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夫人の王都行き

「くれてやると言っているんだから、貰っておけばいいだろう」

 サイラスはザックと同じようなことを言った。 

「……みんな簡単に言いますね」

「何を気にしているんだ。言っておくが、俺のときにも打診はあったぞ。継嗣をつくる気がないからと言って辞退しただけだ」

「え、……そうだったんですか」

 ライリーは気の抜けた顔になって、次いで分かりやすく明るさを取り戻した。騎士団長になれば、誰もがその功労を表されることになっているのであれば、素直に受け取れると思ったのだ。

 城下にあるサイラスの自宅である。

 それまで彼は、騎士団長用に王城に用意された居室で暮らしていた。引退後は息子とその乳母、引退した騎士とで暮らしていた家で同居を始めたのだ。念のための護衛役として共に暮らしていた元騎士は、お役御免とばかりにふらりと出て行ってしまったそうだ。

 ホークラム家とは違う地区にある、親子ふたりと使用人で暮らすには充分過ぎる部屋数の家だ。元は息子の母親とその連れ子も住んでいたため、部屋が余っているのだ。

 サイラスは引退してからは鎖帷子を着ることもやめてしまい、市民と同じように上衣(チュニック)脚衣(ブレー)の軽装で生活している。それでも頑健な肉体は健在で、むしろ鎖帷子で筋肉を抑えつけていたのかと囁かれるほどだ。

 さすがに動かなくなった右肘から下は、だいぶ太さを失ってしまっている。本人は利き手を使えない不便にはおいおい慣れていくさと、負傷して間もない頃から受け入れているようだった。

 サイラスの息子テオが、椅子に座るライリーの膝に寄りかかってきた。

 テオはライリーの長男と同じ七歳だ。

 ライリーは普段ホークラムの領地で暮らしているブラントよりも、王都に住むテオの顔を見る機会のほうが多いくらいだ。彼はテオに会うたびに、ブラントもこのくらいになっただろうかと息子を想っている。

 アンナの息子ビリーと同じく、テオも乳母が見つかるまでの間にハリエットが授乳していた期間があった。乳母を雇う身分である彼女が、一時的にとはいえ乳母代わりとなるなど、本来であれば許されることではない。

 ライリーも驚いたが、母親になったハリエットには、目の前で腹を減らして泣いている赤子を放っておくことができなかったのだ。

 おかげでホークラム夫妻のなかで、彼ら三人は三つ子くらいの感覚でいる。

 ライリーは慣れた手付きでテオを膝の上に抱きあげた。三人のなかでは彼が一番小柄で、抱きあげてもまだ違和感はない。

 サイラスはそんなふたりを穏やかな表情で見ていた。

「この国は功労者にはきちんと報いてくれる。俺の若い頃は領土を増やすための戦争をよく仕掛けていたから、勝てば報奨金がたんまり貰えた。十五のときから五度も甲冑を造り替えてもらったし、領地よりも金と馬が欲しいと言えばそうしてくれた。だからおまえも引け目を感じることはない。おまえはすでに爵位も継嗣もあるんだから、断ることもできないだろう」

「まあそうなんですけど」

 大人の会話が終わるのを黙って待っていたテオが、そろそろいいだろうかとライリーを見上げた。

「ライリー様、ブラントとビリーとはいつ遊べる?」

「ん? そうだなあ。叙爵されるなら、ハリエットもいないとまずいですよね。また近いうちに遊びに来るよ」

「きっとですよ」

「ああ。またみんなで駆けっこするか。走る練習しとけよ」

「はい!」

 サイラスは意外にも甘い父親だ。これまで乳母にべったりくっついて育ったテオを、更に甘やかして育てている。そのためかテオはホークラムの少年ふたりよりも幼い印象で、彼らのように生意気を言うこともない。

