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異国の女王

「かっこいい」

 小声であるにも関わらず、その場違いな感嘆はライリーにまで聞こえてきた。

「…………陛下」

 エベラルドの低い呼びかけには応えず、新たに現れた人物は躊躇いなくバランマス兵の前を通り、ライリーの右側まで歩いてきた。

 その女性は飾りの少ない、だがひと目で上質と分かるワンピース(コット)上着(シュールコー)の背中に、褐色の髪を長く垂らしていた。上流階級の女性の出で立ちだが、その足取りは優雅というよりは元気な少女のものだ。

 彼女はゆっくりと立ち上がるハリエットと向かい合うと、膝を曲げて目上の人物に対する貴婦人の礼をした。

「陛下!」

 エベラルドの叱責を意に介すことなく、彼女は続けた。

「お初にお目に掛かります。わたくし、アデライダ・ナルバエス・バランマスと申します」

 それを受けたハリエットは、同じように礼を返した。

「お目に掛かれて光栄です、異国の女王陛下。わたくしはハリエット・ホークラム。キャストリカ王国王立騎士団団長代理として、お話しさせていただきに参りました」

 アデライダはくるりと視線を回して、ライリーを見た。

「えっと。団長はこちら」

 本人がいるのに何故代理? と顔に出したアデライダに、ライリーは憮然とした。

 答えは簡単。ライリーにはハリエットと同じだけの結果を出せないからだ。騎士団は当然のことと誰も疑問に思わなかったことだが、改めて突っ込まれると複雑な気分になる。

 ハリエットは自分よりも小さな女王に柔らかく微笑みかけた。

「そうです。わたくし、夫を押し退けて前に出る悪妻ですの」

「素敵」

「アデライダ様!」

 エベラルドが怒声と共に立ち上がる。

 それに対して、アデライダも同じだけの声量で返した。

「来ないで! あたしが女王なんでしょう? ならちゃんと言うことを聞いて。みんな、エベラルドをこっちに来させないで」

 怒りを露わにするエベラルドを睨みつけてから、アデライダは再びハリエットに向かい合った。

「あなたに対する非礼をお詫びいたします、団長代理」

「ご夫君が勝手になさったことと?」

「いいえ! ごめんなさい。彼らが愚かなことをしないよう、わたくしがきちんと見張っておくべきでした。もう、こんなことはさせません」

「陛下にそれができますか」

 歳下の同性に向けて、ハリエットはあくまでも柔らかい口調で問いかけた。

「やります。わたくし達は、この国を取り返すことを決めましたから。それが女王の仕事だというなら、わたくしがやります」

「そうですか」

 ハリエットは静かに頷いて一歩退がった。

 その座り直すための予備動作に反応して、アデライダは引き返すために振り返ったが、思い直したようにもう一度ハリエットを見返した。

 金茶の双眸に長身の貴婦人の全身を映してから、彼女は周囲を見回した。

「わたくしも話し合いに参加します。でもここは怖いひとばかりで嫌。発言する予定のないひとは出て行ってください」

 その言葉は、バランマス側に向けられた。

 アデライダはエベラルドと睨み合い、もう一度言った。

「早く。武器を持ってるひとも出て行って」

 その場の全員の視線を集めて、エベラルドは溜め息をついた。

 彼は腰の剣を外して、静かに座っていただけの男に渡すと、彼を含むバランマス側の人間に退室を促した。

 ライリーもロルフに長剣を押し付ける。するとロルフも自分の剣を外し、後ろに並ぶ騎士に二本纏めて預けてしまった。その騎士も更に後ろに回そうとするものだから、ウォーレンに咎められてしまう。

「大隊長までにしとけ。残りは外で聞き耳でも立ててろ」

 舌打ちしながら退室する騎士団を見送ってから、改めて残った顔を向かい合わせた。

 キャストリカ側は、ハリエットとライリー、ウォーレンに四人の大隊長の七人。

 バランマス側は、アデライダ、エベラルド、グリフィスの他、デイビス、マーロン、ウィルフレッドの六人である。

 戦力を考えればバランマス側が圧倒的に不利だが、誰も不満は口にしなかった。

「よし。すっきりしたね。ハリエット様、……って呼んでもいいんだっけ?」

 アデライダは上流階級の作法に不安を覚えてライリーを見るが、彼はハリエットに答えを任せた。

「どうぞ、ご自由にお呼びくださいませ。異国の女王陛下」

 ハリエットは小首を傾げて、それ以上の歩み寄りを拒否した。

 アデライダはそれに気づかない素振りで、にっこりと笑顔を返した。

「ありがとうございます、ハリエット様。座りましょう。寒くはないですか? ライリーに寄りかかっていたほうが楽じゃないですか?」

 ハリエットの体調を気遣う言葉に、何も気づいていなかった騎士団はぎょっとした。

 ライリーは黙って頷くと、ハリエットの肩をそっと支えて座らせた。

「お気遣い、ありがとうございます」

 今度のハリエットの言葉は、先ほどよりも柔らかった。

「ライリー、ハリエット様は」

 ウォーレンの小声の問いかけには、ハリエットが自分で小さく答えた。

「お気遣いなく。だいぶ快くなっています」

「大きい声を出すのもしんどいし、わたくし達はこちらに座らせてもらいますね。エベラルド! 話の続きはこっちでしよう」

 怒りを隠すつもりのないエベラルドが、それでもハリエットに視線を投げると、立ち上がった。彼はグリフィスに手を貸そうとするが、億劫そうに首を振る老人に、自分だけでアデライダの隣の椅子に浅く腰掛ける。

