喧嘩を挟んで会議の続き
「デイビス様、素晴らしい試合でした!」
「かっこよかったですう!」
「さすが大隊長! お若い方とは動きが違いますわ!」
半白髪の騎士は、突然若い娘に囲まれてたじたじとなった。
「な、なんだ。おいライリー」
デイビスは思わずつい先刻まで対立していた相手にすがるような目を向けるが、ライリーだって女性の勢いには勝てない。助けを求められても困るとばかりに首を横に振って、デイビスから距離を取った。
その薄情な動きに、熟練の騎士は目を剥いた。
だからその顔が怖いのだ、と思いながら、ライリーは素知らぬ顔で退避行動を続行した。
「わたし達は素人ですが、デイビス様のお働きが別格なのは分かりましたわ」
「こうして毎日、わたくし達をお守りくださっていたのですね」
「感動いたしました」
「お、おお」
ライリーはスミスを見るが、彼も目を白黒させている。彼女達は自主的に現れたのか?
よく分からないが、今のうちに後始末をしてしまおう。
「ザック。無事ですね」
「ムカつく野郎だな。いつものことながら絶妙な力加減だったぜ」
ザックの甲冑の下は酷い打撲だが、骨は無事だ。
「みんな生きてますね。怪我人は?」
「全員」
「すみません間違えました。明日から隊務を外れなきゃいけない人はいますか?」
挙手をしたのはふたりだ。
「はあ? 大隊長が何やってんですか。こんなところでムキにならないでくださいよ」
「てめえが言うな」
マーロンが無事な右手でライリーの頭に拳骨を喰らわした。
大人しく殴られたライリーは、入団当初に所属していた隊の、当時の中隊長に頭を下げた。
「申し訳ありませんでした。お付き合いいただき、ありがとうございました」
「二度とやらねえからな、こんな茶番。……おう、ロルフ。悪かったな。脚はどうだ」
「捻っただけだ。どっかの若くて元気なのが、しばらく団長と大隊長を兼任すればいいだろう」
「え? 俺は無理ですよ。明日から休暇です」
ライリーの台詞は、何故か偶然生まれた一瞬の静寂をぬって、その場に響き渡った。
「ぁああ?」
あ、これヤバい流れだ。気づいたライリーは、己の副官に助けを求めた。
「ウォーレン! その約束でしたよね?」
「……勝ったら。大隊長の了解を得たら。の約束だ」
「! だって俺、そのためにしばらく休み取ってないんですよ!」
スミスが無言で首を振る。
「嫌ですよ。俺はこれで……っ」
ザックが素早くライリーの左脇に腕を通した。同じく右脇にはスミスが付く。
「嘘だろ。俺がなんのために」
顎をしゃくる仕草だけで、ふたりに団長を捕獲しろと指示を出したデイビスが、ライリーの目の前に現れた。
(だから顔が怖いんだって)
「なんのために?」
「えっ……」
「なんのためだって?」
「っ王立騎士団のためです!」
「ほお。殊勝な心掛けだ。じゃあちょっと今から、明日からの予定について話し合いましょうかね、団長さんよ」
ライリーは真横のスミスを見るが、彼は視線を合わせようともしなかった。
次いで反対側のザックを見ると、彼には珍しく重々しい仕草で頷いて、理解を示した。
「俺も結婚して、おまえの気持ちが分かるようになった」
「じゃあ」
「今すぐ手紙を書け。帰れませんごめんなさいって」
「やだ」
他の大隊長も後始末の手を止めて、ライリーを囲みにかかった。
「なんだと?」
ライリーの味方をしてくれたはずのマーロンが真正面に立った。従騎士から新米時代にかけて恐れていた中隊長に睨まれると、反射的に背筋が伸びる。
だが、いくら怖くても主張しなければならないことがあるのだ!
