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「いい加減、こんな茶番は終わりにしましょう。俺達には時間がないんだ。それでいいな?」

 エベラルドに敬意を払うことをやめてしまったライリーが、じろりと彼を見下ろす。

「勝手にしろ」

 エべラルドは視線を上げずに、言葉を放り投げた。

 ライリーは自らが率いる騎士団を見回した。

「もう間も無く、帝国が大軍を率いて攻めてきます。国中の戦力を集めて、国境を越えられる前に迎え撃ちましょう」




 エベラルドが帰ってきた。

 ライリーに負けた。油断しちまった。これでおしまいだ。じき帰る。

 そう手紙に書いて寄越してきてから、実際にエベラルドが帰ってくるまでそう長くなかった。


 アデライダは笑顔で両手を広げ、彼を出迎えた。

「おかえり、エベラルド」

「ただいま」

 エベラルドも笑顔だ。もっと悲痛な顔で帰ってくるかと思っていたが、彼の顔は晴れ晴れとしている。

「今までお疲れさま」

 アデライダは嬉しくなって、彼をしっかり抱き締めた。

「ああ」

 抱き締めたつもりが、いつものように長い腕の中にすっぽり収められてしまった。まあいいかと思い直し、アデライダは広い胸に頬擦りして、久しぶりの感触を堪能した。


 エベラルドが、少年の頃から十九年勤めた騎士団を辞めて帰って来た。

 これからは毎日アデライダと一緒にいてくれる。毎日一緒にご飯を食べて、毎晩一緒に眠って、毎朝一緒に目を覚ます。二十年前と同じように、幸せな日々を送るのだ。

 額に優しく触れるくちづけも久しぶりだ。エベラルドはアデライダが大人になっても、時々こうして小さい子どものような扱いをしてくる。

「今日からしばらく、人生最後の休暇だ。何かしたいことはあるか?」

「なんにも。なんにもしなくていいから、一緒にいてよ」


 それからエベラルドはこれまでの十九年分の余暇を取り戻すように、のんびりと何もせずに過ごした。

 彼は毎朝アデライダの隣で目覚め、時に知らぬ間に寝台に潜り込んでいたエリオドロに驚いて、朝から笑っていた。

 寝室にはエルバ用の小さな寝台も置いてあり、エベラルドは初めて会う娘を飽きることなく眺めた。

 小さな娘が泣けば慣れた手付きでおしめを確認し、優しく抱き上げてあやしてやる。

 アデライダがその様子を物珍しげに見ていると、二十四年前のおまえと同じ顔だ、と教えてくれた。そんな昔のこと覚えてるわけない、とアデライダは思う。

「エルバの瞳は青いよ。姉さんに似てるんじゃない?」

「そうか? さすがにあいつの赤子の頃の顔は分からんけどな。まあ姪にあたるわけだし、似ててもおかしくないか」

 エベラルドの昔の恋人に対して嫉妬する気にはならない。ずっと前に亡くなった姉なのだ。

 記憶には残っていなくても、アデライダにとっても大事なひとだ。

 エベラルドは離れて暮らしていた間のことをたくさん話してくれた。

 アデライダも会ったことのあるライリーとザックの話が多かったけれど、他の騎士やその家族の話も多かった。

 仲間の娘を見て、アデライダもこのくらいになっただろうかと考えることもあったらしい。

 いくつくらいの娘なのだと不快感を見せると、アデライダより四つも下だと言う。十二歳の少女を見て、十六歳のアデライダを想っていたと言うのだ。

 なんて失礼な、とアデライダが頬を膨らませると、その翌年に帰って見たら、その娘よりおまえのほうが小さかった、とエベラルドは笑った。

 その娘はライリーの従者と恋仲なのだが、なかなか結婚までに至らないと保護者のほうがやきもきしている。あんまり外野が騒いでやるなよ、と諌めたこともあるが、あまりに進展しないのでエベラルドも気になってきたところだった。

 ザックの結婚問題に駆り出されたこともある。屈強な男の集団である騎士団だが、色恋には疎い連中ばかりだ。そこらへんの小娘のように恋愛沙汰で大騒ぎしやがる。

 エベラルドも他人のこと言えないでしょ、とアデライダが言うと、自分達の馴れ初めを思い出したエベラルドは渋い顔をして目を逸らした。


 アデライダの言った通りエベラルドは本当に何もせず、日がな一日娘を抱いてぼんやりしたり、息子と遊んだりして過ごした。働き者の彼には珍しく、老いたウッドの手伝いすら億劫がった。

