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王都に残った人々

 ライリー率いる王立騎士団が王都を出発した日まで、話は遡る。

 エイミーとケイシーの姉妹は、母と共に出陣式に向かう父を見送った。

 このときばかりは親の心子知らずを絵に描いたような性格のエイミーも、真剣に父の無事を祈って送り出す。

 遠目に式を見守りに行くと、ウォーレンは騎士団長の近くに控えていた。

 騎士団長のライリーが口上を述べ、国王の寿ぎを受ける間も父はそのすぐ近くにいた。彼は家でのだらけた姿が嘘のように逞しい騎士姿で、若い上官に安定感を添える役を過不足なく務めているように見えた。

「父さんが副団長って嘘おって思ってたけど、ああしてるところを見ると、信じるしかないよね」

 ケイシーが首を振ってウォーレンの副団長姿をそう評する。

 エイミーは先日、ライリーの企みによって行われた騎士団幹部による模擬戦を見ている。

 大将の補佐役に徹していたウォーレンは、熱くなっている上官を守り、未熟な若い騎士を庇って模擬戦場を縦横無尽に駆け回っていた。

 父が戦う姿を見るのは久しぶりだった。エイミーはその力強い姿に息を呑み、お目当てのライリーの姿を追うのを忘れてしまったほどだ。

 彼女の心を襲った衝撃は強く、ライリーの策を助けるために幹部を宥めるつもりで集まったのに、その役目は友人に任せてしまった。

 父はああして毎日戦い、己を鍛えてエイミー達を守り育ててきたのだ。

 ウォーレンに槍が向けられたときは、模擬戦だと分かっていても恐ろしくなった。

 騎士をしている父はいつ死んでもおかしくない、とうそぶいたことがある。だがあのときのエイミーは、その言葉が意味するところをきちんと理解していなかったのだ。

 騎士でなくとも、親は先に死んでしまうものだ。娘のエイミーがこれだけ恐ろしく思っているなら、妻である母の心境はいかばかりだろうか。戦場に立つ騎士の妻になるというのは、どういうものなのだろうか。

 母も、ライリーの妻であるハリエットも、いつも柔らかく微笑んで夫を戦場に送り出し、そして帰ってきた彼らを抱きしめる。

 エイミーにはできそうにない。そんな立場になったら泣いて、行かないでと取り縋ってしまいそうだ。

「そうだね」

 心ここにあらずの姉を見て、ケイシーはなんでもないことのように話を続けた。

「式にはいなかったけど、出立のときにはアルもライリー様の後ろについてたね」

「……うん。アルはライリー様の従者だから」

 アルは騎士団の所属ではないため、式典には参加しない。

 本来であれば従者は戦場には同行しないが、年齢だけなら新米騎士と変わらないアルは、あるときから戦場にまで主人について行くようになった。ただ、甲冑を着ない彼は戦いには参加していないらしい。

 他の従騎士のように騎士の補佐をしているそうだ。その経験の長さから、従者の身で従騎士の指導役にもなっている。

「お姉ちゃん達いつ結婚するの?」

 ケイシーは軽い口調だったが、エイミーはぎょっとした。

「何よ。ケイシーまでそういうこと言うの?」

 アルと噂になっていることは知っている。だがふたりは今も昔も、そんな関係になったことはない。

 エイミーは憧れの夫妻の追っかけと仕事で忙しいし、アルだって何故騎士にならないのだと言われながらも従者としての務めを果たし、己を鍛える日々を送っているのだ。

「ずっとそうやってはぐらかしてるけど、本当に違うならあたしがもらってもいい?」

「……もらうって、ケイシー」

「アルってもてるんだよ。ちょっと小さいけど顔は可愛いし、強くて優しいって。旅籠の子だけあって、人当たりがいいんだよね。騎士でも伯爵家の従僕でも、将来は安泰だし」

 そんなことはエイミーだって知っている。エイミーが違うって言うなら紹介してよ、と言われたことだって何度もある。

「あんたまだ十六でしょ」

「もう十六だよ。アルは昔からあたしにも優しかったし、義兄になるものだと思ってたけど。お姉ちゃんがいつまでもそんななら、有望株を逃す手はないじゃない」

 なんとも現実的な十六歳である。

「…………勝手にしたら」

 他に言いようがなくて、エイミーは妹の呆れ混じりの視線から目を逸らした。


 出陣式から二日後、エイミーはいつも通り伯父が営む仕立屋に出勤した。

 ティンバートン伯爵夫人の侍女となってもう長いが、未だに見習い時代と同じように、領地にまでは同行していない。

 大切な本業があるからだ。

 王立騎士団支援者の会は規模が大きくなりすぎた。子どもの頃のお遊びの感覚のままでいるわけにはいかず、会長のロージー不在の期間は、エイミーが会のまとめ役をしているのだ。

