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保護すべき者

「……………………あ?」

 自分の身に起こったことが理解できず、仰向けのままエベラルドは声を漏らした。


 見ていた騎士団も、ぽかんとしてしまっている。

 アルが身を深く沈めると、その真後ろにはエイミーがいた。

 彼女がエベラルドの拳打の勢いを利用して、彼を地に叩きつけた。

 みな、自分の眼で見たものが信じられなかった。

 なかでも父親であるウォーレンは、驚きから動きを完全に止めてしまっている。彼は娘に武芸を仕込んでなどいない。

 

「勝者、エイミー・スミス!」

 突然叫んだアデライダが、倒れたエベラルドの腹の上に勢いよく飛び乗った。

 彼女は鳩尾に膝を入れられたエベラルドが息を詰まらせても気にせず、全身の力で彼を抑えにかかった。

「っっしゃあああ!」

 素早く立ち上がったアルは右手を挙げ、同じように挙げられたエイミーの右掌と打ち合わせた。

 ぱぁん、と景気の良い音がその場に響き渡り、アルはエイミーの右手首を掴んで高々と持ち上げた。

「勝ったああぁぁ!」

 勝者宣言を受けたエイミーは左手も挙げて万歳すると、高らかに勝利を宣言した。


「うわっ、ちょっ、待って逃げてふたりとも!」 

 アデライダの慌てる声に、アルはエイミーの右手首を掴んだ左手を滑らせて肩を抱くと、右手で彼女の膝裏を掬い上げて走り出した。

 エイミーはびっくりしてアルの首にしがみつくが、すぐに笑い出した。

 アルは予定していた位置で止まりきれず、勢い余ってウォーレンにエイミーをぶつけてしまう。

 大きな身体に受け止められたエイミーは、そのまま父親に抱きついた。

「……エイミー」

 訳が分からないまま、ウォーレンは久しぶりに娘を抱きしめた。

 アルは一歩退がって姿勢を正した。

「副団長! ご息女救出の任務、完遂いたしました!」

「ただいま、父さん!」

「あ、ああ。おかえり」

 アルは身体の向きを変えると、近くでぽかんとしていたライリーに向き合った。

「騎士団長、騎士の行動規範のひとつに、弱者の守護がありましたよね?」

「……あるな」

 アルはエイミーと笑みを交わすと、その場に集まった人々に向けて滔々と語った。

「皆さま、あそこの男は、か弱い婦女子に倒されるような弱者です! 騎士団長が従者アル・ブラウン、僭越ながら皆さまにお願いがございます! 弱き者、エベラルド・ナルバエスは守護の対象とすべきです。どうか皆さまのお力をもって彼をお護りくださいませ!」

