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捜索

 常緑樹の葉が白色に染まっている。

 サイラスの口から出る息も白い。彼は防寒のために巻いた布を口元まで引っ張り上げた。

 珍しく取り乱していたハリエットの侍女は、王都まで使いに出した。騎士団もそれどころではないだろうが、今回の王宮占拠と無関係な話ではない。どこでどう影響するか分からないのだ。情報を共有しておくのは早いほうがいい。

 そうアンナを説得して、なんとか頷かせた。

 サイラスの大きな身体は隠しようがない。役割を交換して目立つ彼が王都に行けば、ハリエットの所在不明が敵に漏れてしまう。まだ敵の手に落ちたと決まったわけではない。サイラスがハリエットを傍で護っているのだと思わせておいたほうがいいような気がした。

(俺も冷静ではなかったようだ)

 サイラスが子連れの金髪女を見なかったと訊いてまわれば、そっちのほうが人の記憶に残りやすいと、普通に考えれば分かりそうなものだった。王都から近いこの地でそんなことをすれば、敵の耳に入るのも時間の問題だ。

 ハリエットの騎士になりたいと強く願った過去が、己の欲望を優先させてしまったか。

 役割分担を間違えたと後悔しても遅い。

 こうなったら、敵より早くハリエットを見つけ出すことに集中するより他ない。

 サイラスは宿に戻る時間すら惜しんで、ハリエットとその子どもを探し続けた。暗くなったら、雪と風さえ避けれさえすれば死ぬことはない、と岩陰や僅かな洞穴に巨躯を押し込んで目を瞑った。

 馬は子どもふたりの移動のために貸した。七歳のテオは赤子の頃から馬に乗せている。愛馬もテオのことは覚えていて、幼い子だと馬鹿にすることなくよく従った。

 子どもには大きすぎる馬だが、乗馬に慣れた少年ふたりのことだ。信用して預けて見送ったのだ。

 歩きながら食べる食糧が尽きそうになったら目についた動物を狩り、雑に捌いて火を通し、また歩きながらかぶりついた。

 そうして幾日経っただろうか。

 アンナが王都から戻ってきた。

 ハリエットの居場所の見当がついた、何箇所かあるため、手分けをしようと手書きの地図を差し出してくる。

「アドルフ様、ハリエット様はおそらく男に匿われています。その者は死なない程度でしたら痛めつけて構いませんので、どうぞ遠慮なさらず」

「……どういう人物なんだ」

「無礼な男です。ハリエット様に失礼を働いていなければいいのですが」

 なんだそれは、と思いながらも、サイラスは教えられた場所に向かった。

 行く先の当てがあると、脚の動かし甲斐があるというものだ。

 彼は目的地の決まった旅に感謝し、再び歩き続けた。

 