 寄附金が集まればその管理が必要だし、成り行きで駆け込み寺のような役割を果たすようにもなっていたため、助けを求める女性のために窓口として常に王都にいなければならない。

 エイミーがいつものように指示された通りの運針に集中していると、警邏隊の男が店に現れた。

 彼女が仕事中に呼び出されることは珍しくない。店主である伯父もそれは承知で、客引きになってると思えばいい、と黙認してくれている。

 呼び出し主が男性なのは珍しいな、と思って警邏隊の顔をみると、見知った人物だった。

「おじさま? あ、もしかして生まれるんですか?」

 友人の父だった。友人の夫は騎士団の新米大隊長ザックで、最後に会ったとき、友人は臨月に入ったお腹を抱えて苦しそうにしていた。

 出産に向かう娘を友人として励ましてやって欲しいという依頼なのかとエイミーは考えた。

 だが彼は首を振って、こう訊いてきた。

「エイミー。ミアを見なかったか?」

「いいえ? 出掛けてるんですか?」

「……いや。じゃあ最近エベラルドには会ったか?」

「エベラルド様? だいぶ前に故郷に戻られたきりだと思いますけど」

 首を傾げるエイミーに、伯父が遠慮がちに口を挟んだ。

「ミアがエベラルド様と姿を消したらしい」

「はあ?」

 エイミーは何かの間違いだろうと思った。

 見目の良いエベラルドに熱を上げる女はたくさんいたが、彼は誰のことも相手にしなかった。故郷で妻が待っているのだと聞いたことがある。

 友人は夫のザック一筋で、押しの一手で結婚までこぎつけたのだ。

 そのふたりが一緒に姿を消した? ありえない。

「いや、ザックのためについて来てくれとエベラルドに頭を下げられて、ミアはそれを信じてついてったんだ」

「何それ。もういつ生まれてもおかしくないんですよね?」

「そうなんだ。俺も反対したんだが、ミアの奴、エベラルドの言うことなら信じないわけにはいかないと言って」

「何それ……」

 エイミーは呆然と呟いた。

 仲間の出産間近の妻を、騎士団を辞めたエベラルドがどこかへ連れて行った?

 それがザックのためとはどういうことだ。

「昨夜の話だ。なんでか俺達もそれを見送っちまって、今朝になって冷静になって探してるんだが見つからねえ」

 どこからの信頼も篤いエベラルドが相手だったからだ。彼の頼みを断ることのできる人間は、きっと少ない。そういうひとだった。

「あたしも心当たりを探してみます」

 エイミーの人脈を期待しての訪問なのだろう。会員に片っ端から訊いて回れば瞬く間に情報が広がり、ミアを探す目が増える。

「頼む」

「エイミー、今日は仕事はもういいから、ミアを探しに行って来い」

「ありがとう伯父さん。行ってきます」

 エベラルドが身重のミアを連れて行きそうなところ。

 どこだろう。やはり騎士団の官舎だろうか。

 何か理由があって匿いたいということであれば、騎士の本拠地が一番安全なのではないだろうか。

 今はデイビス大隊だけを残して、騎士のほとんどが戦場に向かっている。

 官舎はしんとしていて、妊婦がゆったり過ごすこともできそうだ。

 エイミーは王宮に向かう道すがら、見知った顔に会うたびにミアの行方を訊ね、みんなで探して欲しいと頼んだ。駆け落ちなどと噂されてはたまらないから、ミアの両親に頼まれたエベラルドが外出に付き添っていたことにしておいた。

 何か事件に巻き込まれているかもしれない、そうだとしたらすぐに助けないと。


 王宮の城門は、常にふたりの騎士が守っている。

 隊務に就く騎士に、みだりに話しかけることは許されない。集中力が途切れ、周囲への警戒を怠ってしまう。

 幼い頃から、父のウォーレンにきつく言い聞かされていることだ。

 ただ城門の内側にある小さな詰所にいる騎士には、多少話しかけても問題ない。

 エイミーが詰所を覗くと、三十代の騎士がこちらに顔を向けた。

「お疲れさまでございます。騎士様、お訊ねしてもよろしいでしょうか」

「ああ。副団長のお嬢さん。今日はずいぶん物言いが大人しいな」

 顔を知られていた。普段の言動もだ。

 エイミーは揶揄する言葉を無視して猫被りを続けた。

「デイビス大隊長はどちらでしょうか。お訪ねしたらお邪魔になる場所にいらっしゃいますか?」

「いや、大隊長室にいるんじゃないかな」

「ありがとうございます。お邪魔いたしました」

 ライリー達が不在の今、王都の騎士団を束ねているのは最年長騎士デイビスだ。彼に話を通しておけば、動きやすくなる。

 聞いてきた通り、デイビスは自身の大隊長室にいた。

 本来であれば、騎士団の本拠地に部外者が気軽に立ち入ることは許されないことだ。

 だがエイミーは王立騎士団支援者の会の副会長である。

 会が集めた寄附金で建てられた簡易浴場の存在により、騎士達は真冬の寒さのなか冷水で身体の汚れを落とすか、汚れたままでいるかの二択を迫られることはなくなった。

 同じく寄附された食材と厨房の手伝いを申し出た会員の心尽くしにより、食生活の向上も図られている。

 誰もエイミーを咎めることはしなかった。

 もちろん彼女は普段から大きな顔をしてうろついたりはしないが、今回は緊急事態なのだ。父には後で叱られることにして、今はとにかくミアの居場所を突き止めることが最優先だ。