「エベラルドは弱者」宣言が終わる前に、少しずつ騎士団に笑いが広がっていた。

 お護りくださいませ、まで聴いた後は我慢する者はひとりもいなかった。

 遠慮なく、エイミーに投げられたエベラルドを大声で笑った。

「だっっせええ!」

「弱者だとよ! 弱者! 弱き者だと!」

「エベラルドが負けた! 女に負けたぞ!」

 笑いの渦に巻き込まれながらも、ライリーは己の従者を見つめ返した。

「確かに、弱者は守護してやらないといけないな」

「はい。どうか、お願いします。……ザック様」

「…………」

 無言で見下ろしてくるザックに向けて、アルは頭を下げた。

「奥さまがお子さまと一緒に、二階奥の部屋でお待ちです。おふたりに万一のことがあってはならないから、そこでザック様のお迎えを待つようにと、エイミーが」

 その言葉に、ザックは夢から覚めたような顔で瞬いた。

「……無事なのか」

「もちろんです。囚われのお姫さまは一番高いところで騎士様の迎えを待つものだ、とかふたりで盛り上がってましたけど」

 小さな建物だ。一番高いところ、は二階で間違っていない。

「マジか」

 エイミーが笑顔で付け足した。

「ザック様、みんなの前で再会したら恥ずかしいことになりそうだと思って。中にはもうミアと赤ちゃんしかいないから、ご存分に奥さまの願いを叶えて差し上げてください!」

 ザックは顔を覆って肩を震わせた。

 彼は泣いているわけではない。思い込みの激しい若妻の望みを叶えてやらないといけないのかと思うと、震えが止まらないのだ。軽薄男の根幹が揺らぐ。

 ザックは軽薄な男ではあるが、気障はいただけないと思って生きているのだ。

「とりあえずひざまずいて、甘い言葉を囁いてあげてくださいね」

 ザックはにやにやする仲間に背中を押され、これは武者震いだと自身に言い聞かせながら前進した。

 建物の前までは、ザックの他にキャストリカ側に残っている騎士団幹部五人がついて行った。

 エベラルドの上には、アデライダの呼びかけで建物から出てきた小さな少年と、彼が必死の形相で抱えてきた赤子が乗っかっている。

 アデライダの手で首元に赤子を載せられたエベラルドは、赤子が落ちないよう手を添えたまま、諦めた顔で空を見ていた。

「これが女に投げられた弱者か」

 ザックは泥まみれのエベラルドを嘲笑ってから、建物内にひとりで入っていった。

「確かに弱そうな面ぁしてんな」

「髭なんか生やして調子に乗ってんじゃね?」

「髭に罪はありませんよ! 弱いこいつがダサいだけです!」

「ライリー、そこやけにこだわるな」

「だって俺もあれ欲しい」

「やめとけ。兜の中の蒸れがひどくなるぞ」

 死活問題である。

 ライリーはロルフの重みのある言葉に、髭への憧れを捨て去った。

「…………っだよ、てめえら。ひとの上でべらべらと」

 泥にまみれ、ふたりの幼子に動きを封じられたエベラルドの睨みには、もちろん誰も動じたりはしなかった。

 代わりに、屈強な男達に囲まれた少年と赤子が怯えてしまい、巨大な溜め息をついたエベラルドが上半身を起こす。彼の後頭部から背中、腰まで泥だらけになってしまっている。

 彼はしがみつく子どもふたりを一度両腕の中に抱え込んでから、少年のほうを無理矢理立たせた。

 小柄な七歳のテオよりもまだ小さい。褐色の髪と金茶の瞳はアデライダと同じ色で、血縁関係をうかがわせた。コットの腰にしがみつくいとけない様子は、四つか五つかといったところか。

「…………この子が?」

 ライリーはいつも、子どもに対するときには腰を屈めて視線の高さを合わせるようにしている。大きな大人に見下ろされた子が怖い思いをしないよう、気にするだけの優しさを忘れないよう心がけているのだ。

