傭兵の望み
ロバートに叶えることができる傭兵の望みとはなんだろうか。
ライリーは疑問に思ったが、とりあえずその話は置いておいて、話を先に進めることにする。
「じゃあ三千九百で考えていいですね。初陣を済ませた従騎士をすぐに叙任して頭数を増やしましょう。あとは志願兵を募って補給隊に組み込んで」
「初陣済ませたってだけで、ガキに覚悟を決めさせていいのか」
自分の死はとっくに覚悟している騎士達が、ニコラスの言葉に複雑な表情になる。
今から始まるのは、キャストリカでは誰も経験したことのない規模の戦だ。戦死者は何人出るか想像もつかない。
まだ二十年も生きていない少年に、死地に赴けと命じることはできない。
ライリーが当たり前だと頷く。
「もちろん強制はしません。前線にも出しません。それで四千四百」
「ライリー様。僕は叙任していただけますか」
いつもなら幹部の会議では黙って控えているだけのアルが、強い口調で主人を見上げた。
「遅すぎるんだよ。甲冑の重さに慣れる時間がないから、新米を集めて弓矢隊をつくる。しっかり役に立てよ」
「はい!」
母親のような目をアルに向けていたハリエットは、なんでもないことのように数合わせの話をまとめた。
「残り五千六百で互角ですか。二千程度ならもうすぐ集まってくる予定ですが」
「…………は?」
「開戦には間に合わないかもしれませんが、それ以上も期待できます」
「何をしたんだ」
エベラルドの胡乱な顔は、再びハリエットに無視された。
「妻に話しかけないでくれるか。いちいち話が止まる」
「俺に文句言う前にてめえの女房を躾けろよ」
「あ?」
エベラルドに対して、ライリーがマーロン並みの短気さを発揮している。
「あれはエベラルドが悪い」
ウォーレンがばっさりと断じる。
エベラルドは少し気まずい顔になった。
「……ちょっと悪ノリしちまっただけだろ。黙って頬を張られてやったんだから、あれであいこじゃねえか」
「! 俺だってまだ……っ」
口走りかけたライリーに、周囲から視線が集まる。生温いものもあれば、冷たいものもある。
ハリエットは一歩引いてしまっていた。
「……それはちょっと」
「あー。騎士には割と多いんだよな。てかライリーは最初からそんなだったかも」
「ザック⁉︎ 違いますよ、ハリエット! 誤解です!」
「エベラルドだって初物がどうとか言ってニヤついてただろ」
「ちょっとな」
「はああ⁉︎ あんたハリエットに何したんだよ!」
「あご触っただけだろ。減るもんでもあるまいし、そんな騒ぐな」
ライリーの拳よりも早く、マーロンの拳骨がエベラルドの脳天に叩き込まれた。
「! …………っ!」
エベラルドがその場にしゃがみ込むのを見届ける前に、マーロンは続けざまに元配下の頭に重い拳を落とした。
ライリーとザック、ニコラスの騎士団幹部の若手三人が声も出せずに頭を抱える。元上官からの避けるなよ、の無言の圧力を感じて、大人しく喰らう以外の選択肢を選べなかったのだ。
マーロンは顔をしかめて右手を振りながら、自分が沈めた元配下四人をじろりと見下ろした。
「うるせえ。真面目にやれ」
一気に大人しくなった若手幹部に驚くハリエットに、ロルフが恭しく話を向ける。
「団長代理。頭数は揃う、ということでよろしいでしょうか」
「はい。皆さまほど戦慣れはしていないかもしれませんが、武芸を修めた方々が国中から集結されます」
「……団長代理には、いくら感謝してもしきれません」
「とんでもありません。わたくしにできるのはここまでです。後は、騎士様方のご武運をお祈りしてお待ちしております」
「は。お任せください」
ロルフが頭を下げ、ピートが号令をかける。
「よし。算数はおしまいだ。これで作戦会議に移れるな。外の傭兵も呼んで来い」
全部で二千いた傭兵に纏め役はいなかった。異なる十八の部隊の寄せ集めだという話だったので、それぞれの隊から代表者二名ずつを王宮に招き入れ、改めて協力を請うことにした。
ハリエットは団長代理の仕事はここまで、と部屋に下がった。まだ身体が本調子でなく、心配したエイミーが付き添っている。
現れた傭兵のひとりは、例の老戦士だった。
「よう。また会ったな」
敵として交戦してから、まだ一年も経っていない。
傭兵稼業ではよくあることなのだろうが、キャストリカの騎士団幹部は一瞬顔を引き攣らせた。
「そっちにも年寄りがいたんだな」
