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失踪の一部始終

 エイミーはあの日、前日と同じように他の夫人と三人で城の厨房に食事を受取りに行ったのだ。

 官舎に軟禁されている騎士団全員分の食料だ。乾燥させた野菜や肉はまとめて運んでおくと、従者が官舎で調理できる。エイミー達は焼いたパンや飲料を毎日官舎に届けていた。

 数が足りない、ちょっと待ってくれ、と厨房で言われ、夫人達に先に官舎へ向かってもらった。

 少しなら大丈夫、すぐに追いつけば怖いことなどない、と油断してしまったのだ。

 戦場での油断は死を招く。当たり前のことを、エイミーは理解していなかった。

 ちょっと付き合えよ、と絡まれたことは過去にもある。王都に住んでいればそのくらいのことは珍しくない。

 だが、これまでは大声で怒鳴って追い払えば、面倒臭い女だとすぐに諦めるような男ばかりだった。近くにいる誰かに助けてもらうことも期待できた。

 武装した男に口を塞がれ、引き摺られたことなんか一度もない。こんな恐ろしい思いをしたのは初めてだった。

(アル! 助けて、アル!)

 昔みたいに、助けに来て。

 声にならない声で、エイミーは叫んだ。


 エイミーは騎士の父に似て背が高く、骨格も強いのをいつも気にしていた。

 周りが勝手に恋人だと決めつけている小柄な従者と並ぶと、それが余計際立って見える。

 だからアルはない、と言い続けてきた。彼だって同じように言っているのだ。

 そんなアルは何年も前、エイミーを助けてくれたことがある。

 エイミーがいつものように理由をつけて鍛錬場を覗きに行った帰りのことだった。

 顔見知りの従者の少年ふたりに絡まれたのだ。確か、邪魔だとか用もないのに来るなとか、今思えば割とまっとうな言い分だった。

 父譲りの体格のエイミーでも、さすがに騎士を志す従者ほど大きくはないし、怖い思いをした。

 反射的に言い返すと、胸倉を掴まれた。

 そのとき、怯むエイミーの後ろから、アルが声をかけてきたのだ。

「やめといたほうがいい。その子、中隊長の娘な上に、伯爵令嬢の侍女だよ。言い付けられたら人生終わるよ」

 なんて言い方。エイミーは立場も忘れてそう思った。

 あまりに卑怯な脅し方に呆れてしまったのだ。

 アルがエイミーの腕を引いて従者から離すと、今度は彼が標的になった。

 そうなって初めて気づいた。アルは、エイミーを逃がすためにわざと卑怯な言い方を選んだのだ。

「なんだよ、おまえ騎士団から逃げたくせに」

 せせら笑う相手の少年は、アルよりも頭ひとつ分大きかった。アルに勝ち目はないように思えた。

 アルは相手から距離を取って、腰を低くした。

「早く逃げて。早く!」

 後退りしたエイミーは、アルに向かってきた従者が、背中を床に叩きつけられるところを見た。

「走れ!」

 再度促されて、エイミーは助けを呼びに走った。鍛錬場まで戻って最初に会った騎士に伝えると、すぐにライリーを呼んでくれた。走るライリーについて行くと、アルがひとりで走るところに行き会った。

「アル大丈夫なの? 怪我してない? あいつらは?」

 半泣きのエイミーには面倒臭そうな顔だけ見せて、アルは主人に首尾を報告した。

「ライリー様やりました。あいつら、投げてやりました」

 ライリーは誇らしげな従者の頭をぐしゃぐしゃに撫でた。

 後から聞いたところによると、その従者は、アルが騎士団に所属していた頃、彼を虐めていた連中のうちのふたりだったらしい。

 アルは、体格差のある相手と対峙する方法をライリーから教わって練習していたのだ。

「別に君のためじゃないよ。やり返す好機だと思っただけ」

 素直に礼の言葉すら受け取ってくれないアルはその見た目に反して、エイミーには理解できない理屈で動く男の子そのものだった。


(ねえ、アル)

 エイミーは記憶の中の小さな少年に問いかけた。

(あれ、あたしにもできるかな)

 あのあとちょっと教えてもらったけど、全然巧くできなかった。もっとちゃんと教えてもらって、練習しておけばよかった。

 向かってくる相手の勢いを利用して投げる。

 聞くだけなら簡単そうだけど、ちっとも巧くできないから、すぐに飽きて諦めてしまった。

 エイミーはひと気のない部屋まで連れて行かれた。

 中に入ったらおしまいだと思って全力で暴れると、足が男の腰に命中した。よろけた男は怒りを見せ、エイミーを室内に放り込んだ。

 エイミーは涙で視界が滲まないよう、奥歯を食いしばってふたりの男を睨み付けた。

 声を出せば殴る、だそうだ。殴られるのは嫌だ。でも言いなりになるのはもっと嫌だ。

 昔、遊びの一環で少しだけアルに教えてもらった投げ技を成功させるしかない。一度も成功したことはないけれど、他に方法はない。投げたらすぐに走って厨房に駆け込もう、と覚悟を決めたときだ。

