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招かれざる客

 領地へ帰る準備をしていたハリエットは、ぴしりとその場で固まった。アンナは黙って眉を顰め、他の使用人達はおろおろと女主人と招かれざる客とを見比べた。

「ナサケってなあにー?」

 不穏な空気を察知して黙っていたブラントとは反対に、ソフィアは浮かんだ疑問をすぐさま口に出した。

 誰も彼女の問いには答えなかった。

 ソフィアは乳母に手を引かれて子ども部屋に下がった。ブラントは乳兄弟のビリーと手をつないでその後ろに続いた。子どもが聞いてはいけない話だと、大人達の無言の圧力を強く感じた。

 ハリエット達一行をホークラムまで送り届けるようライリーに命じられていたアルは、そっと女主人の様子を伺った。

 彼女は既に最初の衝撃から立ち直っており、冷静な目で珍客を観察していた。

 アルはほっと胸を撫で下ろした。さすが奥様だ。ご自分の夫をよく分かってらっしゃる。

 ライリーの性格からして、彼の潔白は明白だ。

「とりあえず、赤ちゃんを寝かせる場所が必要ね。出発は延期にして、旦那さまのお帰りを待ちましょうか」

 それがいい。ライリーが帰ってくれば、すべては明らかになるだろう。

「今日は会議に出られるご予定です。終わり次第お帰りいただけるよう、言付けて参ります」

 アルはすぐにでも王宮に向かおうと旅装を解きに部屋へ下がろうとした。その背に、ハリエットの低い声がかかる。

「……アル、あなたも知らない女性なのよね?」

 アルはライリーの従者というより、ホークラム家に仕えるつもりで働き、八年になる。その間、朗らかな女主人の低い声などついぞ聞いたことがなかった。

「もちろんです。ライリー様がお帰りになったら、すぐに分かることです」

「……そうよね」

 ハリエットも思わず動揺しただけだろう。すぐにいつもの調子に戻った。

「行って参ります」



 本日、ライリーはアドルフと共に政府高官との合同会議に出席している。次期騎士団長として、初めての顔合わせとなるのだ。

 家庭の事情を理由に会議に乱入することなどできないため、アルは騎士団の者に伝言を残して次の目的地に向かった。

 スミス大隊長の自宅である。

 彼らの住む長屋はアルにとっても思い出深い場所であるが、感慨に浸っている余裕はない。

 スミス家を訪れたアルは、珍しく裏口ではなく玄関の扉を叩いた。そして青い顔を旧知の娘に指摘された。

「アル? どうしたのよ、ひどい顔色よ」

「エイミー、いや会長。力を貸して欲しい」

「なによ。何かあったの?」

「ライリー様のことで訊きたいことがある。……ミリー様、急な話で申し訳ないのですが、お嬢さまを当家にお連れしてもよろしいでしょうか。ハリエット様もお待ちしております」

「あらあら。大変そうね。エイミー、できることがあるなら行って来なさいな」

 日頃の行いにより、疑惑とも言えないぼんやりとした嫌疑のみかけられたライリー本人が帰ってこないことには、問題は解決しない。だが、少しでも早く女主人の心を安らかにして差し上げようと、アルは考えた。

 そのためには、ハリエットの知らないところでライリーを見ている人物の助けが必要だった。

 その人物の名は、エイミー・スミス。

 ライリー本人ではないものの、彼の身内公認信奉会の会長である。



 御前試合が終われば、王立騎士団はしばしの休息の時期を迎える。順番に長期休暇を取っているくらいであるから、仕事が終わり次第帰宅されたし、の伝言を聞いたライリーは、一緒に聞いていたアドルフに促されてすぐさま家路についた。

 今朝領地に向けて出発したはずの家族に何かあったのだろうかと慌てて自宅に飛び込んだが、そこには実に平和な光景があった。

 家族は揃っており、全員元気なようだ。よく知る同僚の娘もいた。それぞれ思い思いに遊んだりお茶を飲んだりしている。

「…………その赤子は?」

 とりあえず家人の無事は確認できた。気が抜けたライリーは、帰宅の挨拶もせずに状況把握に努めた。

 ハリエットは腕に抱いた赤子を夫に示した。なぜかは分からないが、その表情は固い。

「お心当たりはありませんか」

 そう言われてライリーは、小さな寝顔を覗き込んだ。瞳の色は分からないが、うっすら生えた髪は金髪と言えなくもない茶色だ。生まれたばかりの長男はこれに近い髪色をしていた気がする。

(……ちょっと待てよ)