 初日は笑って許した両親も、二日経ち、三日四日経ってもだらだらしている彼を邪険にするようになり、七日目の朝食を終えた後に尻を蹴っ飛ばして家から出した。

 渋々畑に出たエベラルドだが、そんなやりとりすら楽しんでいることをアデライダは分かっていた。

 ずっと「いい子」だった彼が伯母夫婦に甘えてみるのも、これが最後なのだ。

 エベラルドは仕方なく、といった体で畑仕事を済ませた後は、エリオドロと一緒に羊と戯れた。

 山に住んでいた頃に世話をしていた羊の子孫は、十二頭になっていた。

 マルコス村を発つ前に、エベラルドは自らの手ですべての羊の毛を刈り、皮を剥いで解体した。肉はアデライダが調理し、家族で食べ切れない分は村人にも振る舞った。

 畑の作物も、あらかじめ計算しておいた通りにすべて収穫してしまった。

 村中がそうやって、これまで生活に必要だったものを少しずつ始末していった。


 マルコスは、アデライダの知らない亡国の、王の子孫のためだけに存在していた。最後の王族であるアデライダとエベラルド、ふたりの子どもが玉座を奪還するために発ってしまえば、村は必要なくなるのだ。

 万一のときのことを考えたエベラルドが、村を遺棄するよう指示したのだ。

 ふたりは両親に別れを告げ、ふたりの幼い子どもと有志の村人だけ連れて帝国に向けて旅立った。

 大半の村人は、エベラルド達の意を汲んで同行を諦めた。彼らは残ったわずかな物だけ持って国内外に散らばり、新しい人生を始めるのだ。

 生まれる前に滅び、親から言い聞かされた国のことなど、その国の王の子孫に仕えろと言われて育ったことなど、忘れてしまえばいい。

 二十年前、エベラルドがアデライダを連れて山から逃げなければ、彼らはもっと早く自由になれたのだ。申し訳ないことをしてしまったと、生き延びたことを後悔したこともある。

 エベラルドはあのとき死んでやれずにごめん、と呟いたことがある。ウッドにぶん殴られて以降、そのことについて口にしたことはないが、ずっと心の中のわだかまりになっていた。やっと彼らを解放してやれるのだ。

 それが一番嬉しいな、とエベラルドとアデライダはふたりでそう言い合った。


 アデライダがマルコス村から出るのは、それが生まれて初めてのことだった。彼女は山で生まれ、四歳からは生まれた山の麓の村で育った。

 それから一度も村外に出たことはない。許されてこなかったのだ。

 外には彼女の知らないものがたくさんあった。

 初めて見る街は店がたくさんあって、人で溢れていた。気をつけていないとすぐに他人にぶつかってしまう。

 人口の少ないマルコスではあり得ないことだ。

 エベラルドは三度目に人にぶつかったアデライダに溜め息をついて、馬に乗るエリオドロの後ろに彼女も乗せてしまった。彼は呆れながらも、優しい表情をしていた。

 片手でエルバを抱くエベラルドは、もう片方の手で手綱を引いて歩いた。

 赤子連れの旅はゆっくりと進み、長い時間がかかった。

 アデライダは一生この旅が終わらなければいいのに、と思いながら、初めて見るさまざまなものにはしゃいだ。

 彼女の願いは当然叶うわけがなく、一歩進む毎に終わりが近づき、国境を越え国をひとつ通り過ぎて巨大な帝国に着いてしまった。



 帝国でアデライダは女王として、というより上流階級の人間としての教育を受けさせられた。

 一般的な学問は幼少期から学ばされてきたが、作法などは田舎の村で身に付けるのは不可能だった。

 エベラルドはというと、長年王宮勤めをする間に見様見真似ではあるが、さほど違和感なく貴族の振舞いをすることができる。

 歩きにくいと文句を言いながらコットの裾を引き摺って歩くアデライダを、エベラルドは時折難しい顔で見ていた。

「何よ。どっか変? 間違ってた?」

「…………いや、さっきの挨拶の仕方、ちゃんと教わった通りなのか?」

「だと思うけど。右手がここで、腰の角度はこれくらい、で、こう。ね、合ってるでしょ」

「ふうん」

 片隅に捨て置かれたと聞いていたバランマス貴族の末裔は、それなりの領地と屋敷とを帝国から貸し与えられていた。

 ナルバエス王家と繋がりのあった当時の公爵の子を筆頭に、先祖の爵位を名乗る貴族当主が四人。彼らの家族と、仕える騎士、使用人、地元の人間と縁付いた者もいるが、領地に住むほとんどすべてがバランマスからの亡命者の子孫だ。

