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人質の捜索

 石造りの城は、毎年冬になると保温と装飾を兼ねた壁掛け(タペストリー)が飾られる。趣向を凝らした見事な綴織(つづれおり)は、雪が降れば篭らざるを得ない城の住人の眼を楽しませてくれていた。

 だが、今年は城の中心部だけ、機能性だけを期待したおざなりな掛け方をされている。騎士団が王都を出発する前には、まだ飾られていなかった壁掛けだ。

 寒さに嫌気が差した敵が、女官に命じてやっつけで掛けさせたのだろう。

 アルは従者として城に通うようになり、その見事さに見惚れるのが例年のことだったが、今年は横目で一瞥するのみだった。

 彼は慣れない衣装に苛立ちながらも、その感情を表に出すことなく長い裾を捌いた。

 焦ったら駄目だ。静かに、ゆっくり、しとやかに見えるよう動かなくてはならない。

 エイミーは今どこにいる。ひどい目に遭わされていないか。怖い思いをしていないだろうか。

 何度も頭をよぎる最悪な想像を振り払って、アルは周囲の観察を続けた。

 エイミー。アルの大切なひと。

 どいつもこいつも、恋人だのなんだの、気軽に言いやがって。そんなの、なれるものならとっくになっている。

 だが、半人前にすらなっていないアルには、はっきりと想いを口にすることも、態度に出すことも許されないと思っていた。

 覚悟が決まらなかったのだ。騎士として生きていくのは、自分には無理だという思いが消えなかった。

 いつかは決断する必要があった。

 騎士になるのか、従者を辞めて別の道に進むのか。

 自分には向いていないとずっと思っていた。ライリーのように、妻のために騎士道を貫くことも、ただ強さを追求して生きていくことも、アルには向いていないのだ。

 そんなことより、もっと身近なものだけを見て穏やかに暮らしたいと思いながら生きてきた。

 しかし、それでは大切なひとを守れないというのなら、騎士にくらいなってやる。

 エイミーの無事を確認したら、アルは騎士になるために、ライリーの庇護下から離れるのだ。

 彼女を救出するためなら、どんなことでもやる覚悟はできている。

 俯きがちに歩くアルは、廊下の角を通り過ぎたところで、視界の端に映った人影が近づいてくることに気づいた。

「おい女、こんなところで何を……」

 後ろから腕を掴まれても、抵抗したりはしなかった。ただ身をすくめて怯えてみせた。

 その仕草をどう思ったのか、アルの腕を掴んだ人物はそのまま身体ごと引き寄せ、腕の中に抱き込んだ。

「!」

 これはさすがにまずい。

 アルは身体を離そうと力を込めたが、その人物はびくともしなかった。

「ああ、悪い。この女は俺が呼んだんだ」

 頭上で響いた声は、アルもよく知るものだった。

 何故彼が。

 アルは混乱したが、何もできずにただその腕の中で身を固くしていた。

「そう、でしたか」

「ちょっとした気晴らしだ。あの方には黙ってろよ」

「はあ」

 アルを誰何しようとした男は、笑いを含んだ曖昧な返事をして去って行った。

 男の姿が見えなくなると、やっとアルは解放された。

「おまえ似合ってるな、その格好」

「…………どういうおつもりですか」

 くるぶしまで覆うコットの裾を蹴り、短い髪を隠す被り物(ウィンプル)の位置を直しながら、アルはエベラルドを見上げた。

 自分でも嫌になるほど若い夫人の扮装に違和感がない。

 スミス夫人が、エイミーのコットをアルに差し出したのだ。

 アルとエイミーはほぼ同じ背丈で、鍛えている割に細身のアルは、ゆったりした作りの女性用の衣装を無理なく着こなせた。夫人が付け方を教えてくれたウィンプルを被れば、立派な若夫人の出来上がりだ。

 女装までする予定はなかったが、下働きの男よりも女官のほうが数が多いし、警戒されにくい。

 結果として王宮内をさほど怪しまれずに歩くことができるようになったので良しとするしかない。アルはエイミーの居場所を突き止めるのと同時に、可能な限り城内の様子を探らなくてはならない。

