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割と幸せ

 まずはエベラルドが席を立った。

 幹部を除く騎士団のほとんどが詳しい話を聞かされていない。

 だが彼はつまるところ何も変わっておらず、キャストリカの、仲間のためにひとり孤独な闘いにその身を投じていただけだった。

 亡国の王子の養い子であり、妻は王子の娘である。

 それは事実なようだ。

 彼はこれからこの国の女王の夫として生きていく。事実上の最高権力者として国の実権を握り、王族として生きていくのだ。

 高位の貴族であれば喉から手が出るほど欲するのかもしれないその地位を、エベラルドが望んでいたとは到底思えない。

 彼は騎士に人生を狂わされ、その騎士である仲間のために自らの人生を捧げることを決意した。

 玉座という名の窮屈な籠の中が、彼の終の住処となるのだ。

 騎士団の面々は、複雑な表情でかつての仲間の背を見送った。

 エベラルドは悠然として見える動作で部屋の扉に手をかけた。

 次の瞬間、彼の姿がみなの視界から消えた。

 予備動作もなく急に機敏に動いたエベラルドに驚いて、ライリーが後を追う。厳戒態勢の城内で、また何か事件が起こったのかと思ったのだ。

 部屋を飛び出したライリーの腹に、褐色の頭が突撃してきた。長いお下げ髪が遅れて舞う。

「っアデラ⁉︎」

 一瞬息が止まったライリーは、慌てて小柄な身体を受け止めた。アデライダはさっと彼の背に隠れた。

「助けてライリー!」

 見ると、すぐそこでエベラルドが指を鳴らして威嚇している。

「そいつを寄越せ。仕置きの時間だ」

「おい、女性に乱暴は」

(おんな)じゃねえ。躾が必要な(ガキ)だ」

「何よ、都合いいときだけ兄貴面して! そんなこと言うなら、一生兄さんって呼んでやるんだから!」

「やめろ、萎える」

 間に挟まれたライリーは、よく分からないなりにアデライダを背中に庇った。

 扉から顔を出したザックがライリーの肩を叩く。

「ほっとけよライリー。寝台の上の話だろ」

「え、そういう話?」

 ライリーは夫婦のじゃれあいに巻き込むなとばかりにアデライダを押し出したが、彼女は素早くその手から逃れた。

「ザックは黙ってて! あれがそんな話をしてるように見える⁉︎」

 彼女が次に目をつけたのはマーロンだった。大きな背中の後ろに廻りこむと、驚く彼を見上げて訴えた。

「さっき見てたよ。おじさんがエベラルドにあの拳骨の仕方教えたんでしょう! 責任取ってあいつを止めてよ」

「おじさんだと?」

 マーロンは娘のような年齢の女性を見下ろして鼻の頭に皺を寄せた。女王だかなんだか知らないが、元配下の妻からのおじさん呼ばわりはいただけない。

「えっと、マーロン? エベラルドの上官だったんでしょ。あいつすぐ頭殴ってくるの、躾け直して!」

「尻を叩かれるほうがいいのか」

「座れなくなるでしょ! あたしの背が伸びなかったの、絶対あんたのせいだからね!」

「おまえは元からチビだった」

 戦前のぴりぴりした空気が霧散してしまった。

 事情を知らない傭兵達が目を丸くしている。

「あれがお宅の新しい国王夫妻なのか。何やってんだあれ」

「……痴話喧嘩かな。気にせず解散してくれ。あんた達の泊まる部屋も、夜までにできる限り用意しよう」

 騒がしい攻防の末、アデライダは自慢の俊足で更に逃亡を続けた。

「……はやっ」

「てめえ、二度と勝手なことできないようにしてやる!」

 エベラルドの声が遠ざかっていく。

「……あれ痴話喧嘩か?」

「兄妹喧嘩じゃね?」

「……あいつ、割と幸せにやってるんだな」

 ザックがぽつりと呟いた言葉に、騎士達は力の抜けた笑顔になった。

「自分から特別訓練を課してくれって言ってたもんな」

「あの奥さんと一緒になれて浮かれてたってことか」

 みなで勝手な感想を言い合いながら、それぞれの隊に戻っていった。