 だがこのときは、敢えて直立したまま見下ろすことを選んだ。

 幾分か口調は柔らかくしたが、今この小さな少年の前で膝を折るわけにはいかないと思った。

 アデライダはこほん、と咳払いをひとつしてから、しとやかと言えなくもないお辞儀を披露してみせた。

「騎士様方にご挨拶申し上げます」

 彼女は少年の背中を支えて促した。

 彼はおどおどした目でライリーを見上げたが、意を決した顔で口を開いた。

「エリオドロ・ナルバエスともうします」

 尻すぼみになることなく、最後まで名乗りをすることに成功した少年に、ライリーは目を細めた。

「エリオドロ殿。俺はライリー・ホークラム。キャストリカの騎士団長をしております」

 ライリーの名乗りに、エリオドロはぱっと顔を輝かせた。

「ライリー! 知ってるよ。お父さんが強いんだって言ってた」

「そうですか」

 エベラルドは顔をしかめて立ち上がると、まだ歩けない赤子をアデライダの腕に押し付けた。

「……エリオ、お母さんとあっちに行って遊んでろ」

 エリオドロは素直に頷いて、両手が塞がっている母のコットの腰の辺りを掴んだ。

 アデライダは睨むエベラルドにしかめっ面を返しはしたものの、大人しく離宮の裏にまわって行った。


 小柄な女王とその子ども達の後ろ姿を、騎士団は黙って見送った。

「……ちくしょう」

 妻子の去る姿を見届けることはせず、エベラルドはその場で脱力した。すでに泥だらけの尻をぬかるみに付けてだらしなく脚を投げ出す。

 その顔は、広げた膝の間に埋もれてしまいそうだ。

「…………どいつもこいつも」

 消え入りそうなエベラルドの声は、周りを囲んだ幹部の耳にはちゃんと届いた。

「あんたが言うなよ」

「馬鹿者が」

「小僧が粋がりやがって」

 口々に降ってくる苦言に、エベラルドはますます顔を落とした。

「……三十過ぎたおっさんに小僧はねえだろ」

 ふん、とピートが鼻を鳴らして、エベラルドの前髪を掴んで持ち上げる。

 エベラルドはされるがまま顎を上げた。

「やってることは未熟な小僧と変わらねえじゃねえか」

「……ああ?」

「自分ひとりでなんでも出来ると思ってるあたり、俺以下だろ」

 ライリーの微妙な貶し方に、少し離れて聞いていたハリエットが思わず和んだ。

「うん。ライリー以下だ」

「つまり最下層だ」

「あれ? なんかおかしくないですか?」


 アルは座っている女主人の隣に立ち、内緒話をする。

「あ、ハリエット様あれですよ。前に言った若手が気を抜いてもいいと判断する場面」

「確かに分かりやすいわねえ」

 ハリエットの表情は穏やかだが、少し顔色が悪い。

 アルはエイミーに手招きして、ハリエットの隣に座るよう促した。

「毛布でも取りに行きたいけど、ザック様のお邪魔はできないので。代わりにエイミーを」

「ええっ、あたし毛布扱い?」

「嬉しいだろう」

「光栄だけど! ハリエット様、くっついてていいですか?」

「ええ。温かいわ。ありがとう、ふたりとも」


「相変わらずつまんねえ奴だな。泣いてるかと思ったら」

「…………あんた達は、どこまで把握してんだ」

 終わらない軽口を遮って、エベラルドが低い声で問うた。

 ライリーは他の幹部を見回して、首を傾げた。

「え、どこまで?」

 一番訳知り顔のウォーレンが挙手する。

「外の傭兵に払う金の出所はエルベリーだ」

 ピート、ロルフ、ニコラスの、傭兵が王都に現れるまで王宮から締め出されていた面子と、ライリー、ザックが同じように挙手する。

 それは俺も知っている、の意だ。

「エルベリー?」

 エベラルドが不可解な顔になった。

 ハリエットを欲しがっていた国が、何故キャストリカに資金援助をするのか。

「ライリーが国境で、敗戦国に対する正式な要求を後日送ると慣例通りに言ってあったんだ。あのとき交わした書面は俺の実家に隠していたんだが、ハリエット様とサイラスが持って行った」

 聞き耳を立てていた騎士団の前列がぎょっとしてハリエットを見た。

 彼女はエイミーと仲良く寄り添ったまま、穏やかな微笑を彼らに返した。

「勝手にキャストリカ代表を名乗ってしまったことは謝ります。でもどのみち、彼の国が差し出せるものなんてきんくらいですから。正式な要求として鉱山で採れた金を出すよう言って、その場で持ち帰っただけですよ」

