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仲間の過去

 廊下では、バランマスの兵が配置された合間にキャストリカの騎士が立ち、彼らの歩みに合わせて、順に胸に手を当てる騎士の礼をとる。

 ハリエットは傲然と顎を持ち上げ気味に歩いた。

 その右手を支えるライリーは、彼女に仕える騎士にも、対等な立場の夫にも、そのどちらにも見えた。

 ただひとつ確かなことは、キャストリカ王国最後の騎士団長とその妻が、この国の行く末を握っている、これからそれが決定するということだけだ。

 騎士団は彼らに敬意を表し、彼らに従うことをバランマス王国の生き残りを名乗る者達に示している。

 夫妻がバランマスに下ることを表明したならば、騎士団もそれに従う。

 もし今から始まる交渉が決裂し宣戦布告がなされたら、騎士団は一斉に武器を取りバランマスを排除するのだ。城門が開かれた今、それは難しいことではない。

 鬱屈とした日々を過ごしてきた騎士達は、今すぐにでも戦端が開かれることを望んでいた。ハリエットがそれを抑えてきたのだ。団長代理を名乗る彼女の意を汲んだ副団長と三人の大隊長が、配下の暴走を抑えてきた。

 そんな爆発でもしそうな空気を意に介すことなく、エベラルドは国王の使う会議室を交渉の場に選んだ。

 ライリーとザックは扉の前で待っていたウォーレンから外套を受け取り、その身に群青を纏った。

 エベラルドは長卓の上座に座り、対面の椅子をハリエットに勧める。

 椅子はたくさんあったが、キャストリカ側で腰掛けたのはハリエットだけだ。ライリー含む騎士団はその場に立って臨んだ。

 ハリエットの右後ろ、一番近くにはライリー。左後ろにはウォーレンが立つ。

 三人の後ろを、抜剣するための間隔を空けて己の立ち位置としているのは、ザック、ロルフ、ピートとニコラスだ。

 他にも壁側、扉の内外、廊下に、騎士が物々しい出で立ちでそれぞれ得意の武器を手にしている。

 バランマスの兵はその抑えた殺気に圧倒されながらも、エベラルドが指示した担当場所で感情を殺した顔をしていた。

 エベラルドから距離を取って着座するのは、謁見の間にもいた四人の貴族だ。

 見た目で判断すれば、七十代ひとり、五十代ふたり、三十代がひとり。

 そもそも半世紀前、キャストリカとバランマスとは隣り合う国同士交流も盛んで、先祖も同じくしていた。その見た目だけでは、どちらの国に源を持つのか区別は付かないのだ。

 ただそこに座る者の顔を、ライリーは見たことがない。キャストリカの貴族ではない。交流のあった国の要人でもないはずだ。

 彼らの後ろに立つ武装兵は四人。キャストリカ側から見て兵の右側にウィルフレッド、右端にデイビス、逆端にはマーロンが立っている。

 ふたりの大隊長は、騎士団とは別に個人としてエベラルドの下につくと表明しているのだ。

「ずいぶんと時間が経ってしまった。ご婦人の体調に合わせるのはこちらとしても負担が大きいのだが、まだあなたが代表を務められるのか」

 口火を切ったエベラルドに、ハリエットはにっこり微笑んだ。

 普段であれは花開くような、と形容される微笑だが、きつめに施した化粧のためか、ひどく攻撃的な印象を向かい合う者に与えた。

「まあ。わたくしの夫でしたら、いつまでも待ってくださるのに。器の問題かしら」

「……そうだろうよ」

 胸を反らすライリーのほうには視線を向けないようにして、エベラルドは適当に肯定した。

「おい、緊張感はどこへ行った。ライリーを引っ込めろよ」

 ピートの小声の文句は、逆効果だった。

「今更だろう」

 ウォーレンが言えば、

「諦めるなよ、お守り役。仕事しろ」

 向かいのデイビスが顔をしかめる。

「お守り役ってなんだ。俺はただの副団長だ」

「つまりお守り役だろ」

 ザックもなんとなく参加してみた。

 ライリーは素知らぬ顔をして、ハリエットはにこにこして彼らのやりとりを聞いている。

 エベラルドは分かりやすいおちょくりに反応を返さないよう無表情を保っているが、彼が拳を握っているのは卓の上だ。

 それまで沈黙を保っていたバランマス側の貴族が口を開いた。

「あなたは、オリヴィア王女の孫姫でしょう。こちら側に座るべき方ではないのですか。弟君は分かっておいでですよ」

 白髪の老人は、静かな声でハリエットに語りかけた。たしなめるような口調だった。

 相手が敵対する者であっても、年配者に対する敬意は無いものにはできない。

 ハリエットはわずかに睫毛を伏せる仕草を会釈に替えて首を傾げた。

「卿は祖母をご存知なのでしょうか。失礼ですがわたくし、そちらにお座りの方のことを存じ上げておりませんの。ご紹介くださいますか」

 エベラルドはちらっと老人を見てから、前に視線を戻した。

「グリフィス卿。父親はバランマス王国の侯爵だったが、彼が国王の側近だったために、家ごと王国と運命を共にした」

「オリヴィア王女殿下のこともよく存じております。あなたとよく似ていらした」

