籠城
「よくやった兄君!」
そんな配下相手のように褒められても。
もちろんロバートは決死の覚悟ではあったが、実際にやったことは、敵に浅い一太刀を浴びせ、槍で押しただけだ。それらの動きを歴戦の騎士の見守る前で披露したのだ。
褒められたら、逆に非常に恥ずかしい。
「はいっ」
ロバートもロバートだ。反射的に従順な返事をしてしまう。
まだ完全ではないものの、息を整えたデイビスがロバートの後ろから手を伸ばし槍を引き取る。
化け物並みの回復力である。これでティンバートンの父と同年代なのだ。
「ロバート様あざっした!」
「意外と動けるんすね、伯爵」
「後は任せてください」
普段はもっと畏まっている騎士達が、気安くロバートの肩を叩いて後方の安全地帯へ押しやった。
これはなんだ。仲間認定されてしまったのか。
いつの間にか近衛の相手四人は床に転がっていた。いち早く復活した騎士によるものか。
近衛騎士は全員軽傷ですんだようだ。息も絶え絶えだがなんとか立っている。
「相手は槍だぞ。この甲冑は盾代わりになるか?」
「え、はい。いえ、俺が剥がします」
提案したロバートに驚いた騎士が、倒れた敵の甲冑を慌てて脱がしにかかる。
「なんでドン引きするんだ。ライリーからそうすると聞いてるんだが」
「いや、一般の方に言われるとは思わなくて」
一般人を戦わせておいて今更何を言うか、と思いながらも、ロバートは手慣れた騎士に任せて更に後ろに下がった。
国王は敵の手中に堕ちた。生命の有無は定かでない。王太子も同じくだ。
ならばキャストリカに残された最後の王子は、なんとしても護らなくてはならない。
ロバートにできることはなんだ。
王城の国王と王太子の居住区、謁見の間など、主要区域は既に敵の手中にある。ここも時間の問題だ。
王国が存続するための絶対条件は、王の血筋を守ること。
騎士が前線で戦っている間、安全な後方にいるロバートがその条件を死守する義務がある。彼らはそのために身体を張っているのだ。
「君達は貴族棟の二階から三階の安全を確保しろ。急げ! そっちの後方の君も、何人か回せるか⁉︎ 籠城の準備をしろ!」
ロバートは先ほどまで必死で扉を守っていた近衛騎士を貴族棟の方向に押して、扉に飛び付いた。中から鍵がかかっている。
「殿下! ティンバートンです! ここをお開けください!」
部屋の奥に隠れているのだろうと大声で呼ばわったが、すぐ内側から応えがあった。
「……ロバート?」
「はい! わたくしです。騎士団の者が敵を抑えている今のうちに!」
ロバートは細く開いた扉の隙間に身体を滑り込ませた。
室内では第二王子とその妃、ふたりの幼い王女が身を寄せ合っていた。城のもっと奥まったところに住む王太子家族三人も逃げ込んで来ている。その他に侍女だか乳母だかの若い女性が五人、侍従がふたり。
「緊急事態ですので、ご無礼をお許しください。今から貴族棟に籠城いたします」
部屋を見回すが、戦斧のような武骨な物はやはりなかった。
「君、これを運ぶのを手伝ってくれるか」
若い侍従に声を掛けると、ロバートは豪華な布張りの長椅子の片端を持ち上げた。
再び薄く扉を開けて外を覗くと、デイビス達は善戦している。
だが寝込みを襲われた彼らには圧倒的に武器が足りない。元々護衛に立っていた者は槍を持っているが、そうでない者の得物は肌身離さず携行している長剣だけだ。それだけでは甲冑の相手を倒すのに労力がかかりすぎる。
ロバートは長椅子を廊下に出して叫んだ。
「これは使えるか⁉︎」
「あざっす!」
取り繕う余裕のなくなった騎士の言葉遣いはどうでもよくなってきた。
使えそうな物をどんどん出していくのだ。
「殿下、鈍器が必要です。甲冑の敵にも効くような」
「ど、鈍器?」
王子が戸惑う間にも、ロバートは椅子、小卓、と持ち上げられる家具をどんどん出していく。
