薙ぎ払う力
親から否定的なことを言われると、そのことに動揺してしまう。冷静になれば自分が悪いわけないと思えることでも、冷静に判断できないから傷ついてしまう。そういう経験を持っている人は多いと思います。どうして冷静になれないんだろう? ということについて、考えてみました。私が見つけた答えがすべての人に当てはまるわけではないと思いますが……。読んでみていただければ、と思います。
ミヤくんは、お母さんにキツいこと言われても傷つかないって言ってたけど、本当はやっぱり傷つくって言う。
最初にキッパリ傷つかないって言ったのに、実はやっぱり傷つくよって、言ってることを変えちゃったことでちょっと気まずそうにしながら、ミヤくんは、心のフタを開けて中身を取り出すように、自分の心の内で起こることを説明していく。
「相手にいろいろ言われた衝撃で、ちゃんと考えてたことがあってもそういうの頭の中でどっかに行っちゃって、自分に問題がないかどうかの判断材料がなくなっちゃうカンジ? んっと、相手の言ってきた言葉に仕分け人が押し流されてしまって、まるで見知らぬ部屋にぽつんと落とされたみたいになるっていうか……いつもの自分の部屋なら、ここのこの引き出しには、この人はこのときはこうしてた、この人はこれまでこういうこと言ってた、こういう場合はこうすればいいけどこうするとこうなっちゃう、とかを書いた紙がちゃんとしまってあるのに、それを読めば、こういう場合はどうするのがいいかわかって、ちゃんと判断することができるはずなのに、見知らぬ部屋だから、何がどこにしまってあるかわからない、みたいな……?」
んー、と、ミヤくんは少し考えこむ。
なんていうか……とつぶやいて、
「相手の言葉に押し流された仕分け人は、迷子みたい。どっちに何があって、どこへ行けばいいのかわからない、それどころか、いま自分がどこにいるかすらわからない迷子みたいになるから、冷静に、落ち着いて考えることができなくなる。そういうカンジ……って言えばいいんかな?」
言葉に迷いつつ、
「それか、自分が着ている服が強い風で全部吹き飛ばされて素っ裸になったみたいな? 自分を守っているものがなんにもなくなって、心臓がむき出しになったみたくなって、心細くて何にも考えられなくなる、とかそんなカンジ……?」
自分自身に問いかけるように、ミヤくんは自分の考えを口にする。
ミヤくんは迷子とか裸になったみたいとか、一生懸命、伝えようとしてくれるけど、ミヤくんの感じているものは僕にはまだよくわからない。ピンとこない。
けど、言いたいことはわかった気がする。ミヤくん、相手からキツいこと言われた衝撃で、自分の中にある判断材料がどっか行っちゃうって言ってたから。
新しいお母さんがうちに来る前、おばあちゃんが足を骨折して、お父さんはいつも通り仕事で家にいなくって、僕ひとりでどうしようってなったとき。僕も、何からどうしていいやら、わからなくなっちゃった。思いもよらない衝撃に襲われると、頭って働かなくなっちゃうんだ。応急処置とかそういうの、少しは知識として知ってたはずなのに、そんなの全っ然、自分の中から出てこない。ホント、オロオロするだけになっちゃって――。
ミヤくんは「えっと、とにかく!」と、声を上げ、結論づけた。
「相手の強さや勢いに飲まれちゃうとさ、仕分け人は、すごく不安定で心もとなくなって――とてもじゃないけど、冷静に判断することなんてできなくなる」
「うん」
だよね、という気持ちで聞く。
「んでそうなると、自分でちゃんと考えられなくて、相手の言うことが正しいことって思ってしまって『自分が本当にやさしくないことしちゃったから母さんにそう言われちゃったんだ!』ってなってしまって。母さんに『やさしくない子ね』って言われたことを、オレの中の仕分け人は、とっさに『自分に問題アリ』に振り分けちゃう」
「うん」
「そうすっと、針の番人も、報告書受け取って、『こりゃいかん!』って、針でオレの心臓を突っつくんだよ」
「――うん」
うなずく僕と、ため息をつくミヤくん。なんとなくしんみり。
ミヤくんが傷つかなくていいことで傷ついていく様子を想像していくのは、けっこうしんどい。けど、僕よりミヤくんの方こそ、しんどいだろう。
ひとつふたつ呼吸をして、ミヤくんがまた口を開く。
「そういうのがさ、一瞬の間に起こるワケ。ホントに一瞬の間にうわぁって起こるから、『待った』をかけるスキがなくてさ? 『ちょっと待った! 落ち着いて冷静になろうよ? ホントに自分に問題ありかどうか、ちゃんと考えようよ!』って,落ち着く間もなく、あわただしくとりあえず処理するしかなくなって。『自分に問題アリ』っぽいから『自分に問題アリ』にしちゃえ! って仕分け人が『自分に問題アリ』にしちゃうカンジ?」
ちょっと口早に語ると、ミヤくんは語気を緩めて静かに言った。
「だから――どうしたって、心が傷ついてしまうのを避けられない。それが、実はホントのところ」
ミヤくんはふっと息をつくと、ちょっとおどけた顔をして、さっきは傷ついたりしないってカッコつけちゃったけど、と苦笑した。
ううん、と僕は首を左右に振る。ミヤくんはカッコつけたわけじゃない。心が傷つくってことをちゃんと口にするのは、たぶんきっとつらいこと。
傷ついていない人が「傷ついた」っていうのは簡単だと思うけど、本当に傷ついた人が「傷ついた」って言おうとしたら……さらに傷つく気がする。
「仕分け人の『仕分け力』がめちゃめちゃ上がったら、誰に何を言われても動じずに、冷静にテキパキッと判断していけるようになるのかもしんないけどさ? ふつうはそこまで完成しないんじゃねーのかな? タカ兄もやっぱ傷つくって言ってたし」