 エベラルドの紹介を受けて、グリフィスは目を細めてハリエットを見た。彼女を通して、遠い昔を思い出しているような表情だ。

「そうでしたか。祖母はずいぶん前に亡くなりましたが」

「存じております。わたしはその頃帝国で訃報を聞きました」

 グリフィスは穏やかな見た目通り、ゆっくりとした喋り方をした。

「帝国」

「ええ。あなたがどこまでご存知かは分かりませんが、少々昔語りでもしましょうか」

「……グリフィス」

 エベラルドが抑えた声で、隣に座る老人の名を呼んだ。

 ライリーとザックは、その様子を意外そうに見ていた。

 エベラルドの態度が、頭の上がらない年長者に対するものに見えたからだ。例えば長年彼の上官であったマーロンだったり、過去に何度も醜態を晒したことのある酒場の女将だったりに対するときのようだった。

「焦ることはありませんよ、エベラルド様。彼らにも自分達が祖国を失う理由を知る権利があります」

 穏やかに諭されて、エベラルドは顔をしかめながらも頷いた。

「手短に頼むぞ」

「承知しました。……わたしは、若い頃バランマス国王の侍従を務めておりました。そのため、晩年の王が身分の低い女との間に王子をもうけられていたことも存じておりました。王が斃され、ナルバエス王家の追放が決定したとき、その母子を連れて身を隠すことにしたのです」

「その子が女王の父親だ。表向きはグリフィスの子として、山で羊の世話をして暮らしていた」

 エベラルドが途中でせっかちに台詞を奪い、先を急がせる。

「なかなか大変でしたが、それなりに暮らしていましたよ。他の協力者と共に山に集落を造る者と、麓の廃村を利用して住む者とに分かれ、外界との中継地とした。そのまま二十年三十年と経ち、王子も立派な羊飼いに成長しました。このまま過去を忘れて暮らしてもいいのではないかと思っていたところでしたよ」

 隠された王子は山で妻を持ち、女児をもうけた。

 数年後に妻は病で儚くなり、彼は同じく夫を亡くしたばかりの女と再婚した。女は長男と、養子の男子のふたりを連れて再嫁し、間もなく生まれた子は女児だった。

 それから四年は穏やかな日々が続いた。

 隠れ住むナルバエス王家の末裔をキャストリカ国王の命令を受けた騎士団が襲うまでは、王子は妻とふたりの姫、ふたりの養子と共に幸せに暮らしていたのだ。

 だが、突然起こった襲撃により、王子とその長女を含む幾人もが、なす術もなく命を奪われた。

「エベラルド様は王子の養い子です。彼が二の姫を連れて逃げてくださったおかげで、ナルバエス王家の直系の血は繋がりました。わたしは他の仲間と共に、帝国に亡命していたバランマス貴族を頼りました」

 キャストリカは数十年の年月が経ってもなお、滅ぼした国の復活を恐れ、そのためにはわずかな芽すらも残す気はないのだ。

 失くした祖国を忘れかけていた山の民は、主君の血筋を生かすため立ち上がることを決意した。

 エベラルドは他国に渡った彼らに黙って、独断で騎士団を目指した。王子の養子が隊務で命を落とすことを恐れた彼らに反対されるのは目に見えていた。

「子どもだった俺と女王を見逃したのがアドルフだよ。見た目に似合わず、子どもには甘いおっさんだ。奴はすぐに俺に気づいたようだが、俺がキャストリカで成り上がるために入団したくらいにしか思っていなかったんだろうな。だからこうなるまで、俺の正体を黙っててくれたんだろうよ」

 騎士になった彼は順調に出世を重ね、国の中枢の情報に触れることも可能な立場を手に入れた。

 王宮の構造、王族の居住事情、城の警備体制、騎士団幹部の動き方。

 大隊長にまで昇り詰めたエベラルドにとって、王宮を攻略するのは実に容易なことだった。

 更にロブフォード侯爵が当日の王の動きを操り、細かく情報を流す役を担ってくれたおかげで、隙のない計画を立てることができた。

 その場にいた騎士は、ひと言も発することなくかつての仲間の過去を聴いていた。

 エベラルドは入団当初から優秀な男だった。逆境にも挫けることなく、ただひたすら真面目に職務をこなし、腕を磨いていた。私生活を揶揄されることはあっても、それを隊務に持ち込むことは決してしなかった。

 まだ小さな少年の頃から、彼は騎士団のためだけに生きているように見られていた。

 それは復讐のため、祖国を取り戻すためだったのか。そのためだけに、いつか倒すべき仇の前で膝を折ってきたのだろうか。

「バランマス滅亡当時を覚えているのは、わたしと他数人だけになってしまいました。ここに並ぶのは、亡くなった同志の子孫です。帝国で生まれ、肩身の狭い思いをしながら、いつか祖国を取り返す日を夢見て、今日この日を迎えました。エベラルド様に従う騎士も同じく、主人に従って異国に渡り苦しみながら生きた騎士の子孫です」

 帝国にもバランマスの生き残りの居場所はなかった。血縁者を頼りに辛うじて衣食住の面倒は見てもらったが、その状態が一年続き五年続き十年続き、彼らがバランマス貴族として生き続けようとするのに見切りをつけられ、帝国の隅に捨て置かれた。

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