 密着すると、細身とはいえ鍛えた硬い感触でさすがにばれてしまうかと焦ったが、アルを捕まえた人物は最初から気づいていたのだ。

 エベラルドは、ザックの妻を攫った。王宮占拠には、王宮の内情をよく知る内通者の存在がある。

 誰も考えたくない様子だったし、アルもまさかそんなこと、と思ったから、その可能性は口にしなかった。

 エベラルドが王宮占拠に一枚噛んでいる。キャストリカの情報を流し、ザックへの人質とするためにミアを攫った。そう考えれば、すべてのことに説明がつく。

 そういうことだったのだ。

「別に。従者ひとりくらい見逃したって支障はないしな。どうせスミスの娘を探してんだろう。連れてってやるよ」

「! エイミーもあなたが?」

 先に立ってすたすた歩くエベラルドの後ろを、アルは慌てて追いかけた。

 裾が足に絡んで歩きにくい。

 そんなアルをちらっと振り返ると、彼は呆れた様子で提案した。

「自分の女に会いに行くってのに、その格好のままでいいのか。なんか着るもの探してきてやろうか」

 大きなお世話だ。

 アルは無言のまま開き直って片手でコットの裾を持ち上げると、膝から下を露わにして歩いた。

 あっさり敵に捕まってしまった。

 囚われの身になってしまうのは痛手だが、エイミーの居場所まで案内してくれるというなら、ついて行くしかない。

 主人が慕う人物だ。信じたくなかったが、自分の目でみたものが事実だ。

 エベラルドが向かう先には、使われていないはずの離宮がある。

 そこはキャストリカでは一度も使われていない。城の前の持ち主であるバランマスの王族が建てた女性的な建造物で、武骨な造りの城の中で異彩を放っていた。

 小さな木造二階建て、外壁は白く塗られ、前時代に流行ったとされる彫刻が彫られている。

「言動には気をつけろ。余計なことをしないなら、おまえがここにいるってことは忘れてやる。俺の望みは大量虐殺じゃない。無駄な殺しはさせるな」

 アルは答えなかった。

 ただじっと背の高い騎士を見上げて、その様子を観察した。

 無言のアルを見下ろして、エベラルドは続けた。

「中には産後の女と生まれたばかりの赤子もいる。騒ぎを起こすな。静かにしてれば、じきに全員解放してやる」

「……あなたの望みとはなんですか」

 エベラルドは、ようやく口を開いたアルの頭に手を置いた。

「そのうち分かる。それまでおまえは自分の女を守ってやれ」

 唇を歪めての言葉の調子は、とても柔らかく優しいものだった。

 アルはそのまま後頭部を鷲掴みにされて、離宮の入り口に乱暴に放り込まれた。

「じゃあな」

 エベラルドが去るのを待っていたように、ばたばたと慌ただしく階段を駆け降りる音がした。

「嘘でしょ、アル?」

「……エイミー」

 エイミーは最後の三段ばかりを残して立ち止まり、呆然とアルの名を呼んだ。

 そんなところに立たれたら、見上げるしかないじゃないか。

 舌打ちを堪えて、アルは一歩ずつ近づいていった。

「あんたそれ、あたしの服……!」

 忘れていた。

「…………!」

 アルは慌てて頭からウィンプルを毟り取り、コットの裾をからげて腰帯に引っ掛けた。建築現場の人足のような格好だが、女装よりはマシだ。

「やだ、やめてよ! 形が崩れるじゃない! 仕立てたばかりの新品だったのに、信じらんない」

「悪かったよ。言っとくけど、ミリー様が出してくださったんだからな」

「だからってあんた」

「ごめんってば! 今度新しいのを贈るから!」

 おかしい。こんなはずじゃなかったのに。

 アルは複雑な顔で、段を最後まで降りてきたエイミーと向かい合った。

「……助けに、来てくれたの?」

 そうだよ、とは今更言いにくい。

「副団長にご家族の救出を託された」

 違うんだ。アルは自分の意思でここまで来た。

「……そう。ありがとう」

「…………ごめん、そうじゃない。そうじゃなくて僕が」

「新しいひと?」

 階上から届いた声に反応して、ふたりは階段の上を見上げた。

 少女に見えた。近づいてくる様子を見ると、アルよりも少し歳上のような気もした。

 濃い褐色の髪を後ろでひとつに編んだ小柄な女性だ。金茶の瞳が特徴的で、腕には赤子を抱いている。

「アデラ。このひとはアル。騎士団長の従者なの」

「よろしく。アデラだよ。この子は娘のエルバ」

「……どうも」

 彼女も攫われてきたのだろうか。騎士の家族にこんなひとがいただろうか。記憶にない。

「彼女はあたし達の世話をするよう言われてるらしいの」

 敵方の人間というわけか。戦場に赤子と共に、無理矢理連れて来られたのだろうか。

 戦勝国側でも、女性は被害者だ。 

 アルは無言でエイミーの腕を引っ張ってアデラから距離を取った。

「……ふたりで話をさせてくれるか」

「ああ、気が利かなくてごめんね。恋人なんだって?」

「まだだよ。話をするだけだ」

 アルはまだって何よ、と混乱するエイミーを離宮の隅まで引っ張って行った。

 気を遣ったのか、アデラは離れていった。

「……何やってんだよ、馬鹿エイミー」

「馬鹿って何よ。……ちょっと向こうの兵士に絡まれちゃって、エベラルド様が助けてくれたの」

「助けてって、そもそもあいつが」

「分かってる。本人に聞いたよ」

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