 ここが新しいバランマス王国と言っても過言ではない。

 いつからこの領地を与えられているのだと訊けば、五年前だと言う。

 エリオドロが生まれた年である。

 その頃から帝国は親身になり、キャストリカ攻めにも全面的に力を貸すと言っている。

 我らの本気が伝わったのだ。悲願達成まであと少しだ。

 帝国で生まれ育ち、親からバランマス王国の再興をと言い聞かされて育った彼らは、そう熱く語った。


 彼らに紹介された教育係は、帝国から派遣されてきていた。エベラルドが違和感を覚えるのは、アデライダが教わった通りにしてみせるお辞儀が帝国風だからだ。

「アデラ、それ手の位置が違う。膝はこうなるはずだ」

「どうしちゃったのエベラルド。気持ち悪いよ」

 急になよやかな動きをしたエベラルドに、アデライダは身を引いた。

「うるせえ。やってみろ」

 アデライダが真似してみせると、エベラルドは難しい顔で首を捻った。

「なんか違うな」

「何がよ。誰と比べてるの?」

「ライリーの女房。あれを真似しとけば間違いない」

「金髪巨乳美女?」

「それだ。おまえ今後は人前でそういう品の無い言葉は使うなよ」

「はいはい。そのひと本当に実在してるの? ライリーの妄想じゃなかったの?」

「そのうちおまえも会うことになる」

 帝国に来てから、エベラルドはずっと難しい顔で何かを考えている。

 彼がキャストリカに残してきた仲間を大切に想っているのを知っているから、アデライダは時々訊ねた。

「どうしたの? やっぱりやめとく? このまま向こうに帰ろうか」

 一度は辞めたエベラルドを、騎士団はきっと再び受け入れてくれる。

 慣れない王都暮らしは大変そうだけど、彼と一緒にいられるなら、アデライダは騎士の妻として生きていったって構わない。どこかで放浪しているであろう両親を捜し出して、またみんなで暮らせばいい。

「……それも少しは考えてたんだけどな。どうやら無理そうだ」

「? どうして?」

「これはもう、俺の手には余るぞ」


 帝国でキャストリカの王宮を攻める準備をしていた仲間は、帝国の言いなりになっており、そのことになんの疑問も持っていなかった。

 バランマスはキャストリカと文化を共有していたはずだ。

 同じ言語を使い、使う文字も同じ。国境の村同士では血縁関係が結ばれ、商人は交流し商品が交換されていた。宮廷を行き来する貴族間では風習の違いに戸惑うことはなかった。

 そのために、キャストリカに併呑された後もバランマスで暮らしていた人々は特に何かを変える必要もなく、それまで通り暮らした。言語はそのまま、馴染みのない神を信仰する必要はなく、気候を無視した風習や食べ物を受け入れることもなかった。

 国がなくなることで困ったのは、一部の王侯貴族だけだった。

 半世紀以上もの間帝国で過ごしたバランマス貴族の末裔は、帝国の風俗に染まっていた。

 当然のことであるし、エベラルドにそれを咎める気はない。

 だが、我らが主君であると持ち上げるアデライダにもそれを強要するのならば、話は違ってくる。


 帝国の片隅に出来ていた王不在のバランマス王国は、帝国の一部になっていた。

 帝国から派遣された教育係は女王を帝国風に教育する。

 彼らは笑顔で、兵も貸してやると言う。

 バランマス貴族はそれを喜び、伏して受け入れる姿勢をとっていた。

 エベラルドは一瞬昏くなった眼裏に、近い将来を見た気がした。

 この流れに乗ってしまえば、新しいバランマス王国は帝国の属国に成り下がる未来しかない。

 帝国の求めに応じて、人も物も差し出し、見下され虐げられて生きていかなくてはならないのだ。

 アデライダをそんな国の女王にするわけにはいかない。

 それでもエベラルドは、自分が生まれる前から祖国を取り戻すことを夢見てきた同志を見捨てて逃げ出すこともできなかった。

 もし仮にエベラルドがアデライダと子どもを連れてキャストリカに逃げ帰っても、帝国は諦めない。どこかから適当な血を持つ者を担ぎ出してでもキャストリカの地を手に入れるつもりだ。

 そして彼の国を足掛かりに近隣の小国を次々と呑み込み、国の拡大を図る。

 そうなればナルバエス王家の直系とされるアデライダは、また逃げ隠れして生きていかなくてはならなくなる。

 数倍の兵力でもって攻めこむ帝国に、キャストリカの騎士団は多くの血を流すことだろう。それでも押し返すことはできず、彼らが守りきれなかった人々は生き地獄を味わうことになる。


 今考えられる策は、エベラルドがキャストリカを奪ることだ。

 悲願を達成するまで、帝国に暮らすバランマス人は決して諦めない。仕えるべき主君として仰ぐアデライダの言葉も聞き入れる気はないのだ。

 エべラルドには、彼らを切り捨てることはできない。

 彼らは、王の子孫が生き残ったがために、今まで希望を捨てることができなかったのだ。

 こうなったのはすべて、二十年前にエべラルドが死ななかったせいだ。アデライダを抱え、生きるために夜の山を必死で走った、エべラルドの責任だ。


 バランマスとキャストリカ、双方の犠牲を最小限に抑え、兵力を集結して、帝国を迎え撃つ。

 それが、今エべラルドにできる最善だ。

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