 サイラスはそんな息子が可愛くて仕方がないのだ。

 元々彼が息子を見る眼は優しかったが、引退してからは更に穏やかな表情をするようになった。

 人生の大半を戦うことに費やしてきた人だ。この優しい顔が彼の本質なのだろうとライリーは思っている。

「今日は叙爵の件だけか」

 サイラスに水を向けられて、ライリーはおずおずと切り出した。

「サイラスは団長になって、私生活で命を狙われたりとか、危ない目に遭ったことはありますか?」

「さて。すぐには思いつかないな。何かあったか」

「それが微妙なんです。俺を殺すって話を耳にした、と聞いたので、ハリエット達の身辺に気をつけていたんですが、どうも何かあるようなないような感じで」

 ライリーは狙われても別にいいのだ。仮にも騎士団長だ。キャストリカで彼に敵う者が、大隊長以外に存在するとは考えにくい。例えそんな人間がいたとしても、基本的にライリーは屈強な騎士に囲まれている。今以上に警備を強化する方法はあまりない。

 ベスが来た翌日から、家族はロブフォード邸に身を寄せ、迎えを待った。ホークラムの自警団のなかから腕の立つ者を選んで呼び出し、アルと共に護衛役を務めさせて領地へ送り届けさせたのだ。

 遠く離れた領地でまで警戒する必要はあるまいと、ほっと息をついたところだったのだが、再び王都に呼び寄せるとなると不安が残る。

「ずいぶんと曖昧だな」

「確信があるわけじゃないんです。ただなんか、誰かに見られてる気がするというか。ここ最近は自宅を空にして城の部屋でアルと寝泊まりしてるんですが、さっき家を覗いてみたら、物の場所が動いてるような違和感が」

 サイラスが眉を顰める。

「それが本当なら、家族を呼ぶのは危ないんじゃないか?」

「でも気のせいって言われたら気のせいのような気もして。モヤモヤしてるんです」

 サイラスはライリーの弱り顔を眺めて、ふむ、と思案顔になった。

「どのみち叙爵の場には夫人の同行が必要だろう。子ども達には負担かもしれないが、来て用事が済んだらすぐ戻るようにしたらどうだ。短期間なら、おまえの不在時には俺が気をつけることもできる」

 ライリーは今度は難しい顔になった。 

「ありがたいんですが、テオにまで何かあったらと思うと」

「今更だな。俺の現役時代に何かあってもおかしくなかった。どうせ子どもの顔を合わせに行くのだから、同じことだろう」

「……では、お言葉に甘えようかな。うん。よし、分かりました。ハリエットに手紙を書きます。こっちに着いたらすぐにサイラスのところに挨拶に来るようにしますね」

「ああ。夫人はテオの命の恩人だしな。片腕でも護衛役くらいなら務まるだろう」

 ハリエットは一時的にテオの乳母代わりだった。テオは赤子の頃から共に暮らす乳母に懐いてはいるものの、友人の母を慕っているのだ。

 サイラスにとって、ハリエットは息子が母のように慕う女性なのだ。

「…………頼んでおいてあれなんですが」

「それ以上は聞かないぞ。鬱陶しい。いい加減にしろよ」

 ライリーのなかで、格好いい男の頂点に立つのがサイラスだ。

自分の不在時に、最愛の妻が犬猿の仲から育児仲間に昇格した彼によろめいてしまわないか心配になって当然ではないか。

「……では、よろしくお願いします。また連絡しますね」



 夫からの手紙を受け取ったハリエットの感想は、思ったより早かったわね、程度だった。

 国の要職に就く人間に、それなりの身分を与えようとする流れは一般的なものだ。

 ライリーは騎士団長となってからは、まだ功績らしい功績を積んでいない。今叙爵の話が出てくるのは意外ではあったが、早いか遅いかだけの違いだ。

 国内外の情勢が落ち着いているときに済ませておこう、くらいの軽い理由だとしてもハリエットは驚かない。

 平民の出身が多い王立騎士団を軽く扱う官僚は少なくない。ライリーは伯爵家出身の子爵ではあるが、まだまだ若造扱いの物腰の柔らかい騎士だ。

 国王の名の下に伯爵の位を授けると言っても、その根底には侮りが見え隠れしている。

 くれてやるから、ありがたく受け取れ。この恩に報いる働きをせよ。と。

 まあそんなものだろうと、ハリエットは割り切っていられる。

 だが夫は今どんな気持ちでいるだろう。

 単純に、伯爵の位を喜ぶひとではない。

 何故自分が、何故前騎士団長ではないのだと、苦々しく思っているのではないだろうか。サイラスのところで愚痴を言っているならばいい。彼らは今ではずいぶん気安い仲になっている。本来であれば言いにくいことを、本人に言うことだってできるはずだ。