 エイミーを襲った二人組が吹っ飛んだ。飛んだ、と錯覚するくらいの勢いで前倒しになった。

 彼らの後ろから現れたのがエベラルドだった。

「持ち場を離れるな。武器を持たない民には手を出すな。言ったはずだが、もう忘れたか」

 彼は男達に答えることすら許さず、追加で何度も殴打した。

 エイミーは目の前で行われる暴行に怯えて震えるしかなかった。

 しばらく部屋の隅で目を瞑っていると、エベラルドがエイミーの肩に触れた。

「おい、お嬢さん」

「……エベラルド、様。なんで?」

 何故、エベラルドがここにいるのか。何故、敵である兵は黙ってエベラルドに殴られていたのか。何故、動かなくなった兵を、エベラルドに命じられた他の兵が引き摺って行ったのか。

「何がだ」

「なんであいつら、エベラルド様に従っているんですか?」

「俺の配下だからだ」

 当たり前のことのように、彼はそう言った。

 エイミーは恐怖と混乱で涙を止めることができなくなった。

 そんな彼女の肘を掴んで、エベラルドは廊下を歩き出した。

「悪いな。お嬢さんを助けに来たわけじゃないんだ。配下の規律違反を咎めただけだ」

 その言い方は、まだ子どもだった頃のアルに似ていた。

「い、意味が分かりません」

「分からなくてもいい。ちょうど良かった。手を貸してくれよ。ザックの女房、捜してたんだろう? ガキが生まれてから弱ってんだ。世話してやってくれ」

「ミア?」

 エイミーには、幼い頃から知っているエベラルドがひどく恐ろしいものに見えた。

 彼は父の仲間で、ライリーの兄分だ。今もエイミーを助けてくれた。怖いひとなんかじゃない。そのはずなのに。

 友人の行方を気にするよりも、恐ろしい気持ちが勝ってしまっている。だが、怖くて逆らうこともできない。

 エイミーはそのままエベラルドに従って歩くことしかできなかった。



「何やってるんだよ。心配させないでくれよ」

 今は非常時だ。安堵のあまり抱きしめるくらい、友人なら許されるだろう。

 アルがここまでエイミーに近づくのは、長い付き合いの中で初めてだ。

 女性用のコットを着たままなのが、なんともみっともない話だ。この格好では、ここまでが精一杯だ。

 意地を張らずに、エベラルドの申し出を受けておけばよかった。

 エイミーは驚いてしばらく硬直していたが、ややあってアルの背に手が触れた。

「ごめんね。助けに来てくれるって思ってた」

「来るよ。君のことだから、敵に自慢の蹴りでも喰らわしてるんだろうとは思ったけど」

「……しないよ、そんなこと」

 エイミーは不満気に身体を離した。

「よく言うよ。昔もそうだったじゃないか。従者を蹴っ飛ばしてるところに通りかかったときは肝を冷やした」

「え、そうだっけ?」

「そうだよ。それで僕はまだ練習中だった技を出さざるを得なかったんだ。失敗してたら、ふたり共ぼこぼこにされるところだった」

 エイミーは不可解な表情になっている。

 年月が経って記憶の改竄がなされたようだ。

「可愛らしく助けられた記憶しかない」

「ふざけんなよ。君にそんな過去があるわけないだろう」

「おや、本当にアルだよ。よく来たね、そんな格好で」

「マイラ様!」

 孫の手を引いて顔を覗かせたデイビスの妻に慌てて、アルはエイミーから離れて膝を突いた。

「あんたひとりかい」

「はい、申し訳ありません。デイビス大隊長は、現在貴族棟に立て籠っておいでです」

「そうか。あんたもご苦労だったね。外の様子を聞かせてくれるかい。あと寝床を増やさなきゃいけないね」

「いえ、僕はエイミーと同じ部屋でいいです」

 しれっと発言したアルに、エイミーは驚いて声を上げた。

「はあ? 何言ってんのよ」

「ちゃんと見張っとかないと、君のことだ。またどっか行っちゃうんだろう。床で寝るから気にするな」

「気にするわ!」

 はいはい、と手を叩いて若者を黙らせた大隊長夫人がその場を仕切った。

「気持ちは分かるけどね。嫁入り前の娘の部屋に男を泊めたりなんかしたら、ウォーレンに顔向けできなくなるよ。エイミーは今のままミアと一緒に寝ればいい。あそこは続き部屋があったろう。アルはそこで寝な。それでいいね?」

「……ですが」

「若い男ほど信用できないものはないんだよ。それ以上言うなら敵陣の真ん中に突き出すよ」

 アルは舌打ちと共に渋々頷いた。

「……あんたどうしちゃったのよ」

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