「壺があります。杯も」
「素晴らしい」
王子妃が示した棚からも色々持ち出すと、ロバートは腹を括った。
「デイビス殿! 撤退準備をお願いします!」
甲冑は打撃に弱い。
剣も矢も効かないが、投石には弱い。
(そうだな、ライリー)
ちらりと後ろを振り返るだけで、歴戦の騎士は了解した。最前線のすぐ後ろにいたデイビスは、素早くロバートの位置まで戻ってきた。
「籠城しましょう。何日か耐えればライリーが助けに来る。そうですね?」
「ああ。必ず」
「よし。これで足りますか。投げる、投げる、押し返す」
ロバートは必死で集めた武器の説明をした。
デイビスは笑った。怖い顔が更に凄味を増した。
「上等だ。行くぞ、野郎共! 構えろ!」
細かく指示を出さなくても、騎士達はすぐさまデイビスの意を汲んで動いた。
「投石用意! ……撃て!」
敵の最前線目掛けて飛んだのは陶器や銀の杯、皿、置物だ。
ばりん。がしゃん。敢えて被害額は計算しない。
もちろん大した重さの物ではないが、騎士が投げると当たったときの衝撃はそれなりだ。投げ方が非常に巧い。何故だ。
(投石って素手じゃないよな。普段は投石器使ってるはずだよな)
王族の日用品が、騎士の手にかかれば立派な武器となるのだ。敵は確実に怯んでいる。
「後退用意! ……退がれ!」
じわじわと敵との距離が空いていく。
「次椅子行くぞ! ……構え! 長椅子準備! ……投げろ! 押せ! 押せ押せ押せ!」
椅子の脚はもはや鈍器扱いでいいだろう。急拵えの作戦だったが、デイビスの的確な指揮により敵は少しずつだが確実に後退している。そこに横にした長椅子を三人で構えて勢いよく突っ込んでいく。
ロバートはそこまで見届けると、自分の出番はもう無さそうだと判断して、王子家族を廊下に出した。
「デイビス殿! 王子をお連れします!」
「ああ、頼む!」
ロバートが先導係を務めた。後続の王子家族を気にするよりも籠城準備の確認を優先して走る。
「安全確保はできたか!」
棟に入って叫ぶと、上から応えが返ってくる。
「三階へどうぞ!」
二階はまだということか。一階で戦っていた騎士はどうなった。
考えている暇はない。ロバートは王子家族を三階に誘導して、待ち構えていた近衛に託した。
デイビス達はこちらに向かえているだろうか。
ロバートは迷いながらも引き返した。彼らがいなくては、この先戦うことができない。
「殿下はもう大丈夫です! 騎士団の方々もどうぞこちらへ!」
「おう上等だ! ほらこれで最後だ! やれ!」
長椅子を力尽くで敵陣に押し込むと同時に、左右に空いた隙間から槍を突き出した。
複数の敵が仲間を道連れに後ろに倒れ込む。
その後方では、こちらの倍以上の戦力が集まっているところだった。なんとか間に合ったのだ。
「走れ! ここはもういい、死ぬ気で走れ!」
デイビスの号令でその場を放棄した騎士が、一斉に後ろを向いて走り出した。夜番に立っていた甲冑の騎士はすでに下がっている。最後まで前線に残っていたのは鎖帷子の騎士ばかりだ。余力を振り絞って走れば、甲冑の集団に追いつかれることはない。
今度はあらかじめ距離を取っていたロバートは、屈強な集団に押し潰されては敵わないと必死で脚を動かした。
本宮と迎賓館、貴族棟には、それぞれ頑丈な扉が設置されている。本来ならば逃げ込む先が逆だが、とにかく扉を閉じてしまえば行き来は不可能になる。
先に貴族棟に逃げ込んだロバートは扉を閉める準備をして、全員が駆け込むのを待った。
しんがりはデイビスか。後ろを気にしながらこちらへ向かってくる。
指揮官のくせに、と見るとデイビスの向こう側にもうひとり身軽な騎士がいることに気づいた。
ロバートも知っている顔だ。
(? 何故彼がここに)
「ロバート様! もういい閉めろ! 殿下を頼む!」
「え、なんで。何言ってんですか! あと少し頑張って走ってくださいよ!」
