今度の謁見は
報告を受けたエベラルドはいつものように二段高い位置にある王配の椅子に座って、謁見を申し入れた者を迎えた。
謁見の間では、彼に従うバランマスの兵が壁側に立ち、警戒にあたっている。デイビスとマーロンも左右に分かれてその端に並んだ。
かつてその容貌を薔薇に喩えられた貴婦人は、ふたりの騎士を付き従えてゆっくりと歩み入場した。
その姿はひどく歪であり、それが故にかその場にいた全員、彼女達から目が離せなかった。
貴婦人の髪の毛は長いものである。女性で髪が短いのは、幼い子どもか修道女、もしくは罪人と決まっている。
美貌に微笑を刻んだ彼女はそのどれでもなかったが、陽光を反射して輝く金髪の毛先は肩の上で揺れていた。
そこまで短い髪は、異形と言っても過言ではない。
彼女は驚く周囲の視線を受け流し、輝くその短髪を煌めかせ、誰にも真似できない優雅さで足を進めた。
彼女の左後ろに従う騎士のひとりは屈強な大男であるが、隻腕であることが異様なまでに彼に凄味を加えている。
右後ろは滅多に見ることのない女騎士である。栗色の長い髪をひとつに編んだ髪型は普通の夫人と変わらないが、帷子に群青の外套を纏った立ち姿にも静かな視線にも隙は見当たらなかった。
ハリエットは入室してすぐに足を止めた。
彼女はゆっくりと広い室内を見回し、わずかに首を傾げた。
「わたくし、キャストリカ王国王立騎士団団長ライリー・ホークラムの代理で参りました、妻のハリエットと申します。そちらはバランマス王国の王でよろしかったでしょうか」
「王配と思っていただければ。女王から全権を委任されています、エベラルド・ナルバエス・バランマスと申します」
淡々とエベラルドが答えると、壁側のデイビスとマーロンが目を見開いた。
エベラルドは驚くふたりに一瞬だけ視線を投げて、肩をすくめた。
「役者が揃ったようだし、まずは昔語りでもしましょうか」
ハリエットは首を振って、その申し出を拒否した。
「その必要はありません。バランマス国王の庶子が国境の山に隠し育てられていたことは聞いています。二十年前、王子と姉姫、養子のひとりがキャストリカの王に命じられた騎士に殺された。そうですね、アドルフ様」
そこまで一気に喋ると、ハリエットは深く息を吸い直した。
「……ああ。詳細を知らされていなかった俺は、そうと知らずに妹姫と養子のひとりを見逃したんだ。一度は忘れてしまおうとしたが、翌年新しく入った従者のなかに、生き残った養子がいて、エベラルド・ウッドと名乗っていた。俺は知らない振りをすることにした。あのときの妹を王に戴き、自分はその夫となることにしたか」
ハリエットとアドルフは、なんでもないことのようにエベラルドの半生を語った。
エベラルドは脚を組み、つまらなそうに頬杖をついてそれを聞いていた。
「簡単にまとめてくれるじゃねえか。もうちょっと情緒のある暴露の仕方はなかったのかよ」
「あら、ごめんなさい。あなたの人生に興味はありませんの」
艶やかに嘲りの笑みを浮かべるハリエットの言葉を聞いて、エベラルドは立ち上がって配下に腕を振った。
「俺はあなたの今後について興味がある。すべてご存知のようだ。我が国のために、その身を捧げてくれ」
バランマスの兵が一斉に動いた。
サイラスとアンナとが護るハリエットの周囲を囲む。
「遊びはここまでだ!」
サイラスが一喝して、左手で剣を抜いた。
それを合図に、音を立てて扉が大きく開かれる。
背後で起きたその動きに、ハリエットは反応を見せず、傲然とエベラルドを見返したままでいた。
よく訓練された騎士団が、副団長に従って入場し、無言のままハリエットの後ろに整列した。
彼女はこれ見よがしに肩の外套を払って見せた。
騎士団と同じ群青色が翻る。
エベラルドはすぐに兵を戻し、自分の元に集まらせた。デイビスとマーロンも、その末端に並ぶ。
ウォーレンは感情を殺した目で静かにそれを見ていた。
彼の代わりに、ハリエットが小首を傾げて言葉を重ねた。
「エベラルド様、人質を取って騎士団を従えようとなさったんですって? ずいぶんと杜撰な計画を立てられたものね」
「…………ああ。最初にうっかり王子の身柄を確保し損ねて、仕方なく。何故か近衛の腕が上がってたんだ」
「デイビス様のご指導のたまものですね」
ハリエットは微笑んで、敵側に立つデイビスを見た。
彼は無言で右手を胸に当てて頭を下げ、貴人からの賛辞を受けた。
「なんだよそれ。意味分かんねえ」
エベラルドの知る近衛騎士団は、平民出身の騎士と交わることは決してなかった。
「あなたがキャストリカを去られてからの、騎士団長の働きによるものです」
「……あいつの仕業か。それで、どうするんだ。スミスの娘とザックの嫁は見捨てるか」
