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消息を絶った家族は

 不気味な視線を避けてハリエット達が王都を出発したのは、国境に向かう騎士団の出陣式の三日前のことだった。

 初日に取った宿で、夜ソフィアが体調を崩した。

 今回は王都滞在も短く、行きの疲れが取れないうちに、とんぼ返りのようにして再び旅路に就くことになった。大人でも疲労が溜まってしまう行程だ。まだ三歳のソフィアが倒れるのも無理はない。

 娘の発熱が治まるまでここに滞在する、とハリエットが宣言した。

 それも当然、と一行は一泊の予定を三泊に延ばした。

 四日目の朝に平熱に戻ったソフィアの体調を気にしながら、馬車に揺られてゆっくりとホークラムを目指した。 

 東の国境では戦端が開かれようとしているのだ。治安が悪化する懸念がある今は、可能な限り旅程は短いほうがいい。

 予定よりも長い旅程となってしまったが、歴戦の戦士であることが明らかなサイラスの存在のおかげか、普段よりも平穏なくらいの旅路となった。

 彼は片腕が不自由であることで却って凄味が増すようで、途中立ち寄った街でも、彼らに悪意どころか善意でもって近寄る者すら稀であった。

「みんな、サイラス様を怖がってるね」

 五日目の宿に入ると、ブラントが不思議そうに言った。

 彼は道中、サイラスを見上げてぎょっとする人々をきょとんとした顔で見ていた。それが何度も繰り返されるので、サイラスが傷付いてはいないか心配になってきたのだ。

「お父さん、強いから」

 テオが自慢するようにそう答える。

「でも優しいのに。僕の父上も強いけど、誰も怖がったりしないよ」

 ライリーとサイラスとでは見た目が違う。とはあえて誰も言わなかった。

「ブラント様は嬉しいことをおっしゃる。いいのですよ。俺が怖がられていれば、悪漢も近寄って来れないのですから」

 ふうん、と言ってからブラントはうんと顎を逸らしてサイラスを見上げた。

「僕はサイラス様、大好きだよ」

「ソフィアも!」

 サイラスは片腕で代わる代わる子どもを抱き上げた。

 その日の夜は、移動で疲れた子ども四人をひとつの部屋に寝かせた。ソフィアの乳母も同じ部屋の長椅子で横になった。

 子どもが寝る部屋にはホークラムの青年ふたりを見張り役として、窓の下と扉の内側で寝かせることとした。

 隣に借りた部屋に集まった保護者三人は、寝支度をしなかった。

 反対隣には、ハリエット達の行く先から来た家族連れがひと組泊まっているのを確認している。

 靴を履いたまま、旅装も解かずにハリエットは寝台に腰掛けた。

 サイラスとアンナは窓際と扉の前にそれぞれ立ったままだ。

「ブラント様はさすが騎士の子だな。周りをよく見ておられる」

 街に入ってしばらくすると、サイラスを恐れて目を逸らすどころか、じっと見つめる人物がいたのだ。ブラントはそのことに気づいたせいで、対照的に友人の父を避ける人々が気になりだした。

 微妙に視点がずれているのも父親譲りと言えるかもしれない。

「王都を出たときには、いませんでしたよね」

 アンナが記憶を辿りながら、自分の感覚の答え合わせをサイラスに求める。

「ああ。俺が気づいたのはブラント様と同じ頃だと思う。宿に入る少し前だ」

 街に入ると宿に荷物を置いて、一度外に出た。そのとき、アンナは外套の頭巾を被って雑踏に紛れた。

 少し時間を空けて、ハリエットも同じく髪の毛を隠してからアンナとは別方向に進むサイラスの隣を歩いた。

 子ども達は宿で護衛役と留守番である。

 どちらにも、視線はついて来た。

「わたくしについて来たのは、ひとりしか分かりませんでした」

「いや、最低でもふたりいた。窓からよく見えた。こちらにもふたりだ」

「最低四人。散らばって逃げられると面倒ですね」

 サイラスはもちろん、アンナも荒事に対処する術を持たないハリエットも、落ち着いたものである。

「ふむ。今夜のうちに片をつけて行きたいな」

 サイラスが言うと、ハリエットが首を傾げる。

「囮が必要ですか」

「やめてください。ライリーが知ったらまた大騒ぎをする」

 そんなこと、と言いかけたが、ハリエットは口をつぐむことを選んだ。否定できないと思ったのだ。

「旦那さまには秘密にしておきましょう。わたくしがハリエット様と行きます。若者を走らせて全員捕らえましょう。アドルフ様には指揮をお願いいたします」

「いや、危険だ。俺が夫人と行く」

「アドルフ様相手ですと、遠慮なく飛び道具を使われてしまいます。わたくしなら髪を隠せばハリエット様がどちらか分からなくなりますので安全だと思います」

 それも一理ある、とサイラスはアンナの案を採用した。

 翌朝、両手を後ろで縛られた男が五人、街の自警団の詰所前に転がされていた。全員が片脚の骨を折られており、しばらくは自力で歩くことは不可能であることが一目で分かる有様だった。