 そうすれば、サイラスに気にするなと強く優しく言い聞かせてもらえることだろう。

 サイラスはライリーに、昔亡くした妻の子の姿を重ねているのだ。時折テオを見るときと同じ眼でライリーのことを見ているので気づいてしまった。彼が息子に甘いのは、孫くらいの感覚でいるせいなのでは、とハリエットはこっそり疑っている。

「アンナ、今年はもう一度王都に行くことになってしまったわ。またみんなで行きましょうか」

「お子さま方もですか」

「ソフィアももう三つになるし、ゆっくり行けば大丈夫でしょう。置いて行くほうが可哀想だわ」

 ハリエットもライリーも、幼い頃は領地でのびのびと育てられた。仲の良い家族と、温かい目で見守ってくれる使用人に囲まれた幼少期を送ったのだ。なんの曇りもない幸せな記憶だ。

 子ども達もなるべく同じように育ててやりたいと、王宮務めの夫と離れて暮らすことを選んだ。

 それでもやはり、会えない日々は寂しさを募らせる。

 会いに行く口実ができたと、つい喜んでしまうのは悪い母親だろうか。

 七歳と三歳の兄妹は、比較的丈夫な子どもで大病をした経験もない。それでもまだ死亡率の高い年頃である。まだまだ領地で大事に育ててやりたい。

 それと同時に、大好きな父親と一緒に王都で生活させてやるのも悪くないかという思いも芽生え始めたところだ。

 新しい騎士団長となったライリーの命を狙う者は、本当に存在するのだろうか。

 彼は自分の身よりも、家族が巻き込まれることを恐れていたが、ハリエットはどうも腑に落ちない気持ちを抱えている。

 騎士団は、国内最強の武力集団である。

 ならず者の集まりを騎士道精神を学ばせることによって統率してはいるが、万一彼らが叛旗を翻すことがあれば、キャストリカは簡単になくなってしまう。

 そんな騎士団の頂点に立つライリーを、市井の男が殺す。

 その話を、なんの関係もない妹に聞かれる。そんなお粗末な暗殺計画があるだろうか。

 過去にライリーに捕まった。当初はその愚痴の延長で出た言葉だったのだろうというのが、みなで出した結論だった。

 ホークラムからの迎えが来るまで、一時的にウィルフレッドの元に身を寄せたのは、ライリーを安心させるため、が主な理由だった。

 だがそこで、不審な出来事が起こった。

 叔父の家の庭で遊ぶ幼い兄妹を、眺める者があった。一見普通の市井の男であったが、人目を憚る様子を怪しく思った使用人が誰何した。彼は何も言わずにその場を去ったそうだ。

 侯爵家の使用人は子ども達を屋敷内に連れ帰り、主人姉弟に報告した。

 決定的な出来事ではない。だが、時期が時期だけに気味が悪い思いをした。

 そんななかでの王都行きだ。普段よりも護衛の人数を増やして、慎重な旅程を組む必要があるだろう。

 子ども達は置いて行くほうが安全なのかもしれないが、父親に会う数少ない機会を逃すほどの危険性はまだ感じない。

「ライリーとアルが、ホークラムに騎士団を設立してくれて助かったわね。彼らにも一緒に行ってもらいましょう」

 初めてホークラムを訪れた際にアルが一緒に遊んでいた子ども達は、騎士ライリーに憧れて大きくなった。

 アルが団長だと言う彼らのごっこ遊びを微笑ましく見ていたが、遊びは次第に真剣味を帯びてきて、ライリーもいつしか本気で指導に当たるようになっていった。

 当時手の付けられない乱暴者だった少年を纏め役として、騎士団ごっこをしていた彼らは、今では立派な自警団に成長している。

 言うなれば、ホークラム子爵の私兵なのだ。

「大丈夫でしょうか。きっと大はしゃぎしますよ」

「あら、大丈夫よ。あの子達、アンナの言うことならちゃんと聞くでしょう」

 こうしてホークラム子爵夫人の美貌に見惚れ、その侍女を恐れる青年を五人ばかり護衛役として、子爵家一行は王都へ旅立っていった。

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