敵との距離はまだ充分ある。
年齢との闘いに負けそうなのかと、ロバートはデイビスの背を押すために飛び出した。
最強の戦士であり優秀な指揮官でもあるデイビス抜きでは、この先を生き延びる自信がない。
しかもその後ろには、いるはずのない強力な助っ人まで現れているではないか。
「馬鹿野郎、来るな!」
「ば、馬鹿? 今バカって言いまし……」
ロバートに背を向けたデイビスが倒れた。
「え……」
剣を振り下ろした体勢のままロバートを見たのは、ひどく印象的な、魅力的なと言い換えてもいい風貌の男だった。
世の中にはこんな男前がいるのかと、平凡な容姿の兄弟揃って感心した覚えがある。
エベラルドが、デイビスを斬った。
(ああ……)
ああ。
そういうことなのか。
ロバートは後方に向けて剣を投げ捨てると、真っ直ぐに敵を見据えて歩いた。
敵は、膝を突きながらも剣撃を返したデイビスから跳び退いて間合いを切っている。
くずおれたデイビスの腕を掴み、近くの騎士に渡したロバートを、エベラルドは距離を空けたまま眺めていた。
「ここは戦場だぞ、伯爵」
怖い顔の騎士は、一瞬交わした視線だけでロバートの意志を汲んでくれただろうか。
残念ながら、彼らはそこまでの仲ではない。
ロバートにそれほどの自信があったわけではない。
ただ、戦場における騎士は、その場その場で最適な行動を取ることができるという信頼感があった。
「ええ。だが、戦闘の場はここまでです。キャストリカは正統なる王位継承者を擁して、国の中心をこちらに移しました」
ロバートの後ろで、デイビスの罵る声と共に重い扉が閉じられる音が響いた。
エベラルドは騎士だ。
彼は、騎士道精神に悖る行為は決してしない。
簡易の武装すらせず、武器を持たないロバートに斬りかかることはないはずだ。
こんなものは賭けでしかない。戦場では騎士道云々を論じる余裕などないことくらい分かっている。
賭けに負ければ、彼は二度と妻子に会えなくなる。
常に一緒にいたいと思える妻ではないが、年に数回も逢えないとなると落ち着かなくなる。ロバートはそれなりに妻を愛しているし、四人の子どもは可愛い盛りだ。
彼女達に再び会いたければ、賭けに勝つしかないのだ。
ロバートの賭けに勝算があると踏んだから、デイビスは彼の判断を支持してくれた。
(てことで合ってますよね、怖い顔の大隊長殿)
賭けには勝てたようだ。
エベラルドは正面に立つ非武装のロバートに剣を向けることはなかった。
彼は後ろから追いついてきた武装集団を片手で制して、それ以上前に出させないようにした。
ここから先は騎士ではなく、キャストリカ王国の一端を担う貴族当主であるロバートが前線に立つべきなのだ。
「政治の話か。今ここで?」
「あなた方の目的はなんですか」
「決まってるだろう。この国だ。王はすでに堕ちた」
「そうですか。では我々は新しい王を戴くことをここに宣言します」
「へえ。戴冠式でもするのか。そのちっちゃい国で?」
城の貴族棟三階部分。それだけが彼らが確保できた籠城先だ。
「あなた方は何をする。もうすぐ国の主戦力が帰って来ますよ。うちの弟に勝てますか」
御前試合で負けたことを当て擦る台詞に、エベラルドは唇の端を持ち上げた。
「そうだな、再挑戦といくか。ブラント様にも、次は負けないと宣言してある」
「甥は次期伯爵だ。気安く名を呼ばないでいただきたい」
エベラルドは笑みを深めた。
こんなときでなければ見惚れたいくらいのいい男だ。
ロバートは投げやりにそんなことを考え、エベラルドに背中側で両腕を拘束されるのを抵抗することなく受け入れた。
抵抗しても無駄だと知っているからだ。
彼は騎士団長ライリーを育てた男だ。
「あなたには、可愛い弟の兄の座を譲ってやったつもりだったんだがな」
「それは気づかず失礼した。だが謹んでお返ししておこう」