 個人宅で談笑するような距離感だが、国同士の会談に相応しくない光景について言及する人物はいなかった。

 長卓の端と端で向かい合っていた両陣営の距離が一気に縮まる。

 卓の長辺に座るアデライダと、キャストリカ陣で一番近いライリーとの距離は、お互いが身を乗り出せば手に触れられるくらいにしか開いていない。

「……勝手なことを」

 隣に座り口中で毒づくエベラルドに向けて、ふん、と鼻を鳴らしてから、アデライダは改めてハリエットに向き合った。

「お話を聴かせてください」

 彼らの様子を冷静な目で観察していたハリエットは小さく頷いて、口を開いた。

「わたくしは再嫁先を求めている従妹を送ることで、エルベリーを納得させることができます。ただし」

「ただし?」

 アデライダの真っ直ぐな視線を正面から受け止めて、ハリエットは続けた。

「そちらには、条件を呑んでもらいます」

「あなたに対する手出しを控えた。それだけで充分だと思うんだが」

「話が進まない。エベラルドは黙ってて」

 一瞥もせずにアデライダが言うと、エベラルドは腰を浮かせた。

 それを阻止したのはマーロンだ。

 彼はエベラルドの左肩を斜め下方向に押しながら、椅子を強く蹴った。

 アデライダとエベラルドの間にできた隙間に、すかさずデイビスと共に滑り込む。

「てめえ」

「お静かに。……どうぞ、続きを」

 低く唸るエベラルドを見下ろして、マーロンはアデライダを促した。

 彼女は驚いて、睨むような視線の騎士を見上げた。

「……ありがとう」

「助かりますわ、マーロン様。異国の女王陛下、わたくしの望む条件とは、この国の共同統治です」

 想像もしていなかった言葉に、アデライダはきょとんとした。

「共同統治?」

「ええ。あなた方には、跡継ぎの王子がいらっしゃいますでしょう?」

「え、うん、わたくしの子ですか? 五歳の男の子がいます」

「可愛らしいのでしょうね。キャストリカにも、同じ五歳の王女がおりますのよ。きっとお似合いになられることでしょう」

 ハリエットの言葉を理解したアデライダは、ずっと目を細めた。

「うちの子のお嫁さんにしろという話? まだ五歳ですよ」

「その子を王になさるおつもりなのでしょう。今すぐにとは申しません。おふたりが成人なされたら婚姻を結び、共同統治者となっていただきます。今この場で、その旨書面にしてください。それが、わたくしがエルベリーを説得するための条件です」

「話にならん。キャストリカの血をバランマスに迎えるつもりはない」

 顔をしかめるアデライダの代わりに、マーロンとデイビスに視界を遮られているエベラルドが吐き捨てた。

「そうですか。ならば、わたくしがそちらに手を貸す理由はありませんね。ライリー、話は終わりました。子ども達を迎えに行きましょう」

「はい」

 素早く立ち上がったライリーはハリエットの手を取った。

 アデライダは、そんなふたりを縋るように見上げた。

「待って! 分かりました! 条件を呑みます!」

「アデラ!」

 エベラルドの叫びを無視して、アデライダは立ち上がった。

 マーロンとデイビスが、エベラルドの肩を左右から押さえて動作を阻む。

「でも書面を交わす前に、その女の子に会わせて。その子は、わたくし達からすべてを奪った憎い男の孫です。顔を見て、嫌だと思ったら拒否します。ふたりが成人したときに、どちらかが嫌だと言った場合も、その婚約は白紙に戻します」

 アデライダの必死の訴えに、ハリエットは余裕ある表情で頷いた。

「構いませんよ。この国の王室に我々の主君の血が残らないことが決まったら、そのときバランマスは再び滅ぶことになります。わたくしの曽祖父がそうしたように、今度はわたくしがバランマスを滅ぼすための図面を引きます」

「十二年後。俺はまだ戦える歳だ。そのときは約束を反故にする罪を、その命を以て贖ってもらおうか」

 長身のふたりに見下ろされて、アデライダは唇を一度強く噛んだ。

「早く。わたくしの息子の妻になるお姫さまに会わせてください」

 エべラルドは何かに耐えるように長く息を吐き、脚を投げ出した。

 投げやりな態度に見えた

「…………駄目だ。そんなものを待つ時間はない。もう、いい。分かったから、すぐに婚約誓約書の作成を」

 デイビスとマーロンは、女王の味方をするという口実の元で動いている。

 グリフィスには屈強な騎士からエベラルドを守る力はない。ウィルフレッドはここまで一度も口を開いていない。

 この場でエベラルドが何かを主張するのは不可能だった。

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