 家に帰るまでに、済ませておかなければならないことがまだ残っているのだ。



 ライリーはその日の寝床はハリエットの隣とすることにした。

 ふたりで自宅に帰ってもよかったのだが、少しでも早くハリエットを休ませたかったのだ。

 国の来賓が泊まるための部屋だ。伯爵家で育ったライリーでも気が引けるほど豪奢な室内に据えられた寝台の上にハリエットの姿はある。

 ハリエットを心配したエイミーが、側に控えてくれている。侍女仕事に慣れている彼女は、ライリーの姿を見とめると静かに控え室に下がった。

 ライリーは天蓋から垂れる薄布をかきわけて、寝台の端に腰を下ろした。

「体調はどうですか」

 横になっていたハリエットは、身体を起こして夫を出迎えた。

「だいぶいいです。ごめんなさい、こんなときに」

「謝らないでください。長い間大変だったでしょう。お迎えに行けなくてすみませんでした」

 ライリーが囚われの身となっている間に、ハリエットは逃亡から一転攻撃に移るための準備を整え、救世主としてみなの前に姿を現した。

 これでは立場が逆だ。

「ふふ。たまには騎士様役もいいものですね。囚われの姫君?」

 大人だったハリエットを見上げるところから始まった恋だ。彼女には何をしたって敵わないのは最初から分かっている。

 ライリーは自分の至らなさを素直に認めて、妻の身体を抱き寄せた。

「……格好良かったです」

「惚れ直しました?」

「はい」

 ハリエットはライリーの胸に頬を寄せて目を閉じた。

 ふたりはしばらく無言で抱き合ったまま、お互いの感触をしっかり自分の身体に刻み直そうとした。

 すっかり痩せてしまったハリエットだが、王城に到着して部屋に閉じこもっている間にいくらか体重が戻った。

 意地になって牢生活を続けたライリーも少し細くなってしまった。それでも狭い空間で毎日ザックと組み合っていたおかげで衰えは感じていない。明後日から始まる戦でも、きちんと己の役割を果たせるはずだ。

「……でも俺、少し怒っています。竜だとかいう騎士を兄上が連れて来れなかったら、あなたが傭兵の元に、なんて。そんなこと絶対許しませんからね」

 情婦に、などという言葉は口にしたくなかった。

 そのときはすべてをかなぐり捨てて、彼女を連れてどこまででも逃げてやる、とライリーは本気で考えていた。

 彼の頭の中では、戦の作戦と同時進行で、逃亡計画も練られている最中だ。

「まあ。そんなことおっしゃらないでくださいな。わたくしを参謀として傭兵隊に迎え入れたいんですって。五年契約で」

「参謀。五年契約」

 ライリーは思っていたのとはだいぶ違う話に瞬いた。

「ええ。サイラス様も一緒に。そのときは夫も帯同していいかと訊くと、キャストリカの騎士団長なら大歓迎だ、ですって。成功報酬のみだけど、子連れ可だそうです。なかなかの好条件だと思うのですけど、どうなさいます?」

「どうって……、ちょっと楽しそうですね?」

 ライリーは傭兵達にかしずかれるハリエットの姿を想像してしまった。その傍らには、ライリーとサイラスが側近然として立っている。アンナがそこにいないなんてことはないだろう。子ども達は、殺伐とした傭兵達から少し離れた場所できゃっきゃと楽しく遊んでいるのか。

「わたしも同じことを思ってしまいました。でもきっと、ロバート様が紅い竜を連れて来てくださいます。お義兄さまを信じて待っていましょう」

 悪戯っぽい顔のハリエットは、それ以上詳しい話は教えてくれそうにない。

 ライリーは複雑な表情のまま笑って、ハリエットの唇にそっとくちづけた。

 唇を離してまたくちづけて、と何度か名残を惜しんでから、ようやく彼は身体を離した。

「今までだらだらしてきた分、もう少し働いてきますね。夜までには戻ります」

「はい。いってらっしゃいませ」

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