「失礼いたします、大隊長様」

 従者の案内で入室すると、怖い顔の騎士がエイミーを出迎えた。ただし、旧知の娘を見る表情は、いつもより柔らかい。

 幼い頃のエイミーを知る幹部は多い。ほとんど親戚のおじさんのようなものなのだ。

「おう。珍しいな、エイミー。知っての通りライリーはいないぞ」

 おじさん連中は会の存在感が増しても、未だに前身の話を持ち出してくるのだ。まあ本質はそう変わってはいないのだから仕方ないといえば仕方ない。

「デイビスおじさま。人を探しに来ました。エベラルド様はこちらにお戻りですか?」

 要件を簡潔に伝えると、デイビスは首を振った。

「見てないぞ。なんだ、戻ってきてるのか?」

「昨夜、ザック様の奥さまをどこかに連れて行ったそうなんです。もういつ赤ちゃんが生まれてもおかしくないのに」

 デイビスは脇に立つ副官の顔を見た。彼も首を振って、不可解な表情になった。

「どういうことだ。あいつの女癖の悪さはだいぶ前に直ったはずだろう」

「あ、その噂ってやっぱり本当だったんだ」

「いらんことを気にするな。腹の子は間違いなくザックの子なんだろう」

「当たり前です! エベラルド様がザックのためだ、って言って連れて行っちゃったらしいんですけど。でもこのままだと赤ちゃんが。今から官舎の中とか、調べさせてください」

 エイミーが頼むと、デイビスは椅子から立ち上がった。

 仲間の出征中に彼らの家族を守るのも、留守番役の役目だ。戦場に向かった大隊長の身重の妻が行方知れずになっているとは、由々しき事態である。

「ライリーの家族のことと言い、どうもきな臭いな。官舎はこっちで調べる。エイミーは他の心当たりを廻って来い」

「はい! ありがとうございます!」


 心当たりはすべて廻った。

 だが、ふたりの行方を知っている者はいなかった。

 暗くなる前に家に戻ったエイミーは、ベスのことを思い出していた。

 彼女はライリーの殺害計画を聞いたと言っていた。それはライリーの話だけだったのだろうか。騎士団長の家族だけでなく、騎士団幹部の家族までもが巻き込まれるような話だったということはないだろうか。

 その話をどこからか聞きつけたエベラルドが、身重のミアを案じてどこかに隠した?

 あれから何度かベスを訪ねて確認しているが、彼女の兄の行方は知れず、ライリーを殺す、という話しか聞いていないと言う。

 ザックのことが大好きで、勢いで十以上歳の離れた彼を落として結婚にまで持ち込んだミア。

 彼女は今どこにいるのだろう。産婆の助けもないところで出産に臨む羽目になっていなければいいのだが。




 王都に残った騎士団内には、不穏な空気が漂っていた。

 デイビスの妻と幼い孫が攫われたのだ。彼は騎士だった息子が殉職してから、その妻子と共に暮らしていた。

 息子の未亡人が外出して帰ると、ふたりが姿を消していた。夕刻になっても帰って来ないと、王宮にいたデイビスの元に、未亡人が泣きながら知らせに来た。

 デイビスは留守番役として、騎士団長の代わりに王宮に詰めていなければならない。自ら探しに行きたい気持ちを抑えて、配下を捜索に走らせた。

 夜になって詰所に帰って来た配下は、男に引かれた馬に乗って王都を出る姿を見かけた者がいる、と報告してきた。同行する男は外套の頭巾を目深に被っていたために顔は分からないが、背の高い若者のようだったという。

(まさかエベラルドか?)

 その想像は、少しだけデイビスの心を軽くした。

 何をするつもりかは知らないが、もしエベラルドが彼女達を攫ったのだとしたら、何か理由があるはずだ。そして攫われた家族は無事だ。

 しかしそんな希望的観測で安心しているわけにはいかない。

 自ら妻と孫を捜しに走るわけにいかないデイビスは、騎士団内のみならず王都の警邏隊にも行方不明の三人を捜すよう要請した。

 王立騎士団大隊長ザックの妻、同じく大隊長デイビスの妻と孫。

 騎士団幹部の家族が姿を消したのは、仲間が図ったことなのだろうか。

 デイビスは元より怖い顔を余計にいからせて、騎士団長室の長椅子で横になった。

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