「嫌だ! 俺は今から休暇を取ります! 団長の予定は団長が決めるんだ!」
マーロンは舌打ちひとつして辺りを見回すと、幹部同士の喧嘩の行方を固唾を呑んで見守っていた騎士達に指示を出した。
「おーい、見学の奴ら後始末を頼むぞ! 若いのは全員動けるな? 団長の企みに乗っかった十人は、傷の手当てが終わったら団長室に来い。急がなくていいぞ。いいな? 急ぐなよ! 手当てが終わって身綺麗にしてからで充分だからな」
今からおまえらの頭を締め上げる、の宣言を正解に読み取って、若い騎士達は慌てて頷いた。
「了解しました!」
騎士団内の力関係は、異動があってもそう簡単に変わらないのだ。
「弁明の機会をやろう」
「とりあえず腹の中身を全部吐け」
騎士団長室である。
会議用の机の一辺にふたりずつが並んで、大隊長六人の視線が部屋の主の元に集まった。
一番上座に座ったライリーは、物理的に吐く羽目になる前にと口を開いた。
「だから最初から言ってます。近衛の技術を取り入れたくて、合同訓練を」
「お飾り騎士から何を取り入れるってんだ」
「剣術のことなら近衛に教わるのが一番なんです。あなた達は経験に頼り過ぎだ」
なんだと? と言いかけた大隊長達だったが、剣闘試合で何度も優勝しているライリーの発言を一旦咀嚼してみることにした。
「……奴らは強いのか?」
そういえば、同じ騎士を名乗ってはいるが、近衛騎士団のことは綺麗な装束を纏って貴人の側に立つか、式典で煌々しているかの姿しか知らない。
「もちろん実戦経験には乏しいですが、合同で剣闘試合をすれば、上位は近衛ばかりになりますよ」
「本気で言ってんのか」
やってみますか? とはライリーは言わなかった。それぞれの面子を守る必要があるのだ。
国民の前で平民に叩きのめされる姿を晒すわけにはいかないから、近衛騎士団は貴人警護を理由に御前試合には参加しない。
同じく実戦を担う王立騎士団も、お飾り騎士よと揶揄している相手に負けるわけにはいかない。
「一対一の試合形式を採るならば、確実にそうなります」
近衛の強みを体感させるために、素直に新しいものを吸収する若者を近衛騎士団に送り込んだのだ。
彼らは初日に叩きのめされて呆然とし、それから基本からやり直させられた。
正確な素振りができるようになるまで剣を振り続けろと命じられて、反発する術を持たない彼らはその通りにした。
十日通った程度では身に付かない。これまで脊髄反射だけで剣を振ってきた彼らは、正確さを意識しようとすると動きが格段に鈍くなった。
仲間の嘲笑を浴びながらも、彼らは自分の目で見てきた近衛の強さを信じて、度々鍛錬場に顔を出してしごかれてきた。近衛と同じ動きをする騎士団長が、激務の合間を縫って直々に稽古をつけにくるため、手を抜くわけにはいかなかった。
若い彼らは、一ヵ月の成果を今日、幹部の目の前で披露したのだ。
大隊長達は難しい顔で黙り込んだ。
「落馬したら剣を抜け、剣が折れたら拳を握れと言いますが、戦場で落馬した騎士の大半は死んでいるんです。そのほとんどが若い奴らだ」
馬上で槍を操るのは、熟練の技を必要とする。三十四十の騎士が落馬することは滅多にないが、まだ未熟な若手は簡単に命を落としていくのだ。
一朝一夕では身に付かない馬上での技術を磨くのはもちろん大事だが、ライリーは落馬してからの生存率を上げる剣術を磨くことが急務であると考えた。
「俺はさっき、若いのにやられたぞ。ライリーと同じような動きをしてやがった」
ピートが申告すると、ザックも発言する。
「俺が最後に見たときは、こっちが四騎でそっちは三騎だった。なのに最後まで立ってたのは、そっちの九人だけだ」
