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再起のとき

 雪がちらつき、地面に積もり始めた頃に小屋を訪れた者があった。

 ジュードが慌てた様子で帰ってきてハリエットに隠れろと言うが、ひと間しかない小屋には身を隠す場所がない。

 子どもふたりを抱えて毛布を被るしかできることはなかった。

「嫁が流行り病で伏せってんだ。あんたも移ったら困るだろう。中には入るな」

 ジュードが外で訪問者を押し留める声がする。

 ハリエットは毛布を頭から被ったまま、息を殺していた。

 彼女を捜しているのだろうか。こんなところにまで、捜索の手は広がっているのか。

 外にいる訪問者の声はくぐもってよく聞こえない。この寒さで口元まで防寒布を巻いているのだろう。

「……そうだよ。まだ出血が続いてる。そっとしといてくれよ」

 血臭を指摘されたのか。しまった。処理が甘かったか。

「出てけって。放っといてく、……ああ? ああ、……助かるありがとう」

 ジュードが戸惑っている。

 間もなく扉が閉まって、外気が遮断された。

「……わたしを捜してたの?」

 おそるおそる毛布から顔を出すと、ジュードが頷いた。

「だろうな。子連れ金髪三十くらいの女、を見なかったか、だとさ」

「それ、もらったの? 今のひとから?」

 ハリエットは不思議に思って、ジュードが片手にぶら下げた兎を指差した。

「ああ。弱ってんなら喰わしてやれって。いかつい見た目の割にいい奴だったな」

 敵対する国にもそんな人間はいるのだ。逆に、自国にどうしようもない悪党がいたりもする。

(敵国? どこの国の話?)

 王宮にはバランマスの旗が掲げられているらしい。

 だが、彼の国は半世紀以上前に滅んだ国だ。ハリエットの先祖もバランマス人だが、その他の国民と同じく、キャストリカの民として生きてきた。

 今、王宮を占拠している人物は、どこから来たのだ。

 バランマス最後の王室ナルバエスの子孫なら、捜せば出てくる。ハリエット自身もそうだ。

 考えたくはないが、同じ祖先を持つウィルフレッドが担ぎ上げられている可能性もゼロではない。

 それともまさか、叔父が。ロブフォードを継ぎ損なって荒れた、父の弟。彼ならば、ハリエットよりも一代分血が濃い。リィンドール公爵夫人である叔母もそれは同じだが、公爵は現王室の継承権を持っている。旧王家を復活させるようなまだるっこしい真似をする必要はない。

 誰が王位を主張するにしても、ひとりでは何もできない。協力者はどこから現れた。

 今回の協力者と考えられているエルベリー? 

 あそこは金で傭兵を雇って戦わせている国だ。他国に派遣する兵力などあるわけがない。

「また何か難しいこと考えてんのか。程々にしとけよ。俺は外でこいつを解体してくるからな。さっきの奴が帰ってきたら困るから、ハティはしばらく外には出るな」

「分かったわ」

 兎と包丁を手に外に出るジュードに、ブラントがついて行った。

「僕も手伝っていい?」

「ああ。おまえ貴族の子の割に逞しいよな。このまま樵の子になるか」

「駄目だよ。僕は父上と同じ騎士になるんだから」

「そうかよ。もったいねえな」

 喋りながら外に出るふたりの後ろ姿は、本当の親子のように見えた。

 ソフィアはちょうど昼寝をしていたおかげで、先程は怖い思いをさせずに済んだ。

 ハリエットは温かい娘の横に再び横になった。

 もう何日も寝台で過ごしている。おかげで夜は変な時間に目が覚めるし、逆に日中に眠くなったりもする。

 あまりよくない傾向だ。このままだと、どんどん体力が落ちて、いざと言うときに動けなくなってしまう。

(いざというとき?)

 ハリエットが再び立ち上がらなければならないときとは、どんなときだろう。

 敵に見つかって逃げ出すとき?