 その量が相場の数倍であったことは、外の傭兵の数を見れば一目瞭然である。

 どうやって要求を通したのか。まさかサイラスが腕にモノを言わせたのか。それでは押込み強盗も同然である。

 マーロンがその場を代表して疑問を口にした。

「……どうやってそんな要求を?」

 ハリエットは、恐ろしい想像に固まる騎士達ににっこりと笑顔を見せた。

「わたくしの話はまた後ほどにしましょう。どうぞ続きを」

 気を取り直して、今度はライリーが片手を挙げた。

「これは想像ですが。デイビスがそっちに立っているのは、王子ふたりとご家族を王宮から逃がす見返りだ。デイビス、合ってますか?」

 デイビス、マーロンとウィルフレッドは、今も騎士団から距離を取って立っている。

 聞こえているだろうに、デイビスは顔をしかめるだけで答えない。

 代わりにエベラルドが答え合わせに応じる。

「……その通りだ。もっとも、俺に申し入れをしたときにはすでに王子家族の姿はなかったがな。俺の下につく代わりに、王子を探すなと言ってきた」

 デイビスの立ち位置に動揺を見せないよう、必死で目を逸らしていた騎士達は驚いた。

「王子家族を逃したのは、ウィルフレッドですね?」

 ライリーは、ここに至るまで無言を貫いて、風景に溶け込もうとしていたウィルフレッドにみなの視線を集めた。

「ん?」

 煌々しい笑顔が非常に胡散臭かった。

「……そんなこったろうと思ってた」

 エベラルドが忌々しげに吐き捨てる。

「ええー。やだなあ。僕のこと疑ってたんですか?」

「あんたを信用したことなんか一度もない。地下道の完璧な地図が必要だったから、仕方なく受け入れただけだ」

「ほら、役に立ったでしょう、僕。仲間にして良かったでしょう」

「うるせえ。まだ地図を隠してやがったな。その通路から王子を逃がしたか」

 青筋を浮かべるエベラルドから、にっこり笑った顔のままウィルフレッドが距離を取る。

「はい、次いきますよ。残るはマーロンだ。瞬間湯沸かし器の彼があそこまで耐えるなんて、よっぽどですよ。……オズウェル陛下は、ご無事なんですね?」

 さらりと言ったライリーの言葉に、息を呑む音がいくつか聞こえた。

 とうに喪ってしまったと思っていた主君の存命の可能性に、彼らは緊張してエベラルドを見た。

「…………ああ。まだ生かしてある」

 普段信心とは無縁の騎士までもが、天を仰いで神に感謝した。

 彼らはキャストリカ国王に忠誠を誓った、国王のための騎士だ。国王が喪われたら、同時に存在意義をも喪ってしまうのだ。

 騎士団はまだ、存在することが許されている。

 エベラルドは喜色を浮かべるいくつもの顔を白けた目で見た。

「勘違いするなよ。あれが俺達と、侯爵の親の仇であることに変わりはない」

「侯爵?」

「…………ハリエットとウィルの両親は、陛下の指示で殺害されたとされています」

 ライリーは、小耳に挟んだことのある噂を仲間に教えた。本人の口からは言いたくないだろうと、妻と義弟の代わりに暴露したのだ。

「まあ、そういう動機がありまして」

 ウィルフレッドが肩をすくめて肯定する。

 そこに、ハリエットの厳しい声が飛んだ。

「ウィルフレッド! いい加減になさい。エベラルド様もですよ。十代の男の子のように悪振りたがるのは血筋なの?」

 叱責に巻き込まれたエベラルドは顔を引き攣らせた。

 当のウィルフレッドは何喰わぬ顔でそっぽを向いている。

「今回の騒動はそういうことだったんですよ。エベラルドが悪振ってみたせいで、こんなことになっちゃったんです」

「ライリー?」

 すでにすべてを分かっているかのようなライリーに、後ろで控えていた騎士達は怪訝な顔になった。

 事前にライリーから話を聞いていた幹部は、エべラルドがどういう反応をするのか、彼の顔を注視していた。面識のない、女王を名乗る女性の話を信じていいものか分からず、これまで態度を保留にしていたのだ。

 泥だらけになって脚を投げ出すエべラルドの姿は、叱責を受けてふてくされる少年時代の彼を思い出させた。彼を敵と断じ続けるのは難しかった。

 みな、薄々おかしいとは思っていた。

 エベラルドの言っていること、やっていることは滅茶苦茶だ。

 彼ほどの騎士が、こんないびつな国盗りを実行するのはおかしいのだ。

 ほとんど死人が出ていない。エベラルドは無駄な殺しはしないが、必要と判断したときには容赦しない。

 その彼が、仇だと言うオズウェル国王を生かし、世継ぎの王子も深くは追わず、逆らう騎士への粛清もしなかった。

 彼は何をしたいのだと、首を傾げる場面が多々あった。

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