づいて顔を向けたときには、癖になったような皮肉げな表情になっていた。

 もう、かつての仲間に嫌われるための演技なんてしなくてもいいのに。

「どうしましたか。何かご不便でも?」

 文句を言いに来たのか、じゃなくて、素直に体調を案じてみせればいいのに。

「ええ。色々と。でも先にエイミー。この方に言いたいことがあるんでしょう?」

 美しい貴婦人も、なかなかの意地っ張りだ。嫌味ったらしい喋り方も似合ってしまうからいいけれど。

「なんだ。お嬢さんも文句があるのか。アルと楽しくやってたんだからいいだろう」

「おじさん臭いですよ、そういうところ」

「そうかよ」

 反射的に言い返してから、エイミーは深々と頭を下げた。

「助けてくださってありがとうございました! ちゃんとお礼も言わないままぶん投げちゃってすみませんでした!」

 ふ、と小さく吹き出したのはハリエットだ。

 エベラルドも笑ったが、それと同時に、皮肉屋の演技を忘れたことを後悔する顔になった。

 彼はまだ、どう振る舞っていいのか自分でも分かっていないのだ。

 城で働く人々に自分の配下が乱暴しないよう、昼夜を問わず見廻りを欠かさないような優しいひとだって、もうみんな知っているのに。

 そんな彼だから、エイミーの危機にすぐに気づいて助けることができた。

 難しい年頃の男の子だったアルのように、助けたわけじゃない、なんてうそぶきながら。

「……後で謝る奴が、あんな豪快な投げ方をするか」

 エベラルドはとりあえず、苦々しい表情をつくることに決めたらしい。

「ごめんなさい。アデラから話を聞いたら、腹が立っちゃって。アルと盛り上がって練習に励みました。スカッとしたんで、もう怒ってないですよ!」

 エベラルド様馬鹿なの? なんで誰にも相談しないのよ! こうなったら、みんなの前で恥をかかせてやろう。吠え面かく準備して待ってろよエベラルド!

 今思えば、我ながら意味不明な盛り上がり方だった。ただ、鬱々としてしまいそうだった生活に張りが出た。エイミーが元気になると、ミアの笑顔も増えて安心できた。そうなるとますます投げる練習に力が入った。

 別人のように厳しく、遅い、よく見ろ! と怒鳴るアルに、エイミーもノリではい隊長! とか叫んだりしていた。

 途中からアデラも協力を申し出てくれて、結果仕返しは大成功に終わった。

 父の口出しに集中が途切れそうで焦ったが、女に投げられたエベラルドの姿は、騎士団にもウケていたように思う。

「女にしとくのは勿体ないくらいの投げっぷりだったぞ」

「えへ」

「誉めてねえよ。おまえら盛り上がる方向がおかしいだろ。頬染めて手ぇ繋いでた頃の可愛げはどこへ行った」

「おじさんはすぐに昔話しますよね」

「ガキはおしめ替えてやった恩をすぐ忘れるよな」

「……なんの話ですか」

 嫌そうなエイミーに、エべラルドがにやりとした。

「おっさんの昔話だ。スミスが泣きわめくお嬢さんを抱えておろおろしてたから、代わりに世話してやったんだよ。俺はアデラで慣れてたから」

「……初耳です」

 エイミーが顔をしかめると、エべラルドはますます意地悪そうに笑みを深めた。

「で? それだけ言いに来たのか」

 エイミーは首を傾げた。

 ここへ来たのはたまたまだっただろうか。

 エイミーの視線を受けて、ハリエットが一歩前に進み出た。

「少しお時間よろしいですか。お話をさせていただきたくて」

 演技が剥がれかけていたエベラルドの顔から、す、と表情が消えた。ふたりの間に緊張感が走る。


 エイミーは今更ながらに、美しいふたつの顔に共通点が多いことに気づいた。

 くっきりした二重の線の形だとか、風に吹かれて露わになった耳の形だとか、兄妹のように、と言ったら大袈裟になってしまうささやかな相似点だ。

 ふたりが間にひとを挟むことなく並ぶ姿を見たことがなかったから、今まで気づかなかったのだ。

 顔立ちが整っているひとは、自然と似通ってくるものなのだろうか。

 夏の空のような瞳が二対、向かい合って対峙する。

「どのようなお話をお望みでしょうか」

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