 渡された地図の示す場所には、小さな小屋があった。

 樵の家だろうか。村には所属しているのだろうが他の家から少し離れて建っており、森に飲み込まれかけている。

 特に目印があるわけではない。目的地は隣の村の可能性もある、とサイラスは慎重に粗末な小屋の戸を叩いた。

 何度口にしたか数え切れない、子連れ、金髪、三十歳ほどの女を見なかったか、との質問をした。

「さあ。知らないな。女房に逃げられでもしたか」

 これまで何度も聞いた答えが返ってくる。

 男の頭越しに小屋の中に視線を投げると、粗末な寝具にくるまる人物がいた。

「嫁が流行り病で伏せってんだ。あんたも移ったら困るだろう。中には入るな」

 突然の来訪者から妻を守ろうと、男がサイラスの胸を押した。

 この大男に向かってそんなことができる人物は多くない。なかなかの度胸だと、敬意を表してサイラスは一歩退がった。

「余計な世話とは思うが、血臭がする。子ども絡みか」

「……そうだよ。まだ出血が続いてる。そっとしといてくれよ」

 生まれる前の我が子を二度喪った過去のあるサイラスは、痛ましい顔になった。

 流行り病が、流れる原因をつくったのか。子を流した哀しみが病を呼んだか。どちらにせよ、彼女は今、心身の傷みと闘っている最中なのだ。

 何か助けになってやりたいが、今は時間がない。持っているのは、狩ったばかりの野兎一羽だけだ。

「もういいだろ。出てけって。放っといてく」

「今はこれくらいしかないが」

 そう言ってサイラスは、男に向かって兎を差し出した。

「ああ?」

「弱ってるなら喰わせてやれ」

 男は虚をつかれたような顔をして、サイラスに対する敵意を消した。

「ああ、……助かるありがとう」

 サイラスは小屋を後にした。

 元々、このような粗末な小屋にハリエットがいるとは思っていなかった。

 彼女は生まれながらの貴族だ。

 かしずかれることに慣れ、質素な暮らしをさせて申し訳ないと夫が情けながっていた時代にも、喰うに困ったことなどないはずだ。家の中で凍死の心配をする人間がいることなど、彼女は知る機会がないまま生きていく。

 そうあるべき女性なのだ。

 隣村に行く前に、念のため村でも少し聴き込みをしていくかと、道行く人になるべく穏やかに声をかける。

 金髪はいるが男だ。子連れの女と言えば、そこの樵小屋の男が、ついこの間子連れの女と所帯を持ったらしいがな。子どもはたまに見るが、女はずっと臥せっているらしい。流行り病でなければいいが。

 なるほど。妻に近寄らせたくないために余所者のサイラスには明かしたが、近所の人間には流行り病であることは伏せているらしい。村八分にされないためには仕方ないことなのだろう。