「そちらはどうなさるおつもり? エルベリーが約束を果たせと攻めてくるのを、未だまとまらない国の武力を集結させて待ち構えてみますか? それとも、わたくしが解決して差し上げましょうか」
「あなたがその身を差し出すのではないなら、外の兵を貸してくださるのか」
「まさか。勘違いなさらないで。外の兵はバランマスの敵ですよ。あなたが一歩対応を間違えれば、一気に王宮に攻め込んできます」
ハリエットはおっとりした微笑を崩さないまま、エベラルドに見えない刃物を突き付け続けた。
「……ひとつ聞かせてくれるか」
「なんでしょう」
「そこまでして何故、夫と王宮を取り戻そうとしない」
「すぐに失うと分かっている国など、取り返したってなんの意味もない。そうでしょう?」
エベラルドの顔が初めて崩れた。今にも泣き出しそうに、顔全体が歪んだ。
それはほんの短い間のことだったが、ハリエットはもちろん、サイラスやウォーレン、騎士団の多くがその表情を見ていた。
エベラルドは溜め息をつき、腕の動きだけで兵を後ろに退がらせた。
デイビスとマーロンの立ち位置は、変わらずバランマス側で最もハリエットに近いところにある。
敵の首魁が腰の剣を近くの兵に押し付け、ひとりで前に進み出るのに合わせて、ハリエットも一歩前に踏み出した。
部屋の中央で、青い二対の瞳が交錯する。
エベラルドは自分より低い位置にある双眸を見据えたまま更に一歩前進して、ハリエットの細い顎を掴んで持ち上げた。
「……最後の王妹の孫姫。あなたが俺のものになって俺の子を産んでくれると言うなら、すべてが解決する気がしてきた」
繊手がひらめく。
ぱぁんっと乾いた音がその場に響き渡った。
ハリエットは赤くなった右掌の痛みはひとまず無視して、エベラルドの左頬の髭の下に手形が見えないだろうかと眺めてみた。残念ながら確認はできない。
彼女は息を吐き、冷たい声で言い放った。
「わたくしに触れる許可を与えた覚えはありません」
「……そうかよ」
「ひとの頬を張ったのは初めてです。手が痛むから、二度とさせないでくださいな」
「初物か。それは貴重なものをいただいた」
「気持ち悪い」
ハリエットはひと言で切って捨てた。
「それで? エルベリーに向かってくださるつもりがないなら、何をしに来た」
エベラルドが本題に入ると、ハリエットは大袈裟に驚いてみせた。
「最初に申し上げましたでしょう? わたくし、騎士団長代理として、キャストリカを代表して参りましたの。そちらの困り事を解決する代わりに、条件を呑んでいただこうと思いまして」
ハリエットの言葉に合わせて、サイラスはさりげなく剣の柄に手をかけた。その気になれば、彼は一瞬でエベラルドに肉薄し、帷子の存在も無視して生命を奪うことができる。
サイラスに視線を投げたエベラルドは、彼の間合いから一歩遠ざかった。
「…………分かった。お話を聴きましょうか」
エベラルドが促すが、ハリエットは眉をひそめて見せた。
「今ここでですか? いつまでわたくしを立たせておくおつもり?」
不作法を嘲る言葉に、エベラルドは肩をすくめた。
「これは失礼。育ちが悪いもので、気が利かず」
彼は十三歳から騎士団で育っている。
「騎士団では女性への気遣いを教えないのですか?」
「いいえ? きちんと教育してあるはずだが。マーロン?」
サイラスは敵側に立つ騎士に水を向けた。マーロンは長年エベラルドの上官だったのだ。
「俺は配下に必要な教育は施したはずだぞ」
エベラルドは下っ端然と端に立つかつての上官を忌々しげに睨んだ。
「あら。では育ちではなく本人の資質ということかしら」
「…………長旅でお疲れでしょう。部屋を用意させます。話は食事の後にしましょうか」
謁見の終わりだ。
一時休戦の宣言に、騎士団の先頭に立つウォーレンは目を瞑って静かに息を吐いた。
ぴりぴりした空気を払うように、ハリエットが声の調子を朗らかにした。それだけで、場の空気ががらりと変わる。
「まあ、お心遣い痛み入ります。そうしていただけると嬉しいです」
「食事が終わったら、お迎えに上がります。そこでお話を」
エベラルドはその場を支配するハリエットに苦々しげに歪んだ笑顔を見せた。
未だ敵対関係にあることに変わりはない両陣営の騎士まで、肩の力を抜いてしまっている。
つい先ほどまで、ハリエットが現れるまで、王宮の人間の感情はエベラルドが支配していたはずだ。
彼女が現れた。それだけで、人々はエベラルドの支配から逃れた。
みなが、進んで彼女に従うことを選んだ。
「ええ。ですが、その前に」
「なんでしょう」
ハリエットは部屋を見回し、その一点に視線を止めて、険しい顔になった。
謁見の間に入って初めての表情だが、エベラルドは過去に何度か、同じ場面を見たことがある。いつもライリーの隣で微笑んでいる彼女が厳しく接する相手は限られていた。
「ウィルフレッド! 出て来なさい!」
「……はーい」




