かつての仲間
「おう、やっと静かになったな」
そう言ってエベラルドが地下牢に姿を見せたのは、ふたりが騒ぎ疲れて床にひっくり返ってからだった。
ライリーは今更現れた彼に反応して起き上がるのも馬鹿馬鹿しくて、冷たい床に寝転んだまま無視を決め込んだ。
ザックも、エベラルドは敵なのだと自身に言い聞かせて、彼に対する対応は上官であるライリーに倣っている。
反応が返ってこないことは意に介さず、エベラルドは壁に寄りかかって腕を組んだ。
ライリーとザックは壁に阻まれてお互いの姿が見えないが、エベラルドの位置からはふたり共の姿が見えているのだろう。
「子爵夫人をどこに隠した」
ライリーは跳ね起きたい気持ちを我慢して、無反応を貫いた。
ハリエット?
エベラルドなら、彼女の居場所は王都かホークラム子爵領の屋敷か、さもなくばロブフォードに里帰りしているかしかないと知っているはずだ。
「おまえ事前に情報を掴んでたのか。どうやって逃がすことができた」
エベラルドはハリエットを捜している。
何故だ。
すでにライリーは捕まっている。彼に対する人質は必要ないはずだ。
そもそも国王というこの上ない質を手に入れて、これ以上人質を増やしてどうするのか。
「教えてくれないか」
「……はっ。誰が」
肯定ではないものの、ライリーから反応をひき出して、エベラルドは満足そうに唇の端を持ち上げた。
「困ったな。エルベリーが協力する見返りに、隠し姫を寄越せと言っているんだが」
「! てめえ!」
ライリーの脳裏に、傭兵隊長の言葉が蘇った。
隠し姫を御所望だそうだ。
あれは、エベラルドが勝手に約束した話だったのか。
エベラルドは長い脚を持ち上げて、飛び起きたライリーの目の前で格子を強く蹴った。
「おいおい、昔言っただろ。お坊ちゃんが無理して下々の言葉を遣ってんじゃねえよ」
ライリーは格子の隙間から手を伸ばすが、逆に再度脚を振り上げたエベラルドに蹴られそうになって慌てて手を引っ込めた。
「こんなときなのに笑っちまうじゃねえか。こっちは真面目な話をしに来てんだよ」
「てめえ、ミアはどこにやった」
隣の牢から聞こえたザックの声に、ライリーはすっと冷静になった。
そうだ。ミアはエベラルドが連れて行ったのだ。デイビスの家族もだ。
エベラルドは国王だけでなく、多数の命を握っているのだ。
ザックの妻、デイビスの妻と孫。捕虜にされた数人の騎士団員
ハリエットがいない、というのは朗報だと考えなくてはならない。彼女は危険を察知し、身を隠しているのだ。そうに違いない。
「ああ。元気にしてるよ。母親によく似た可愛い娘も一緒だ」
「っ……子どもが」
「安心しろよ。今は誰も怪我ひとつしてねえよ。今はな」
含みのある言い方に、ザック側の牢から格子を殴る鈍い音が響く。
「なんでこんなこと」
ライリーの口から溢れた言葉に、エベラルドはまた唇を歪めた。
「なんでも何も、俺はこのために騎士団に入ったんだよ。予定通りだ」
このため? キャストリカを滅ぼすために、二十年も周囲を騙してきたというのか?
ライリーはエベラルドの言葉の重さに口をつぐんだ。
これまでエベラルドがライリーにくれたものは数えきれない。彼がいたから、ライリーは騎士団で踏ん張ってこれた。彼がいたから、騎士団長にまで昇り詰めることができた。
彼がいなかったら、今のライリーはない。
彼がくれたものがすべて偽りだったというのならば、今のライリーの存在だって幻のようなものだ。
「……いやだ」
「そんなことはどうでもいい。隠し姫だ。まさか団長が一緒にいるとはな。ホークラムに向かわせた奴が帰って来ねえ。ちゃんとした使者を立て直したら、命からがら帰ってきた奴が、夫人の姿が見えねえと言いやがる。おまえんのことの執事も相変わらず食わせ者だしな。さっさと居場所を吐け」
「あんたも知ってるだろう。ハリエットは俺よりずっと賢い。彼女が自分で姿を隠したんだろう。どこにいるかなんて、こっちが聞きたい」
「へえ?」
「それを訊くために殺さなかったのか? てっきり昔の仲間に情が湧いたのかと思ったぜ」
ザックの揶揄を、エベラルドはあっさりと肯定した。
「当たり前だろう。何年一緒にいたと思ってんだ。せっかくここまで育ててやったのに、殺すなんて勿体無いことできるか」
「勿体無いか」
「ああ。俺はおまえらを評価してる。今後は俺のために働くってんなら、殺す必要もないだろう。どうしてものときは、てめえで墓穴掘らせてからにしてやるよ」
「…………そうかよ」
エベラルドは変わっていない。無駄な殺しはしないし、考え方は合理的だ。
ただその立ち位置が違うだけだ。
エベラルドはライリー達を敵と見做して、その処遇を決めている。逆らえば殺す。従うならば、役に立つ気があるならば、寛大な処置を。
それが、いつものエベラルドだった。
「しかし参ったな。おまえをエサにして、あの夫人が釣れるかね。試してみるか?」
「あんたの手に負えるひとじゃない。すでに一回負けてるだろう」
ライリーの言葉に、エベラルドが笑った。
一瞬、昔の空気が戻ってきた気がした。
「飲み比べではな。なあ、おまえらは俺の下につけよ。悪いようにはしねえから。これまで通りやっていこうぜ」
「……本気で言ってるのか」
なんでもないことのように誘うエベラルドは一見昔と変わらぬように見えたが、その口から出る言葉は別人のものとしか思えなかった。
これまで通りなんてあり得ない。
ライリーとザックの目には、旧知の男が得体の知れぬものに見えた。
「別に問題ないだろう。おまえらはずっと俺の配下だった。なあ? ライリーにはなんでも教えてやってきただろ。薪割りから戦場の走り方、女の抱き方まで、なんでも俺の言う通りやってきて間違いなかっただろうが」
格子に指を引っ掛けて前屈みに見下ろしてくるエベラルドに、ライリーは冷めた目を向けた。
「……あんたは、俺の知ってる騎士ではないみたいだ。敵の言葉に耳を貸す気はない」
「そうか。なら種目を変えて夫人に再挑戦といくか」
「あ?」
「雪が溶ける前に夫人を捕らえてエルベリーの後宮に入れられたら、俺の勝ちだ。できなかったら夫人の勝ち。賭けをしよう。俺が勝ったら、おまえらは新しい王に剣を捧げろ」
エベラルドの賭け事好きは相変わらずだ。
過去を思って、ライリーは顔を歪めた。
「じゃあ、ハリエットが勝ったら、俺達をここから出せ。その後は俺の家族に手を出すな」
「いいだろう」




