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脱獄

「お願い、ライリー。エベラルドを助けて」

 暗い地下牢に現れたのは、小柄な若い女性だった。

 女性は格子を両手で掴み、床に直接座るライリーと視線の高さを合わせるためにしゃがみ込んだ。

 突然現れて意味の分からないことを言う彼女を、ライリーとザックは怪訝な目で見返した。

「……何をおっしゃっているのか分からないんだが。あなたはエベラルドと親しい方なのか?」

 自分達の敵なのかと低い声で問うた騎士に怯むことなく、女性は開かれたままの扉から一歩牢に入った。

「うわ、くさっ」

 慌てて離れる女性に、ザックが眉を吊り上げる。

「ぁあ? 何しに来たんだ、あんた」

「ごめんごめん。つい。ねえ、ライリー。それとあんたはザックでしょ。あたしのこと、覚えてない?」

 女性の言葉に、ライリーはザックを見た。

 エベラルドの交友関係なら、付き合いが長い分ザックのほうが詳しい。

「女官、て感じじゃねえな。田舎臭い。あれか、エベラルドに熱上げてた娼館の女か」

「……何。あいつそんなとこ出入りしてたの?」

「そういや、ここ数年は行ってねえな」

 エベラルドの女癖が悪かったのは数年前までだ。あの頃、目の前の女性はまだ子どもだったはずだ。娼婦とは考えにくい。

 今から何ヶ月か前、成長して大人になったベスのことも、ライリーは気づけなかった。

 エベラルドに対する悋気を見せる、数年前にはまだ子どもだった女性。

「あ」

 思い至って、ライリーは目の前の女性を凝視した。わずかに残っている記憶の少女と、特徴が一致する。

「……アデラ?」

「そうだよ。久しぶり」

 牢の中と外で、ふたりは互いの顔をしげしげと眺めた。

 ザックは首を捻っている。

「……ってエベラルドの妹? あのマルコスの」

「そうそう。まあザックのことはあたしもあんまり覚えてないんだけど」

 もう十年以上前になるか。ライリーは短時間ではあるがアデラと話をしている。比べてザックは、エベラルドに阻まれてろくにアデラの顔も見ていなかった。忘れて当然だ。

「何をしに来た。君はエベラルドの味方なんだろう。俺達が物騒なことを考える前に帰れよ」

「女相手に物騒なことなんて出来ないくせに。ねえ、お願い。話を聞いて。このままだとエベラルドが死んじゃうよ」

 アデラは必死に言い募るが、ふたりは顔をしかめた。

「俺達に頼むのは筋違いだ。君は兄さんが何をしてるか分かってないのか?」

「分かってるよ。ライリーよりずっと分かってる。だからお願いに来たの」

 ライリーとザックは顔を見合わせた。

「……聞くだけ聞こうか」

「ありがとう! うん、でもとりあえずここから出て身体を洗ってよ。鼻がひん曲がりそうだよ。エベラルドにバレなきゃ問題ないんでしょ。あいつ、今走り回って忙しくしてるから、気づきっこないよ」


 ライリーとザックは牢を出て、まずは最上階の窓から外の様子を観察した。

 王宮の城門に向かって行軍する軍隊が見える。王都の目抜き通りから続く隊列は、エベラルドの言う通り、王都に残った騎士団では太刀打ちできない数だ。

「あれはどこから現れたんだ」

「傭兵ですね。やっぱりエルベリーでしょうか」

 掲げる旗は見えてこない。どこの国、もしくは誰が雇ったのか、判断材料になるものは確認できなかった。

「……どうする、ライリー。出るか?」

 ザックは敵の存在を無視できない。裏切ったエベラルドを憎んでも、親しくしていた王都の住人が傷付けられるのを黙って見ていることはできないのだ。

 それはライリーも同じだ。

「向こうの雇い主を知りたい。もう少しここで見てみます。ザックは今のうちにミアのところに」

「いや。今から行っても、連れて帰ってやれないだろう。そっちはアルに任せる」

「……痩せ我慢」

「おまえが言うな」

 彼らは長期間じめじめした地下牢に入れられており、その間一度も身体を洗っていない。髪も髭も伸び放題で、ひと目で囚人と分かるふたりだが、見張りの兵が咎めることはなかった。