 ライリーは二児の父であり、ここ数年は身内やら友人やらの家で子どもと接する機会も多い。赤子を見れば、だいたいの月齢の見当がつく。

 妻の腕で眠る子は、生後四ヶ月といったところか。

 四ヶ月前といえば、家族はまだ領地で暮らしていた頃だ。建国記念日に合わせて王都に出てくる前は、しばらく顔を見れていなかった。

東の砦に駐屯していた時期だから、二ヶ月前に王都で再会するまで、半年近く会えなくて寂しい思いをしていた……、…………計算上、可能性はゼロではない。

「え? 今まで黙ってたんですか?」

 指折り数えたライリーは、自分の知らぬ間に妻が三人目の子を産んでいたのかと目を剥いた。

 それまでふたりのやりとりを黙って見ていた他の面々が、一斉に吹き出した。

「ほら、言ったじゃないですか! ライリー様を疑ったって何も出てきませんって!」

 エイミーが胸を張って言えばアルが、

「そんなのみんな分かってるよ。誰もそんな馬鹿なこと考えてないさ」

 と肩をすくめる。

「ハリエット様、修羅場のご経験はどうでしたか」

「まったく修羅場にならなかったわね」

「シュラバってなあにー?」

 けらけら笑うみなの様子からすると、自分の子ではないらしい。ライリーは訳が分からず、一番締め上げやすい従者を指名した。

「アル。説明」

 女性陣の笑いは止まらない。

 アルは厨房まで主人を連れて行くと、隅に座っていた女を紹介した。

「彼女はベス・カーター、先ほどの子の母親です。ご存知の方ですか?」

 従者に言われて、ライリーは椅子から立ち上がった女性を失礼なくらい凝視した。

 後ろから、ハリエット達の視線を感じる。先ほどの修羅場云々というのは、この女性との仲を疑われていたということなのだろうか。

 心外である。ライリーは身内以外の女性とは縁がないまま大人になり、婚姻後は周囲に笑われるほど脇目もふらずハリエット一筋だ。

 若い母親だ。歳の頃はエイミーと同じか、もう少し下か。背は低く、出産後そう月日が経っていないとは思えないほど痩せている。焦茶の髪も同色の瞳もありふれていて、ライリーの記憶には引っかからない。

 裕福ではないが、真っ当に慎ましく生きている。そんな印象の女だ。

「今朝突然訪ねて来られて、ライリー様に情けをかけてもらった、話をさせてくれ、とそればかりで」

「情けえ?」

 小声でこれまでの経緯を話すアルに、ライリーは情けない声を出した。

 何が情けだ。

 仮にライリーが赤子の父親であるというならば、不貞を働いたのは昨年ハリエットが王都に滞在していた間ということになる。ただでさえ繁忙期である上に、戦の気配が近くピリピリしていた時期で、そんな余裕があったわけがない。

 というか、余裕があったとしても断じてライリーは妻以外の女性に余所見などしたりしない。

「誰も本気で疑ったりしてませんよ。エイミーも見たことがない女性ならばありえないだろうと話も落ち着いています」

「……エイミーはどこまで騎士団の事情に通じているんだ」

「団員の私生活すべてじゃないですか。王立騎士団支援者の会の副会長ですから」

 支援とはなんだ。諜報活動が彼女達の仕事なのか。ライリーが何年も持ち続けている疑問である。

「…………あのう」

 ベスなる人物が、小声で話す主従に恐る恐る話しかけた。

「ああ。すまない。長い間待たせたらしいな」

「いえ、あたしのような者が突然押しかけて申し訳ありません」

 消え入るような声にも卑屈な上目遣いにも、ライリーは覚えがない。

「失礼だが、お会いしたことはないように思うんだが。俺の記憶違いか?」

「いえ、……お忘れになっていて当然です。もう八年にもなりますから。昔、掏摸(スリ)をして兄と共に捕まりましたと言えばお分かりいただけますか」

「! あのときの子か!」

 あれはハリエットと長屋に越してすぐのことだったか。孤児を集めた掏摸集団の摘発にひと役買ったことがある。

 直後に騎士団伝統の鍛錬地獄が始まったため、あの頃の記憶は途切れがちではあるが、観念して財布を差し出した少女の昏い瞳は思い出せた。

「はい。その節はご迷惑をおかけしました」

「……そうか。大きくなったな。子を産んで幸せにやっているのか」

「はい。旦那さまが手配くださった孤児院で、真っ当に生きる術を教わりました。しばらくして兄が迎えに来てくれたので、ふたりで働いて、昨年奉公先の跡取りと一緒になりました」

「そうか」

「旦那さまのおかげです。兄も労役の後は働き口を紹介していただき、ずっと感謝しておりました」

 それで情けか。アルを始め、背後で聞き耳を立てていた女性陣は僅かに残っていた緊張を解いた。

「俺は警邏隊に頼んでおいただけだ。感謝の気持ちなら彼らに伝えておこう」

 ライリーは穏やかな気持ちで微笑んだ。

 赤子とライリーは無関係、母親だからどこへ行くにも生後間もない子を伴っている、それだけだったのだ。

「それで? あなたは礼を伝えに当家へいらしたのですか?」

 呑気な主人の前に出て、アルが至極もっともな質問を投げた。

 ベスは怯えたように身をすくめて、慌てて話を続けた。

「いいえ! 旦那様がこちらにお住まいとは、以前より伝え聞いておりました。ですがあたしのような者がお会いしたいとも言えず、今日も迷いながら……」

 いいから本題に入ってくれ、と今にも詰め寄りそうなアルを制して、ライリーは続きを待った。

「……兄が、孤児院に迎えに来てくれた兄とは別の、もうひとりの兄が」

 ライリーが記憶を辿れば、少女の兄はふたりいた。その存在に気づくのが遅れて、頭に傷を負ったのだ。

 そのことに激怒したエベラルドによって、その後もっとひどい怪我が複数できたのだが。

「…………仲間と、ライリー・ホークラムを殺すと話しているのです」

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