 一行は可能な限り先を急いで、当初の予定よりも四日遅くホークラム子爵領に到着した。

 サイラス親子も、安全が確認できるまでしばらく滞在することにした。

 稀に見る巨漢に領民は驚いたが、自称ホークラム騎士団の青年が懐き、幼い子どもが高い肩車にはしゃぐ姿を目撃するうちに、彼は領主さまのご友人のいいひと、認定されていった。

 彼らの到着翌日、王宮占拠の噂がホークラムにも届いた。

 事が起きてから、三日しか経っていない計算だ。

 街道を整備した効果がこんなときに表れるのだ。人と物の行き来が盛んになったため、王都から遠く離れた領地でも情報が届くのが異様なほどに早い。

「それが原因か……!」

 サイラスは遊んでいた子ども達から離れて、唯一動く左の拳を握り締めた。

 王都でホークラム一家に向けられる視線。当初は騎士団長の家族を狙うものだと思われた。

 事件に巻き込まれるのを避けるため、ライリーの家族は領地に帰ることにした。

 ところが道中、王都で感じたものよりも更に明確な目的を持つ視線が現れた。

 その視線をおびき寄せ、サイラスが締め上げたところ、彼らはこう言った。

「ホークラム夫人を攫うよう命じられた。雇い主は夫人の身柄と引き換えに、何やら取り引きをしたいらしい」

 狙いは騎士団長の家族、ではなく、ハリエット本人だったのだ。

 サイラスは古い記憶を頭の奥から引っ張り出してきた。

「今回の戦争の相手はエルベリーだ。あそこの大公は、夫人にご執心だった。そうだな?」

 ハリエットが侯爵夫人と呼ばれていた頃だ。当時はまだ一公子でしかなかった現大公は、キャストリカの夜会に何度も出席していた。

 数多くいた侯爵夫人の信奉者のなかでも、特に積極的だった男のうちのひとりだ。

 相手にするのが面倒になったハリエットが、王の警護役として立つサイラスにさりげなく水を向けてきたことがある。サイラスは静かに公子を見下ろすだけでよかった。それだけで公子は怯み、彼女は視線だけで感謝を告げてきた。

「ええ。そうでした。妻子がある身で、とハリエット様がよく罵っ……困惑しておられました」

 アンナも夜会の帰り道での主人の様子を思い出した。

「今王宮を占拠している輩は、騎士団を国境に引き留めておく見返りに、エルベリーに夫人を渡す約束をしたんだろう」

 そこで、ハリエットの身柄を確保しようと動き始めた。

 早くから動けば、必ずライリー、つまり騎士団の妨害が入る。そうならないように、騎士団が王都を離れてから、動き始めた。

 敵の誤算はサイラスの存在だ。王都にいる間から様子見を始めたために警戒され、強力な護衛が付いたことで、拉致に失敗した。

「そんな。一国の大公が色恋を理由に、他国の国盗りに手を貸しますか?」

「隠し姫の血が必要なんだろう。エルベリーの大公は庶子だ。昔エルベリーの姫が輿入れしたバランマスの血を引く夫人との間に子ができれば、次の大公の血の正統性を主張する材料になる」

 ハリエットに流れるエルベリーの血はだいぶ薄くなっているが、あまり濃くては今度は結婚の障害になる。

 分かれて薄まった大公家の血を再びひとつにするためには、ハリエットの持つ血がちょうどいいのだ。

「そんなことのために」

「エルベリーにとっては重要なのだろう。近頃後宮を作ったのは、夫人を迎える準備だったんじゃないか」

 ぎり、とアンナの口元から音がした。見開いた目と震える拳から、強い怒りが立ち昇る。

 普段は誰よりも冷静な侍女の肩を掴んで、サイラスは言い聞かせた。

「落ち着け、アンナ殿。夫といい侍女といい、夫人が絡むと物騒な人間が多いな」

「……おそれながら、アドルフ様もそのひとりでは」

「一緒にするな。いいか、夫人は無事なんだ。今俺達が動けば、却って事態は悪くなる。気づかない振りでいつも通り過ごせ」

「ハリエット様は長旅に疲れて寝室に篭ったまま、ということですね」

「ああ。それでいい」

 顔を覆ってしまったアンナに気づいて、地元の子ども達と遊んでいたビリーが母の様子を伺いに来た。

「お母さん?」

「……大丈夫よ、ビリー。なんでもないわ。お母さんは今からアドルフ様に稽古をつけていただくから、あなた達もやりたければ用意なさい」

 はい、と元気よく返事をして去っていくビリーを見送って、サイラスはアンナを見下ろした。

 彼女はサイラスが知る限り十代の頃からいつも主人の後ろに控えていて、こうなるまで親しく口を利いたことがなかった。

「使えるのだろうとは思っていたが、どのくらいの腕だ」

「従騎士の方を相手にするくらいのおつもりでお願いいたします」

 簡単に言うが、アンナは女性である。

 サイラスは女性に剣を向けたことがない。仮に従騎士程度、の自己申告が誇張したものでなかったとしても、気が進まない。

 だが、じっとしているのが苦痛な気持ちは理解できる。

 何年も前に利き腕を負傷したときから、左手で剣を扱う鍛錬も積んである。サイラスが片腕になってからまた日が浅いが、それでも従騎士に遅れを取るような無様はしない。

「あなたも騎士並みの脳筋のようだな。いいだろう。片手でよければ相手になろう」

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