 彼らは無言で、アデラを敬う仕草を見せた。その彼女が連れているために、ふたりは無駄に戦う必要がなかった。

「ねえ、ふたり共、いい加減にしてよ。仲間のところに戻るにしても、臭いままじゃよくないでしょ」

 アデラは悪臭が届かない位置でげんなりしている。

「! 来た! あれは、」

 敵の使者だろうか。馬に乗る人物と徒歩の騎士がふたり、城門をくぐって真っ直ぐ城を目指している。

 三人の外套は、見慣れた群青色だ。

 あれは。

「…………おい、あれ。ライリー」

「……はい」

 ハリエットだ。

 ライリーがその姿を見間違うわけがない。

 髪が短い。腰を覆っていた豊かな金髪が、何故か肩に付かない長さになっている。

 婦人用のコットを着て背筋を伸ばし、脚を揃えて横乗りするハリエットの馬の手綱は、サイラスが引いている。最後に見たときと変わらず屈強な彼の、右腕の袖が不自然に短い。

 馬の後ろを歩く長髪の騎士、あれはアンナか。

 ライリーが囚われていた間、彼女達に何があったのだろう。

 最短距離で妻のもとまで走りたい衝動に駆られ、ライリーは窓枠から身を乗り出した。

 そのとき、馬上のハリエットが王城を見上げた。

 目が合った。

「!」

 ハリエットの顔が、花咲くようにほころぶ。

 窓枠を掴む手に力が入ったライリーの腰帯を、ザックが掴んだ。

「落ち着けライリー。おまえそのまま夫人に会いに行ってもいいのか」

 彼が三階から飛び降りるのを阻止するために、ザックは現状を思い出させた。

 自分の身体を見下ろして、ライリーは慌てて窓から離れた。

「アデラ、すぐにお湯の用意を頼む。いや、時間が惜しい。水でもいい。急ぎましょう、ザック」

「へいへい」

 ライリーに追い立てられながら、アデラは不思議そうに訊いた。

「……何を急に慌ててるの? あのひと誰?」

「ライリーの奥方だよ」

「ああ、例の金髪巨乳。実在したんだね。それで、ライリーはどうしちゃったの?」

「汚いとこ見せて奥方に嫌われたくないんだろ」

「……奥さんなんだよね? 結婚してだいぶ経つんじゃないの?」

「万年新婚夫婦だから」

「へええ。ライリーってそうなんだ」

 ライリーは大急ぎで全身を洗って服を着替えると、鏡の前で剃刀を握った。

「どうやって整えたらいいんだ!」

 今まで髭を伸ばしたことがないから分からないのだ。今のまま、伸び放題のままは汚いのは分かる。せっかく伸びたのだから、この機会を逃したくない。

 ハリエットに再会する前に、渋い大人に見えるよう、きちんと整えたい。あわよくば、惚れ直したと言われたいのだ。

「知らね。潔く全部剃れよ」

「うん。そのほうがいい。似合ってないよ、ライリー」

「俺は後からゆっくり整える」

 顎髭を引っ張るザックに、アデラが顔をしかめる。

「ザックも変だよ。なんなの、その髭への憧れ。エベラルドにもやめろって言ったのに、全然聞いてくれないの」

「なんでだよ。認めたくねえけど、あれはかっこいいだろ」

「浪漫が詰まってた」

「意味分かんない。どうでもいいけど、そんなにのんびりしてていいの?」

「よくない!」

 ライリーは断腸の思いで髭を剃り落とした。

 急いだためにまだ完全ではないものの、だいぶこざっぱりしたふたりは、今度はアデラを真ん中に横に並んで歩いた。というか走った。

 謁見の間に着いた。

 正面の大きな扉は開かれており、廊下には中に入り切れなかった騎士団がずらりと並んでいる。

 廊下のあちこちで、バランマスの兵が騎士団に取り押さえられていた。

「! ライリー! ザック!」