ミヤくんが言う。
タカ兄というのは、僕たちのリーダーの天平くんのこと。
「天平くんも?」
僕が聞き返すと、ミヤくんはうなずいた。
「うん。『傷つきゼロ』は不可能に近いって言ってた」
「『傷つきゼロ』……?」
「そ。ホントはそれが理想――なんだけど」
なかなかそれは難しいと言いたげに、ミヤくんが口をつぐむ。
傷つきゼロって言うと……『まったく傷つかない』、『無傷でいる』、ということだと思うんだけど。ミヤくんが言っているのは、自分に問題があるのに傷つかないですまそうってことじゃなくて。自分に問題がない人は傷ついたりしなくていいのが理想、ってことだよね。ひどいこと言われるしかないような何かを自分がしていたわけじゃないのにひどいこと言われて、それで傷ついてしまっていたら、つらすぎる。
だけど、ミヤくんが打ち明けてくれたように、レオンくんのことをしっかり考えていても、お母さんからやさしくない子って言われたら、仕分け人が動揺して、とっさに針の番人に心臓を突くように仕分けてしまっても無理はない。どんなときでも冷静に、傷つくか傷つかないか決めるのは難しい。
考えていたら、ふいに、自分ひとり家族じゃなくなるんじゃないか、って思ったときの感覚がよみがえった。
僕を産んでくれたお母さんはバングラデシュという国の人で、僕を産んで間もなく死んでしまったらしくて、僕はずっと、日本人のお父さんと、日本人のおばあちゃんと、三人で暮らしていた。それが、お父さんの再婚で新しく日本人のお母さんができることになって、新しいお母さんのお腹の中には赤ちゃんがいて、もうしばらくしたら生まれてくるって聞いて。そしたら『日本人ばかりの中に、僕ひとり、異国の血が混ざった人間ってことになるんだ』って思って、そう思ったら、僕ひとり、家族じゃなくなるみたいな気がして――怖くなった。
もちろん、お父さんもおばあちゃんも新しいお母さんも僕のことをつまはじきにしようとなんてしていなくて。僕が勝手におかしな物思いにとらわれてしまっただけだったんだけど。
自分だけ仲間から外れてしまうって思うときに感じるさみしさみたいな気持ちを『疎外感』って言うんだって、天平くんは言っていた。それから、誰も僕を仲間外れにしようとしていないのに、僕が勝手にお父さんたちから仲間外れにされるかもしれないって考えちゃったのは、『被害妄想』だったな、って。それか、『杞憂』って言ってたっけ? 心配のし過ぎだったなって。
でも、そういうこと考えちゃうのは特別なことじゃなくて、ヘンなことじゃないと思うって、天平くんはそんなことも言ってたんだ。誰がそういう物思いにとらわれてもおかしくないって。だって、人と自分とは、別々の人間だから。人が何を考えてるかなんてわからないから。
もしかしたら、人と自分の心が近いところにはないかもしれないって、不安になって。この世界にぽっかり、自分ひとりっきり、ひとりぼっちになってしまうかもしれないっていう未来が見えることがある。そんなことが自分の身に起きるかもしれないって、身近に感じることがある。
たいていはただの杞憂なんだろうけど、杞憂かどうかなんて杞憂だったって思えるまでわからないから、苦しかったりする。怖かったりする。そういうもんだよな、って。
もしも自分ひとり家族から浮いてしまったらって思ったときに僕が感じたのも、恐怖だった。だって、家族とは同じでいたい。同じじゃなかったらきっと仲良しでいられない、そんな気がして――。
家族とは、遠くありたくない。近くありたい。仲良しでいたい。仲良く――。
嫌われたくないんだ。
頭の中にひらめきが走った。
嫌われたくない。好かれたい――。
自分に近しい人から自分を否定するようなことを言われると、嫌われたんじゃないかって動揺する。だから、嫌われたくなくて、相手の言うことに従わなきゃいけない気になる。
ううん、自分に近しい人じゃなくても、きっと人って人から好かれたい。見ず知らずの人からでも、嫌われたらいい気はしない。だから、スマホやってる人がSNSで人から非難されたりするのも、それが見ず知らずのどこの誰だか知らないような人からの言葉でも、きっとつらいだろうって思う。
見ず知らずの人の言葉なんて気にしなければいいじゃないか、って言う人もいるかもしれないけど。人に好かれたいって言っても、何も、世界中の誰からでも好かれたいとか、みんなに愛される人気者になりたいとか、そんな大きなことを望んでいるわけじゃなくても。――自分の目に触れる人、自分の手に触れる人、自分の心に触れる人から嫌われるのは、怖いんだ。
嫌われたくなくて、好きでいてほしくて。人から嫌われたって思ったら、仕分け人は動揺する。動揺して、冷静な判断ができなくなって、傷つけなくていいときまで自分の心を傷つけることになってしまう。――そういうことかもしれない。
だとしたら――?
人に好かれたい、嫌われたくないっていう『思い』は、『何がよくて何がよくないか』、『傷つくべきところなのか傷つかなくていいことなのか』考える力、つまり――なんていうか、自分の『人としての大丈夫さ』、みたいなものを考える力を、薙ぎ払う強さを持っている。
そんな強力な力に、どうやって対抗すればいいんだろう? どうしたら、冷静に判断できるようになるんだろう?
どうすれば――?
僕は、知らず知らずのうちに、きつくハンドルを握りしめていた。 つづく
読んでいただいてありがとうございました。
この話を書くことで、これまでなんとなく感じていた心の内を見つめ直すことができたように思います。
ここから、次回とその次の回で、いちばん伝えたかったメッセージを書きますので、読んでいただければと思います。