 サイラスは樵の夫婦に同情しながらも村を一巡し、求める情報は得られそうにない、と諦めて隣村へ向かう道に向かった。

 なんの気無しに樵の家の方向を見ると、男が家の外で作業をしているところだった。

 渡した兎を捌いているのか。男の陰に幼い子どもが見える。

 村人の話によると、妻の連れ子という話だった。病の女の看病をしながら、子どもの面倒もひとりで見ているのか。


 テオと同じ年頃だろうかと、サイラスは目を細めた。

 が、すぐにその目は見開かれた。

 憤怒の感情が爆発する。

 サイラスは強く地を蹴り、瞬く間に父親面をした男に肉薄した。

 男は驚き、持っていた包丁を大男に向けるが、そんな得物で敵うわけがない。

 サイラスは包丁を叩き落とすと、一本しかない腕で男の頸を掴んで木の幹に押し付けた。

 抵抗するすべを失った男に、彼は低い声で問うた。

「ハリエット様をどこへやった」



「ただいま!」

 暗かった小屋が、急に明るくなった。

 扉を開けて勢いよく飛び込んでくる幼子の存在が、母親に力を与えてくれる。

 ハリエットは粗末な寝台から身を起こして、子ども達を抱き締めた。

「おかえりなさい。薪を拾ってきてくれたのね。ありがとう」

 母の膝によじ登る権利は妹に譲って、ブラントはハリエットを見上げた。

「母上大丈夫? まだ寝てていいよ。ソフィアは僕が抱っこしてあげるから」

 ブラントはよいしょ、と妹を持ち上げた。

「ありがとう、ブラント。大丈夫よ。そろそろご飯を作りましょうか」

「いい、俺がやる」

 ハリエットが立ち上がると、子ども達の後から入ってきた男が竈の前を陣取った。

「やるわよ。わたしだって結婚したばかりの頃は厨房に立ってたのよ」

「ハティの飯は不味い」

「失礼ね。夫は美味しいって食べてくれたわ」

「おまえの夫の噂は聞いてる。おまえが出せば腐った物でも笑って喰うような男なんだろう」

「……腐った物なんて出したことないわよ」

 言い返しながらも、ハリエットは仕方なく引き下がった。

「まだ具合がよくないんだろ。おまえに何かあったら俺がアンナに殺される。いいから横になってろ」

「……ありがとう。そうするわ」

 再び寝台に横になると、ハリエットは毛布を首まで引き上げた。

「ははうえ? 大丈夫?」

 ソフィアを胸の上に載せても負担に感じない程度には身体は回復している。ハリエットは娘の頭から背まで撫でて微笑んだ。

「ええ。ソフィアを抱っこしてたら温かいもの」

「ほんとう? じゃあいっぱい抱っこしていいよ」

 ふふふ、と笑っていると、先月耳にした噂は何かの間違いだったのではと思えてくる。

 騎士団長が、王宮を占拠したバランマスの子孫に捕らえられた。

 生死は不明。他に数名の幹部も一緒とのこと。

 ここは王都から馬で一日の距離だ。

 キャストリカ国王が斃されたという噂は早い段階で広まっていた。距離が近い分影響を受けることを恐れて、王宮の情報は早く正確なものが市井にも広がる。

 ひとつの国がなくなった。それにはおそらく、弟のウィルフレッドが関わっている。

 弟が、夫を拘束している。それならまだいい。すでに殺してしまっているかもしれない。

 ハリエットには何もできない。

 バランマスはハリエットを捜している。理由を想像することはできるが、定かではない。

 ウィルフレッドの関与を疑ってから、ハリエットは子どもを連れて姿を隠した。護衛の青年を遣いに出して旧知の男をロブフォードから呼び出すと、山の麓にある小屋に滞在を決めた。

 ロブフォード侯爵家の持つ領地のひとつにある小屋で、ハリエットも存在は知っていたが初めて訪れた。

 男の名はジュード。ハリエットの幼馴染である。

 昔から領主の娘であるハリエットに横柄な態度を取っているが、彼女はそれを許してきた。アンナが時折殴り飛ばしているが、ジュードはあまり気にしていない。

 身を隠すために、咄嗟に思い出したのが彼の存在だ。ジュードなら信用できる。

 ホークラムからの護衛は家に帰した。敢えて行く先は教えなかった。彼の身の安全のためにも、そのほうがいい。素知らぬ顔で帰り、日常を過ごせと言い含めておいたのだ。

 ここが見つかる心配は少ない。

 樵を生業とするジュードがたまに利用している小屋である。ウィルフレッドも正確な場所までは知らないはずだ。

 近くの村の住民には、ジュードが王都に住んでいた母子と所帯を持つことにしたと説明してある。物騒な情勢から、王都から流れてくる者が珍しくなかったこともあり、彼らはあっさり信じたようだ。

 ハリエットと子ども達は、そうして逃亡からひと月を数えても、小屋で生活していた。

 粗末な造りの小屋では、夜には子どもを真ん中に寄り添って、四人で体温を分け合わないと眠れない。

 子どもよりもハリエットが先に凍えそうになり、幾日も経たぬ頃からジュードの腕の中で眠るようになった。

 抵抗を感じたのは初日だけだ。全身を人肌に包まれていないと、夜の寒さに耐えられない。夫への罪悪感には蓋をすることにした。

 幼い頃から知る彼は藁と布をあるだけ掻き集め、脆弱な彼女を抱きしめて寒さから庇ってくれた。おかげでハリエットは毎朝目覚めることができている。

 穏やかな日が続くと、ふと夫の存在を忘れてしまう瞬間がある。

 ハリエットですらそうなのだから、このままだと幼い子ども達は本当の父親の顔を忘れてしまう。

 そんな日には彼女は、子ども達とライリーの話をした。

 ブラントは父の武勇伝を喜んで聴きたがり、またハリエットが知らなかった男同士の秘密をこっそり喋った。

 ソフィアは父の不在をどう思っているのだろう。元より王都と領地とで離れて暮らす期間が長いのだ。少し前までは、久しぶりに会うたびに人見知りして泣いていた。

「ちちうえ、会いたいねぇ」

「そうね。早く会いたいわね」

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