 ふたりに気づいた騎士が目を剥いた。

「しっ!」

 ライリーは慌てて、騎士達に静かにするよう合図した。

「……おまえら牢の中じゃなかったのか。なんでここに」

「ハリエットが見えました。エベラルドとの賭けより大事なので出て来ました」

 妻、敵への意地、騎士団。

 ライリーの中のあからさまな優先順位に、聞いた騎士は顔を引き攣らせた。

「誰がこいつを団長にしたんだよ」

「あなた方です。いいから黙って」

 騎士団の陰に隠れて中を覗くが、奥にいるハリエットの姿は見えない。

 代わりに、懐かしい声が聞こえてくる。

「わたくし、騎士団長代理として、キャストリカを代表して参りましたの。そちらの困り事を解決する代わりに、条件を呑んでいただこうと思いまして」

 傲慢な口調だ。間違いなく妻の声ではあるのだが、ライリーはこんな喋り方をするハリエットは知らない。

(侯爵夫人だ)

「分かった」

 諦めたようなエベラルドの声が届く。

 ライリーを始めとする騎士団は、固唾を呑んで事の成り行きを見守った。

 少し前までキャストリカを護る騎士だったエベラルドによって征圧された王宮。彼の命令に従い、人々を監視する異国の騎士。祖国を仲間の手によって滅ぼされた絶望感に、昏い目をしていた騎士団。

 すべてが覆された。

 たったひとりの貴婦人によって、希望がもたらされた。

「うそ。エベラルドが負けちゃったよ。あのかっこいいひと、ほんとにライリーの奥さんなの?」

「そうだよ。俺の自慢の妻だ」

「……昔、別に好きじゃないとか言ってたの言い付けてもいい?」

 ドヤ顔のライリーに、アデラが小声で提案する。

「! そんなこと言ってな……やばいぞ。隠れろ」

 室内で、休戦の宣言がなされた。緊張感が薄れて、ハリエットが安全に歩ける道を作るために、整列した騎士団が左右に分かれる。

 ライリーは踵を返してその場を離れた。ザックが咄嗟にアデラの腕を掴んで後に続く。

「え、何なに。なんで隠れるのよ。なんか今奥さんがエベラルドをやっつけてたじゃん。解決したんじゃないの?」

「何が解決だよ。あんなの、物理的な戦闘が化かし合いに変わっただけじゃねえか」

「いいことじゃない。殴り合いが口喧嘩になったってことでしょ」

 けろっとしているアデラを、ライリーは改めて観察した。

 黒に近い濃い褐色の髪はひとつに編んで、背中に垂らす一般的な婦人の髪型をしている。瞳は暗がりでも光る珍しい金茶色。じっと見ていると、落ち着かない気分になってくる。

 ライリーはなんとなく、魔女のようだと思ってしまった。

 彼女はエベラルドの妹だ。兄のことが好きなのだと、従騎士だったライリーに堂々と言っていた。

 アデラがエベラルドの味方であるのは間違いないだろう。

 だが、どうも言っていることがおかしい。

「アデラ。君はどういう立ち位置の人間なんだ。エベラルドの味方じゃないのか?」

「ん? そこもエベラルドから訊いてないの?」

 アデラはきょとんとして逆に質問してきた。

「俺達は、君がいることすら知らなかった」

 三人は元の牢屋に帰って来ると、鍵の掛かっていない扉を閉めた。

 アデラは中には入らず、来たときと同じようにしゃがみ込んで格子に指をかけた。

「そっか。エベラルドはまだ迷ってるんだね」

「どういうことだ」

 アデラは少しだけ視線を彷徨わせてから、咳払いをしてこう言った。

「あたしの本当の名前はアデライダ・ナルバエス・バランマス。この国の新しい女王様だよ」

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