昔馴染みのふたり
なんなんだ、この女は。
ホークラム家を引っ掻きまわして、アルの主人一家の予定を大幅に狂わせた。
何が情けだ。わざと意味深な言葉を使って、疑心暗鬼にさせるつもりだったのか? こいつも兄同様、ライリーを狙っているのではないのか。
エイミーは苛々しているアルの様子を気にしつつ、ベスの隣を歩きながら、明るく話しかけた。
「可愛いね、赤ちゃん。いいなあ、あたしも欲しい」
「君はその前に、父親になってくれる男を探さないとだろ」
「うるさいな。ほっといてよ」
アルはライリーに命じられて、ベスとエイミーを自宅まで送り届けることになった。
エイミーがベスの家まで付き合うと言うので、先に王宮とは反対方向にあるベスの自宅に三人で向かっている。
ベスの嫁ぎ先は鞣し職人の家だという。鞣し職人が店舗を構える通りは、王都の端にある。
長い時間歩く必要があるため、エイミーは重い空気のまま歩幅を合わせているのが苦痛だった。なんとかベスが明るくなるような話題に持っていこうとしているのだ。
そんなエイミーの気持ちなどお構いなしに、アルはそっぽを向いている。
「ふたりは、恋人なの?」
遠慮のないエイミー達のやりとりに、ベスは首を傾げた。
「まさか!」
「冗談でもやめてくれ」
ふたりの抗議の声が重なった。
「……こっちの台詞よ。違うの、アルとは子どもの頃お隣さんだっただけ。弟みたいなものなの」
「何度も言ってるけど、僕のほうが歳上だ。兄の間違いだろう」
「ちっちゃいときにサバ読んじゃっただけでしょ。あんた絶対まだ十九歳よ」
「勝手に決めるな」
「……仲がいいね」
どこが⁉ と言ってしまったら、また同じ話になってしまう。エイミーは話題を変えることにした。
「仕事先のご主人に見初められて結婚って素敵だよね。ねえ、旦那さんってどんなひと?」
ベスは驚いたように軽く瞠目してから視線を少し彷徨わせ、結局は我が子に向けることに決めた。
「どんな、と言っても。こちらの方や、騎士の旦那さまのような素敵なひとではないの。年齢も倍、離れているし」
エイミーは言葉に詰まった。
結婚の話、恋の話は若い女性ならみんな喜んで乗ってくれると思ってしまっていた。
皮をなめす職人は、エイミーの母の実家の靴職人には欠かせない大事なひと達だ。だけど靴屋は、鞣し職人の近くに店舗を構えようとはしない。悪臭がひどいからだ。
ベスにもそのにおいは染みついていて、だから彼女は何度促されても、頑としてホークラム家の居間には立ち入らなかった。
鞣し職人の息子には、嫁の来手が少ない。彼らはいつも徒弟不足と後継者問題に頭を抱えている。
そのため孤児であるベスでも、雇ってもらうことができた。子どもの頃から働いて、歳頃の娘になると、親方から中年の息子の嫁になってくれと言われた。
ベスに頷く以外の選択肢はなかっただろう。
「大人なんだ。アルと違って」
エイミーはなんとか笑顔を保ったまま言った。
「そう、ね。確かに、私よりもずっと大人」
「優しい?」
「雇われていた頃から、殴られたことはないかな」
「そっか」
「私はろくに字も読めないし、言葉もよく知らない。そのことでよく呆れられてはいるけど、折檻をされたことはないわ。多分、私には過ぎた夫」
「いいひとなんだね」
「私、八年前旦那さまに捕まっていなかったら、きっと夜の街に立っていたと思うから。だから今の生活がとっても大事で、幸せ」
ベスは穏やかな表情で、腕の中で眠る我が子を抱え直した。
行く先から、こちらに向かって走ってくる男の姿が見えた。帰りの遅い妻子を心配して迎えに来た鞣し職人だ。
エイミーは頭を下げて夫と帰っていくベスに手を振って、アルとふたり、元来た道を戻っていった。
「旦那さん、うちの父さんと同じくらいかな」
エイミーは、親子ほど歳の離れた男に嫁ぐというのはどんな気持ちだろうと想像してみた。
スミスは四十二歳だ。職業柄、若い頃と変わらない肉体を維持してはいるが、ここ数年は繁忙期には腰が痛いとか膝が痛むとか言うようになった。まごうことなきおじさんだ。
十代の女の子が、倍の年齢の男性に恋をすることは難しいのではないだろうか。
もしスミスと同年代の男性に嫁げと言われたら、エイミーなら絶対に嫌だと暴れる。
ベスはライリーとアルを素敵なひと、と言った。同じ年頃のアルと恋人同士のようだ、とエイミーを見た目に、隠しきれない羨望が見えた。
孤児であるベスを助けるつもりもあったであろう婚姻の申し入れをした鞣し職人は、夫というよりも娘を心配する父親のようだった。
優しい夫と可愛い子どもとの暮らしが幸せだと、自分に言い聞かせるようにして生きるベスは、とても強くて賢いひとだ。
エイミーがその境遇を憐れむことは許されない。それはひどく不遜で失礼なことだ。
ベスの夫の話を聴いて、一瞬動揺してしまったことをエイミーは必死で隠したが、彼女に気づかれていなかっただろうか。
なんて恥ずかしいことを考えてしまったのだろう。かわいそう、なんて。
「エイミーは歳上好きなんだろ」
「ライリー様はまだ二十七歳でしょ! 話が全然違うわよ」
「でも意外だったよ。君のことだからまた『親が死んだからって卑屈になりすぎ』ってぶちかますかと思ってた」
「そこまで無神経になれないよ。ベスはあんたと違って、お腹を空かせて掏摸をするくらい追い詰められてたんだから」
「……まあね。僕も本当なら、彼女みたいになってたかもしれない」
エイミーは遠い目をするアルの背中を思い切り叩いた。
「ライリー様に拾われてよかったね!」
「そうだね」
アルはつんのめりながらも、いつも元気な昔馴染みの娘に苦笑した。
「早く帰ろうよ。家まで送ってくれるんでしょ?」
「久しぶりに競争でもする?」
「もう勝てっこないわよ。なんであんたいつまでも従者やってんのよ。父さんも嘆いてたわよ」
「そうなんだよね。もう背は追い越したんだから、早いとこ決断しなきゃだよね」
アルは小さく呟いて、自分よりも指一本の太さ分だけ背の低い女性を横目で見遣った。
「え? なに? 背がなんて?」
「別に」