 それはどうだろう。これ以上逃げ続けて子どもとジュードに負担をかけるくらいなら、潔くこの身を差し出すべきではないだろうか。

 幸い、ブラントは今の生活にあっという間に順応してしまっている。ソフィアもだいぶ慣れてきて、兄の後を付いて動き回るようになった。

 両親を失うふたりのことは、ジュードが育ててくれるだろう。

 ハリエットは十七で両親を亡くして苦労した。まだ幼いふたりはすぐに実の両親のことは忘れて、樵の子として暮らしていけそうだ。

 ぼんやりと考えるハリエットの耳に、息子の声が届いた。

「やめてーーっ」

 何かあったのか。

 ハリエットは眠る娘を毛布で隠して、コットの上に肩掛けだけを纏って寝台から降りると、外の様子を伺った。

「!」

 ジュードが男に頸を掴まれている。

 掴んでいるのは、見知った大男だ。

 ハリエットは咄嗟に外に飛び出た。

「サイラス様!」

「母上!」

 泣きながら走ってくるブラントを抱きしめた。ぎゅう、と縋りつくようにまだ小さな息子を抱きしめて、ハリエットは泣き笑いの顔になった。

 嫌だ。

 ずっと前にライリーが、自分以外の男の前で泣かないでくださいね、と真剣な顔で言っていたのに。ハリエットは、それに対してはい、と応えたのに。

 彼女は安堵の涙を必死でこらえた。

 サイラスはジュードの頸を左手で鷲掴みにしたまま、ハリエットを見下ろした。

「……ハリエット様」

「放してあげてください。そのひとは味方です。今まで匿ってもらっていました」

 頸が開放されると、ジュードは膝を突いて咳き込んだ。

 ハリエットが側に寄るが、彼は心配する手を振り払った。

「……大丈夫だ。大したことない」

 ジュードが素っ気ないのは昔からだ。ハリエットはあらそう、とあっさり手を引っ込めた。

 未だ険しい顔をしているサイラスは、彼女の足下を見咎めると、更に顔をしかめた。

「靴」

 慌てたせいで履いていなかった。靴下は履いたままだったために羞恥を感じることはないが、自覚すると冷えと痛みが襲ってくる。

 ふらりとよろけたハリエットを、サイラスが片手で支えた。

 苦虫を噛み潰したような顔だが、彼女には今更彼をおそれる理由はない。

「……ハリエット様、その血は」

「いい。そいつを貸せ。俺が運ぶ」

 血の気が失せたハリエットを、なんとか回復したジュードがひったくるように抱き上げた。

「……ごめんなさい」

「黙ってろ。ブラント、そのおっさんは悪い奴じゃないんだな?」

「サイラス様は優しいよ」

「ならいい。あんたもついて来いよ。ああ、その前にそれ、皮剥いどいてくれるか。まだ途中だった」

「……分かった」

 ハリエットは再び寝台に横たえられた。

 血を拭き取った布は、ジュードが手早くまとめて持って出て行った。

 彼は自分の妻の世話すら、ここまで焼いたことはないはずだ。

 ぶっきらぼうでも、俺だってロブフォードの民だ、おまえのためならなんでもしてやる、と言ってそのとおりにしてくれている。

 この小屋に着いて間もない頃から、ハリエットの出血は続いている。

 腹を抱えて倒れたハリエットの出血量に驚いたジュードが、すぐに産婆を呼んで来た。

 子が流れたのだと、産婆は言った。

 よくあることだ。出血が止まるまで安静にしていれば、そのうちまた元気な子を産める。

 穏やかな声で産婆は労ってくれたが、ハリエットはそれ以来ずっと寝たきりだ。

 慣れない環境。夫の安否。弟の裏切り。祖国の行く末。近隣国の動き。

 愛する夫の子ども。

 何を考え、何を想えばいいのか分からなくなって、ハリエットはずっとぼんやりとしていた。

 だがもう、目が覚めた。

 サイラスの姿を見て、彼の視線に射抜かれて、ハリエットは立ち上がり方を思い出した。

 そのていたらくはなんだ、小娘。

 なんて、視線だけで気持ちを伝えてくる、今も昔も憎たらしい男。

 ハリエットはかつてこの男の厚意を跳ね除けた。だから今更、彼に弱った姿を見せるわけにはいかないのだ。

「サイラス様」

 ハリエットは寝台の上で身体を起こし、壁に寄りかかった体勢で巨躯の騎士を迎えた。

 だらしなく見えても仕方のない体勢だったが、サイラスはすべてを睥睨する王者の姿をそこに見る。

 サイラスはハリエットの前で膝を折った。ひざまずき、その場で誓いの言葉を述べた。

「ハリエット様。俺があなたの剣となり、あなたの望みを叶えます。どうぞ、ご命令を」

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