ライリーが種明かしをする。
「あいつらには、今回は馬に拘るなと言い含めておきました。ヤバいと思ったらすぐ降りて剣を抜け、と」
ライリー陣の若い十騎のうち三人は騎馬戦で脱落したが、残る七人は早々に馬上の有利を放棄した。
事前に承知していたスミスが残った騎馬隊を落としてまわり、剣を抜いた若手が敵が落馬する端から片付けていった。
スミスは開始早々はライリーの補佐を、味方の騎馬が減ると歩兵と化した若手に向かう敵を馬から落とす役目を担った。おかげで落馬後、騎馬隊の槍に倒れた若手はひとりだけだった。
「……回りくどいことしやがって。最初っからそう言えよ」
大隊長の地位に就いて七年になる身で、鍛錬場で負傷してしまったロルフが顔をしかめる。
「ロルフ、それはさすがに酷いぞ」
それまでほぼ無言を貫いてきたスミスが、大隊長六人を見回した。
「あんた達は団長の言葉に耳を貸さなかっただろう。ライリーがこんなことをしたのは、あんた達のせいだ」
副官の援護射撃に、ライリーはぱっと顔を輝かせた。
「そうですよ! だから明日から、」
「おまえは黙ってろ」
ウォーレンも耳を貸してくれないじゃないかと、その場で一番歳若の騎士団長は不貞腐れ顔になった。
「なんだ、ウォーレンは団長の味方か」
「当たり前だろう。俺を副団長にしたのはあんた達だ」
「おまえら今更何言ってんだよ。代替わりしてもうじき半年だぞ。まだごちゃごちゃ言うつもりなら、いっそ首をすげ替えちまえ」
マーロンの言葉に、ライリーが机を叩いて立ち上がった。
「そうしましょう! ここは最年長のデイビスが出るべきです!」
「馬鹿野郎。この年寄りをいつまで働かす気だ」
「じゃあウォーレン!」
「なんでおまえが一番積極的なんだよ。ウォーレンは駄目だ。娘の手綱も引けねえ父親に団長が務まるかよ」
「ほっとけ。大体俺だって引退秒読みなんだよ」
四十代以降が駄目ならその下だ。
「ザック代わってください!」
「駄目だ。軽い」
「軽薄なのは駄目だ」
なんで俺が貶されてるんだと、ザックがヘラヘラ顔を中途半端に引き攣らせる。
「ニコラスも駄目だぞ。小せえのは見栄えが弱い」
「酷え言い草だなあおい」
みなの頭に浮かんでいるのは、灰褐色の髪と青い双眸を持つ騎士の整った顔だ。
彼がいないのであれば、こんな議論は無意味だ。
「人材不足だ。仕方がねえ。ライリーを続投するしかねえだろ」
「消去法かよ。俺にやれって言うなら協力してくださいよ。もうこんな面倒なことやってられませんよ」
ライリーは肩を落として、どっかりと座り直した。
「で、合同訓練の話だ。俺は悪くないと思ってる。どうだ、デイビス」
スミスが最年長の騎士に話を向けると、彼は渋々頷いた。
「若手の生存率、か。いいんじゃねえか。若いのが育つなら、将来的にはもっとまともな騎士団長が生まれるってことだろう」
「合同は色々難しいだろう。向こうから指南役に来てもらうわけにはいかないのか」
話し合いが進む様子を、ライリーは目を丸くして見ていた。
「え、全員でやるんですか?」
ザックがライリーの発言を慌てて止める。
「こら待て。今は年寄り発言はやめとけ」
「そうじゃなくて。あなた方には必要ないでしょう。最強の騎馬戦士が下手なことをして、騎士団全体が弱体化すると困る」
ライリーのなんの衒いもない純粋な言葉に、中年男達はあっさりとほだされてしまった。
「仕方ねえなあ。じゃあどうすりゃいいんだ」
おっさんちょろすぎ、のザックの言葉はやはり黙殺された。
「実際に向こうに行ってきた奴らの意見も聴きましょう。さっきから外で待っているようですよ」