六十過ぎの傭兵に視線を向けられたデイビスは、肩をすくめてみせた。
「あんたよりは若いと思うぞ」
「いくつだ」
「五十二」
「なんだ、まだあと十年は戦れるな」
衰えることを知らない騎士と陰口混じりに囁かれているデイビスだが、勘弁してくれ、とばかりに顔をしかめた。
「俺の妻が、あなた方の望みを叶える約束をしたそうだが」
「おお。赤毛の団長。あんたに似た赤毛の騎士に会わせてくれるって言うからな。当面の食糧と必要経費だけで手を打って、他の傭兵にも声かけて集めてやったんだ」
「赤毛の騎士」
前にも言っていた。彼らの望みとは、その騎士の身柄か。
「……まさか紅い竜のことか」
前回の戦には参加しなかったデイビスが反応を見せた。
「りゅう? 演劇の話ですか?」
「伝説の剣聖か? 親に聞いたことがあるが、建国当時にいた人物だろう。まだ存命なのか?」
田舎の領地で生まれ育ったライリーは怪訝顔だが、王都出身のウォーレンは何やら心当たりがあるようだ。
「あの別嬪さんは本人を知っていると言っていたぞ。いつ死んでもおかしくない歳だからな。この話に乗らなかったらもう会えないだろうと思って、色々妥協してやった。会えなかったら、あんたの女房はうちのものになる約束だ」
「なんだと?」
「あのおっかない別嬪さんは承知したぞ。そもそもが雲を掴むような話だ。嘘は許されねえ」
エルベリーの次は傭兵か。
ライリーは左手で剣の鞘に触れた。
「俺は承知していない。そのときには暴れる者がいることを覚えておけ」
「やるか。若いの」
ウォーレンがふたりの間に割って入った。
「ライリーやめろ。あんたも、うちの団長に奥方の話はしないでくれ」
いきりたつライリーを後ろに下がらせて、デイビスが前に出る。
「紅い竜ってのは、バランマスで最後まで戦った騎士の通り名だ。神がかった剣技の使い手で、赤毛もそうだが、戦場で全身を紅く染めるほどの返り血を浴びてなお戦い続ける姿を、国旗に描かれた竜に喩えられたと聞く。俺が騎士団に入った頃には、まだ本人を知る騎士が残っていたからな。嘘みてえな武勇伝を耳タコになるほど聞かされた」
「そいつの話だ。奴はキャストリカには仕えず、放浪騎士になってた。俺達は戦場で何度も奴に会った。敵のこともあったし、味方のときもあった。奴が敵のとき俺達は負けたし、味方のときは大勝だ。奴がどっちに立ってるかで、戦が始まる前から勝敗は決まってるようなものだった」
年配の戦士ふたりの話を、ライリー達は話半分に聞いていた。そんな人間離れした騎士は、前騎士団長だけで充分だ。そうそういてもらってはたまらない。
「竜だかなんだか知らないが、とにかくあんた達も一緒に、帝国相手に戦ってくれるんだな」
「その契約だ。この辺り一帯が帝国のもんになっちまったら、戦も減って商売上がったりになりそうだしな。今回はあんた達に味方してやるよ」
改めて地図を広げた机上で、戦の運びについての話し合いが再開した。
まずは今いる二千七百と、叙任する従騎士五百、合計三千二百で帝国を迎え撃つ。
続々と到着してくる予定の援軍と合流する前に、地の利を活かして遊撃戦を仕掛け、正面衝突する前に少しでも敵の力を削いでおく。
遊撃戦は傭兵の得意とするところだ。地理に明るい騎士団と合同班をつくり、そこに弓を得意とする新米騎士を同行させる。アルもその班に組み込まれた。
帝国の勢いを完全に殺すことは難しいだろう。決戦は王都まで持ち越されることを覚悟しておかねばならない。
西側に住む住民に避難を呼びかけるのと同時に、志願兵を募る。騎士団の存続を疑問視して去った者が聞きつけ、戻ってくることも期待したい。
国、キャストリカは喪われてしまったが、これからもそこに住む人々の暮らしを国と言い換えることとする。国の存亡を賭けた長い戦になる。何ヶ月、何年も続く戦いになるだろう。
それでも彼らは退くわけにはいかないのだ。退いても待つのは地獄だけなら、闘うことを彼らは選ぶ。
そのために在るのが騎士団だ。
ライリーは歴戦の騎士の顔をぐるりと見渡し、会議をまとめた。
「出発は明後日。朝の鐘を出陣の合図とする。簡易のものになるが、明日叙任式を行いましょう。みんな、それまではご家族の元で過ごしてください」
愛するひととの最後の別れを、とは言わない。
ライリーがキャストリカ最後の騎士団長として、勝利を導いてここに帰ってくるのだ。




